December 06121997

 膳棚へ手をのばしたる火燵かな

                           温 故

戸期の句。膳棚は椀などの食器を置いておく棚のことで、火燵(こたつ・炬燵)に入ったまま、何かを取るために棚の方に思いきり手をのばしている図。作者ならずとも、誰しもがそんな経験を持つ。だから、誰もがこの句にニヤリとしてしまう。漫画の「サザエさん」にも、似たようなシーンがあったような気がする。誰が言い出したのか、火燵には「無性箱」なる異名もあったという。近頃では室内暖房の様子も昔とはだいぶ違ってきて、炬燵も過去のものとなりつつあるが、炬燵がなくなっただけ、人の動きは活発になっただろうか。活発になったとしても、一家団欒の場が失われたこととの<損得勘定>はどんなものだろう。柴田宵曲『古句を観る』(岩波文庫)所載。(清水哲男)


February 0221998

 炬燵出て歩いてゆけば嵐山

                           波多野爽波

波は京都に暮らしていたから、そのまんまの句だ。「写生の世界は自由闊達の世界である」と言っていただけあって、闊達の極地ここにありという句境である。名勝嵐山には気の毒だが、ここで嵐山は炬燵並みに扱われている。そういえば、嵐山の姿は炬燵に似ていなくもないなと、この句を読んだ途端に思った。京都という観光地に六年ほど住んだ経験からすれば、嵐山なんぞは陰気で凡なる山という印象である。とくに冬場は人出もないし、嵐山は素顔をさらしてふてくされているようにしか見えない。観光地で観光業とは無縁に暮らしていると、名勝も単なる平凡な風景の一齣でしかないのだ。喧伝されている美しさや名称など、生活の場では意識の外にある。その一齣をとらえて、作者は「ほお、これが嵐山か」と、あらためて言ってはみたものの、それ以上には何も言う気になっていない。闊達とは、深く追及しないでもよいという決意の世界でもある。そこが面白い。『骰子』(1986)所収。(清水哲男)


December 06121999

 炬燵にて帽子あれこれ被りみる

                           波多野爽波

燵(こたつ)に膝を入れて、あれこれと帽子をかぶってみている。それだけの、そのまんま句だ。「それがどうしたの」と言いたいところだが、なんだか面白いなと、一方では思ってしまう。面白いと思うのは、私たちの日常茶飯の行為には、句のように、他人から見るとほとんど「無意味」に見えるそれに近いことが多いからだろう。すなわち、私たちは「意味」のために生きているわけではないということだ。句は、暗にそういうことを言っている。そして、このことをちゃんと素朴に表現できる文芸ジャンルが俳句にしかないことに気づくとき、私たちは愕然とする。短歌でもこのようには書けないし、ましてや現代詩ともなれば無理な相談である。いや、本当はどんなジャンルでも、書いて書けないことはないのだけれど、受け取る読者が戸惑ってしまうということが起きる。同じことを書いても、俳句だと「事実」と受け取れるのだが、他のジャンルだとそうは受け取らないという「暗黙の常識」があるからだ。俳句についてのこの「常識」は子規と虚子が広めたようなものだが、いまや偉大な功績だと思わざるを得ない。爽波の句はことごとく、その偉大に乗っかっている。そこがまた、私は偉いと思う。『一筆』(1990)所収。(清水哲男)


January 2212000

 ひとの部屋見廻してゐる炬燵かな

                           岡本高明

れぞ「思い当たらせる」句表現の代表格だ。読者の誰もが、思い当たるだろう。他家の部屋に通されて、炬燵(こたつ)をすすめられる。そこに座るまではよいのだが、その後で、誰もがなんとなく部屋を見廻してしまう。あれは、別に何を見ようとするわけではない。所在なく、とも一寸ちがう。なんとなく、なのだ。ほとんど、この行為は無意味かと思われる。深く考えたことはないけれど、ここで強いて言うならば、あれは人が新しい環境に適合するための本能的な行為なのかもしれない。周囲のありようと、できるだけ早くバランスをとるための準備というわけだ。編集者時代、劇作家の飯島匡さんのお宅にお邪魔したことがある。書斎での写真撮影を申し込んだところ、言下に断られた。「親しい友人でも、書斎には通さないことにしてるから……。なぜボクの書棚に『手紙の書き方』なんて本があるのかと、そう思われるだけでイヤなんだよ」。「なるほどねえ」と、私は心のうちで大いに思い当たった。カメラマンと一緒に通された飯島さんの応接間には、あらためて見廻してみると、たしかに見事に何もなかった。「俳句界」(2000年1月号)所載。(清水哲男)


