茨木和生の句

December 25121997

 受付に僧ひとりゐて賀状書く

                           茨木和生

意先などに出す年賀状の宛名書きも、暮れのサラリーマンの仕事だ。忙しさの合間をぬって書くことになる。普段のデスクワークとは違うので、なんとなく落ち着かない。ふと、フロアの受付のほうに目をやると、黒衣の僧侶が立っているのが見える。当社に、何の用事があるのだろうか。これも、普段とは違う光景だ。気になりながらも、とにかく書いてしまわなければと、またペンを走らせるのである。ちょっとした異時間と異空間にいる気分を、受付に僧侶をひとり立たせることで巧みに表現した句だ。……と読むのは強引な深読みで、そのまま素直に「寺の受付」での光景と読むべきかもしれない。歳末の私という一読者の焦燥感が、せっかくの俳句をねじ曲げたかとも思う。どうだろうか。(清水哲男)


October 20102003

 山桜もみぢのときも一樹にて

                           茨木和生

の紅葉は早い。早い地方では九月の終わりころから色づきはじめ、他の樹の紅葉を待たずに早々と散ってしまう。ただ、句の場合は「山桜」だから、どうなのだろうか。子供のころの山の通学路に、それこそ山桜の「一樹」があったけれど、花の季節ならばともかく、紅葉のことなどは何も覚えていない。子供に、紅葉を鑑賞するような風流心はないし、あったら気色が悪い。端正な句だ。かくされているのは「花が咲くときも」であり、こうしてひっそりと年輪を重ねていく山桜の存在感をよく表している。私はこの種の自然のありようを人生の比喩として捉えるのは好まないが、掲句にはおのずからそのように読ませてしまう力が働いているようだ。やはり「一樹」だからだろう。盛りのときも枯れてゆくときも、せんじ詰めれば、しょせんは人も「一人」という思いを誘い出される。二十年も前のことだが、黒衣のシャンソン歌手ジュリエット・グレコが私の番組に出演してくれたことがあった。スタジオの窓からは皇居の紅葉がよく見える季節で、しばらく眺めていた彼女は「あれは私の色よ」と、かすかに微笑した。「私の色、人生の秋の色ね」と繰り返した。さすがにシャンソン歌手らしく上手いことを言うなと感心すると同時に、日本人なら「人生の秋」とまでは誰もが言うけれど、その色(紅葉)までを自分の年齢になぞらえることはしないなとちらりと思った記憶がある。むろんグレコが見たのは山桜の紅葉ではなかったが、掲句を読んで、ふっとそんなことも思い出されたのだった。『野迫川』所収。(清水哲男)


May 1152010

 横顔は猛禽のもの青葉木菟

                           茨木和生

葉木菟は初夏にやってきて、秋に帰る梟科の鳥である。夜行性だが、青葉のなかで時折その姿を見ることもある。丸顔に収まった大きな目で小首を傾げる様子など、なんとも愛くるしいが、大型昆虫類を捕食する彼らはまた立派な猛禽類なのだ。数年前になるが、明治神宮を散歩していたときのこと。この木の上に青葉木菟のすみかがあると教えてもらった。「声も姿もしないのにどうしてわかるのだろう」と不思議だったが、木の根本を見て了解した。そこには腹だけもがれた蝉の死骸が散らばっていたのだ。可愛らしい丸顔に収まったくちばしは、正面から見る限り小さく存在感が薄いものだが、横向きになれば見事に湾曲したそれは、肉を引きちぎったり、掻き出したりすることに特化した鷹や鷲に通じるかたちがはっきりわかる。まだ羽を震わせているような蝉の残骸に、青葉木菟の横顔をしかと見た思いであった。〈雲の湧くところにも家栗の花〉〈青空の極みはくらし日雷〉『山椒魚』(2010)所収。(土肥あき子)


