子猫の厄日。生ゴミを食べられないカラスどもが子猫をねらっています。ご用心。




1998ソスN1ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0211998

 初湯中黛ジユンの歌謡曲

                           京極杞陽

和44年の作。銭湯の初湯は江戸期から二日と決まっているが、これは元日の家庭での朝風呂だろう。機嫌よく口をついて出てきたのは、黛ジュンの歌謡曲だった。なぜ、歌謡曲なのか。もちろん、昨夜見たばかりの「紅白歌合戦」の余韻からである。曲目は「雲にのりたい」あたりだろう。作者の京極杞陽(本名・高光)は、明治41年に子爵の家の長男として生まれた。豊岡藩主十四代当主。つまり、世が世であればお殿様である。大正の大震災で家族全員を失うという非運に見舞われたが、血筋はあらそえないというべきか、どこかおっとりとした雰囲気の句の多い人だ。この句も名句とは言いがたいが、読者をホッとさせる暖かさがある。同じ初湯の句でも、小沢昭一の「まだ稼ぐのど温めん初湯かな」となると、少々せち辛い。殿様の呑気な句には負けている。『花の日に』(1971)所収。(清水哲男)


January 0111998

 霞さへまだらに立つやとらの年

                           松永貞徳

年にちなんだ句はないものかと必死に探していたら、貞徳にありました。貞徳は江戸初期の京の人。俳人にして歌人、歌学者。俳諧を文芸ジャンルとして確立した人です。エラい人なのですが、この句の出来はどうでしょうか。うーむ。かなり苦しい。おだやかな元日の朝、遠くの山々には霞がたなびいており、それが寅のまだら模様に見える。霞までが、寅の年を祝福しているようだ……。というわけですが、かなり無理をした比喩使いではないでしょうか。彼もまた、寅年にちなんだ句を必死に作ったのでしょう。必死と必死が三百年以上も経て偶会したのだと思うと、なんだか楽しい気分になってしまいました。季語は字面からいけば「霞」でしょうが、意味からすると「年立つ」で「新年」でよいと思います。(清水哲男)


December 31121997

 その前に一本つけよ晦日蕎麦

                           鷹羽狩行

麦は酒(なんで酒をわざわざ「日本酒」と特定していわなきゃいけないんだ)に限る。もっとも評者は蕎麦焼酎を呑んでいるし、いままではずっと蕎麦にビールだったから、大きなことは言えない。しかし、こういう句はいいなあ。大いに助かります。狩行句は、こういう世界でも天下一品。向かうところ敵なしです。あやかってこちとらも作りたいのだが、余裕というものがないのですね。特に年末など……。『俳句 俳句年鑑一九九八年版』の[私が選ぶ「新しい」句BEST5]藤田あけ烏選より。(井川搏年)




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