December 07122000

 考へず読まず見ず炬燵に土不踏

                           伊藤松風

五中七までは、どうということもない。また老人の境涯句のようなものかと読み下してきて、下五でぴりっとしっぺ返しをくった。「考へず読まず見ず」は作者の意志によるものだが、「土不踏(つちふまず)」だけは意志の及ばないところだ。生まれたときから(正確に言えば歩きはじめてから)、土を踏まないようにできている。かたくなに「考へず読まず見ず」などと思い決めても、「土不踏」の長年の頑固にはとてもかなわんなあと、作者は気がつき、苦笑している。前段がどうということもないだけに、炬燵に隠れた「土不踏」がひょっこり登場したことで、笑いと軽みが飛び出してきた。軽妙にして洒脱。思わずも、シャッポを脱ぎました。同じ作者に「どこまでが鬱どこまでが騒雪霏々と」がある。「霏々」は「ひひ」。これまた「鬱」に対して「躁」ではなく、さりげなく「騒」と配したあたりが卓抜だ。たしかに「躁」は「騒」にちがいない。と、ここまでは種明かしをせずに紹介してきたが、実はこれらの句は、自分のことを詠んだのではない。連作の模様から想像するに、主人公は病身の妻である。「ひひ」の音感に、作者の戦きをいくばくか感じられた読者もおられるだろうが、そういうことのようだ。そこで、もう一度掲句に帰ってみると、にわかに滑稽の色は薄れ、作者の悲しみの念が色濃くなる。しかし、この悲しみの思いも作者の軽妙洒脱な手つきが呼び寄せるのであって、事情を知る知らずに関わらず、句の自立にゆらぎはないだろう。悲しみと滑稽は、ときに隣り同士になる。『現代俳句年鑑2001』(2000・現代俳句協会)所載。(清水哲男)


November 11112001

 贈り来し写真見てをる炬燵かな

                           高浜虚子

語は「炬燵(こたつ)」で、もちろん冬。こういう句に接すると、つくづく虚子は「俳人だなあ」と思う。なんだ、こりゃ。作者が、ただ炬燵で写真見てるだけジャンか。どこが面白いのか。凡庸にして陳腐なり。と、反発する読者もおられるだろう。かつての私もそう思っていたが、最近になって「待てよ」ということになった。というのも、たしかに名句ではないだろうけれど、この場面を自分が実際に句に仕立てるとなると、このように詠めるだろうかという疑問がわいてきたからだ。たぶん、私には無理である。(再び……)というのも、炬燵にあたっているゆったりとした時間のなかで、何枚かの「写真」を眺めていれば、おのずからいろいろな思いが触発されるわけで、どうしてもそれらを同時に表現したくなってしまうからだ。たとえば、このときは愉快だったとか、疲れてた、などと。だが、虚子はそれらの思いをばっさり切り捨てて、ただ「見てをる」と言った。なんでもないようだが、ここに俳人の俳人たる所以が潜んでいるのだと思う。これが「俳句」なんだよと、問わず語りのように知らんぷりをして、掲句は主張しているように写る。そう考えると、ここで「見てをる」の「をる」と「贈り来し」の「贈」は見事に響きあう。つまり作者は、写真から触発されたさまざまな思いをばっさりと切り捨てることによって、「贈り来し」人への挨拶を際立たせているのだ。ていねいに一枚ずつ拝見していますよ。「をる」とは、そういう措辞である。すなわち、読者一般には「どんな写真なのか」と思わせながら、その想像にかかっているはずの梯子をひょいと外して、実は写真を贈ってくれた特定の人に深い謝辞を述べているのだ。といって、私は作者が虚子だからそう思うのではない。「俳句」だから、そう思わざるを得ないのだ。『七百五十句』(1964)所収。(清水哲男)


December 18122002

 声を出すラジオの前の置炬燵

                           南村健治

語は「炬燵(こたつ)」で冬。職業柄、「ラジオ」の句は気にかかる。でも、最初に読んだときには、どういう情景を詠んだ句なのかわからなかった。というのも、そのままに「声を出すラジオ」と読んでしまったからだ。ラジオが声を出すのは、あまりにも当たり前すぎて、どこが面白いのかさっぱり理解できない。はてなと、しばらく睨んでいるうちに納得。実は「声を出す」はラジオだけにかかっているのではなくて、「置炬燵」にもかけられているのだと思えたからだ。そう読むと、にわかに掲句は愉快に動き出す。私の想像では、情景は次のようになる。ラジオを聞きながら置炬燵で暖まっていた人が、トイレに行くとか何かの都合で、ちょっと席を外したのだ。と、そこにポツンと残されたのは「声を出」しているラジオと、その「前の」声を出していないない置炬燵だけだ。人間が関わらない場合のラジオも置炬燵も、お互いに単なるポータブルな箱であるに過ぎない。そのことに気づいた(?!)置炬燵が、対抗してちょっと「声を出」してみたという、現実にはあり得べからざる情景……。と、ここまで書いて、もう一度句に戻ると、いや、いくら何でも、そんな突飛なことを詠むはずはないとも思えてくる。しかし、たとえ作者の意図から外れていたとしても、私は私の勝手な想像が大いに気に入っている。俳句の読みには、常にこういうことがつきまとう。そこに、無論そこだけではないけれど、俳句を読む楽しさがある。なあんて、単なる言いわけかもね。『大頭』(2002)所収。(清水哲男)