June 1962010

 息づかひ静かな人と蛍の夜

                           茨木和生

種の蛍は、たくさんいても同じリズムで光るのだという。まだ薄明るい空を時々仰ぎながらじっと待っていると、ひとつ、またひとつ光り始め、気がつくと蛍の闇の中にいる蛍狩り。そのリズムが、熱を持たない光を、蛍の息づかいのように感じさせるのだろう。残念ながら私は、子供の頃近所の川で見たとか、句友数人と蛍狩りに行ったとかいう記憶しかない。この句の作者は、二人並んで同じ蛍を見ながら、同じ時間を過ごしていることに、同じ空気を吸っていることに、静かな喜びを感じている。まわりにたくさん人がいて話し声がしていても、作者に聞こえるのは目の前の蛍の鼓動と、隣にいる人のかすかな息づかいだけ。女流作家の蛍の夜の句とはまた違った艶を持つ句、遠い記憶の中の忘れられない蛍の夜、なのだろうか。『畳薦』(2006)所収。(今井肖子)


January 1912013

 雪催木桶二つに水張られ

                           茨木和生

はどんどん厚くなり空気は冷たく、今にも雪になりそうな気配が雪催。東京に住んでいるとそうそう体感することはないが、先週の日曜日の夕方に近所まで出かけた時、これは来るぞというまさに雪催を実感した。その空の色はただ灰色とか暗いとかでは表現できない圧迫感に満ちており、まだ風は無かったが空気の一粒一粒がきんと凍っている。これは明日の分まで買い物をして帰ろう、明日は雪見て巣籠りだね、ということになったがまさにその通りになってしまった。掲出句は翌日、成人の日に籠りつつ読んでいた句集『往馬』(2012)にあった。目の前の木桶にかすかな風がふれてゆく。水面には冷たい漣が立ち、映っているのはまさに前日に見たあの空なのだろう。どこにどんな木桶が置かれているのかわからないが、小さく張られた水が雪催の持つ得も言われぬ重さと静けさをくっきりと表している。(今井肖子)


August 2082013

 峰雲のかがやき盆は過ぎたれど

                           茨木和生

秋とは本当に名ばかりだと毎年のように思うが、俳句の世界ではその後はどんなに猛暑が続いても「残暑」「秋暑し」で乗り切らねばならない不自由が続く。そのなかで掲句の直球が心地よい。たしかにまごうことなき見事な峰雲がもくもくと出ているのだ。峰雲や入道雲とも呼ばれる通り、山に見立てられたり、大きな入道のかたちになぞらえたり、昔から親しんできた積乱雲は、雲のなかでももっとも背が高く、ときには成層圏にまで達することがあるという。若いときには8月といえば夏以外のなにものでもなく、夏が短いとさえ思っていたが、年を重ねるにつけ、夏の長さに辟易するようになってきた。掲句の下五の「過ぎたれど」には、「もう堪忍してよ」という弱音がちらりと感じられて面白い。ところで先日、積乱雲は海の上に出ているものか、山の向こうに出ているものか、と意見が分かれた。そして、それはふるさとの風景に大きく左右されていることに気づかされたのだった。〈青空のくわりんをひとつはづしけり〉〈くれなゐの色のいかにも毒茸〉『薬喰』(2013)所収。(土肥あき子)


November 10112015

 木の化石木の葉の化石冬あたたか

                           茨木和生

竜や昆虫以外にも化石はある。木にも木の葉にも、時代を超えて化石となって残っているものがある。思わぬタイミングで残ってしまったものの悲しみを冬の始めのあたたかな日差しが包む。それはまるで、生まれたての赤ちゃんを包むおくるみのように、やわらかで清潔な太陽のぬくもり。長い時間をさかのぼり、化石が木であり、青葉だった時代にも、同じように太陽は頭上に輝いていた。その頃の木はなにを見てきたのだろうか。山は盛大に噴火を繰り返し、見慣れない鳥が枝に羽を休めていたのだろうか。それぞれの時間がそれぞれのなかでゆっくりと流れていく。『真鳥』(2015)所収。(土肥あき子)




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