東京に初雪。すぐ雨に変わり、残念ながら見逃してしまった。予想最高気温は5度。




1997ソスN12ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 23121997

 数へ日の町に伸びゐる山の影

                           伊藤通明

年もあとわずか……。指折り数えるかどうかは別にして、そう思うだけで、故知れぬ感慨がわいてきたりする。この季節は、一年でいちばん日照時間が短いこともあり、文字どおりに「暮れる」という感じが肌に迫ってくるようだ。句の町は山に囲まれているから、日暮れも早い。あっという間に、山の影が小さな町を暗くしてしまう。いっそう、歳末感が濃くなるのである。「数へ日」という言葉は古くからあったが、季語となったのは太陽暦採用以後らしい。つまり、たとえば江戸期に「数へ日」というときは、いまの一月下旬頃にあたるから、むしろ春近しの明るいイメージがあったはずである。そんなに、センチメンタルな雰囲気はなかった。その意味で「数へ日」は太陽暦の申し子なのであり、絶妙な現代季語と言えよう。間もなく、今年も暮れていく。(清水哲男)


December 22121997

 古暦とはいつよりぞ掛けしまま

                           後藤夜半

暦とは、本来は不要になった去年の暦をのことをいうのだが、俳句では、新しい来年の暦が用意された頃の今年の暦をいう。日めくりだと、残り数枚というところか。いや、十数枚かもしれない。そのあたりがはっきりしないので、作者は疑問をそのまま句にしてしまった。トボけた味があって面白い。作者はおそらく、今年の暦と新しい年の暦とを並べて掛けているのだろう。新しい暦もよいが、使い慣れた暦には愛着がある。私などは、年末最後のゴミの日には捨てきれず、新年になってから処分する。何年か前に香港で買った暦は、いまだにちゃんと仕舞ってあるという具合。しかし、なかにはそうでない人もいるようで、柴田白葉女に「古暦おろかに壁に影おけり」がある。(清水哲男)


December 21121997

 爆音や霜の崖より猫ひらめく

                           加藤楸邨

の句は数あれど、戦争と猫の取り合わせは珍しいと思う。前書に「昭和十九年十二月二十一日戦局苛烈の報あり/午後九時、一機侵入、照空燈しきりなり」とある。「照空燈」はサーチライトのことだが、若い人は知らないかもしれない。手元にあるいちばん新しい国語辞典(三省堂『新明解国語辞典』第五版・97年11月刊)によれば、「夜、遠くの方まで照らせるようにした大型で強力な投光器。特殊な反射鏡を用いたりする。探照灯。(上空の敵機を探索するものは照空灯、海上の敵を探索するものは探海灯とも言う)」と解説してある。句は、照空燈が一瞬照らしだした霜の崖に、驚いた猫がひらりと舞ったところを描いている。寒さよりも緊張のために身震いする瞬間が、霜の猫に象徴されている。当時、ほんのちっぽけな子供でしかなかった私にも、この身震いはよくわかる。頭上の敵機は、たぶん爆撃機のB29だろう。高度一万メートルで飛来し、我が国の高射砲では届かなかった。『火の記憶』(1943-1945)所収。(清水哲男)




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