November 28112003

 炬燵せりこころ半分外に出し

                           中原道夫

かりますねえ、この気持ち。そろそろ「炬燵(こたつ)」を出そうかというとき、どこかに「いや、まだ早いかな」という気持ちが働く。ひとたび炬燵を出して入ってしまうと、つい離れるのが億劫になるので、それを警戒するからだ。外出はむろんのこと、隣の部屋に行くことすら面倒臭くなる。作者もそんな思いで我慢をしていたのだが、とうとう辛抱たまらずに、出すことにした。しかし、それでもなお「こころ半分」は炬燵の「外」に向けながらと言うのである。それほど炬燵は快適だし、かといって行動力が落ちるのも困るしと、逡巡しつつも「炬燵せり」の感じがよく伝わってくる。一瞬「炬燵せり」は「炬燵出す」でも面白いかなと思ったけれど、句のほうが既に炬燵に入りながらもまだ逡巡している可笑しさがあって、やはり「せり」で正解だろう。炬燵というと、いまはほとんどの家庭が赤外線コタツを使っている。戦後もだいぶ経ってからの発明だが、聞いた話では、発明者は小さな町工場の技術屋だったという。そのパテントを大手のメーカーが極安で手に入れ、盛大に宣伝しまくったことで、今日の隆盛をもたらした。でも、最初のうちはコタツの中が赤く見えなかったので、あまり売れなかったらしい。そこで一工夫して内部の電球を赤く塗ってみたところ見た目にも暖かそうになり、そこからブレークしたという話もある。機能や性能が優れていても、それだけでは売れないという商売の難しさ。パソコンではないけれど、インターフェイスのデザインはとても大事だ。我が家にも、この方式のコタツがある。出そうか出すまいか、まだぐずぐずと迷っている。『不覺』(2003)所収。(清水哲男)


December 13122004

 わが影を壁に見てゐる炬燵かな

                           大崎紀夫

語は「炬燵(こたつ)」。孤影。というと大袈裟になるが、深夜、ふっとおのれが一人きりになった感じを言い止めている。これがリタイアした高齢者の句だとさして面白みは無いけれど、このときに作者は四十代の後半だ。まさに、働き盛りである。日頃の仕事や雑事に追われて、自分を顧みる余裕などはなかなか無い。それが、自宅の炬燵でくつろいでいるうちに、いつの間にか壁に写った「わが影」を見ている自分がいた。これがオレなのか……。壁の影を見つめる行為には、鏡を見るのとは違って何の目的も無い。だからこそ余計に、さまざまなことに思いが至るきっかけになる。オレはいったい何をしているのか、何をしてきたのか……。自分の存在が卑小にも見え、心はかじかんでくる。明日になればケロリと忘れてしまう感慨ではあろうが、この種のひとりぼっちの実感を持つことは、その人の幅を育てるだろう。以下雑談だが、掲句から作者の部屋の炬燵の置かれた位置がわかる。かなり壁際に近い場所に置かれてないと、横の壁に自分の影は写らない。もちろん他の家具の配置との関係もあるが、たいていのお宅ではそのように置かれているのではあるまいか。そして来客のあるときだけ、真ん中辺に持ってくる。でも、部屋の真ん中にある炬燵は、何故か落ち着かないものですね。旅館などで真ん中に置かれていると、私は必ず壁際にずるずると移動させてからあたることにしています。貧乏性なのかなあ、とても殿様の器ではない。『草いきれ』(2004)所収。(清水哲男)


January 1812005

 南天よ巨燵やぐらよ淋しさよ

                           小林一茶

語は「南天(の実)」と「巨燵(こたつ・炬燵)」。前者は秋で後者は冬の季語だが、もう「巨燵」を出しているのだから、後者を優先して冬期に分類しておく。なにしろわび住まいゆえ、部屋の中の調度といえば「巨燵」くらいのものだし、戸障子を開ければ赤い「南天」の実が目に入ってくるだけなのだから……。たぶん父に死なれた後の弟との遺産争いの渦中にあったころの作だろうが、いかにも「淋しさ」が何度もこみあげてくるような情景である。信州だから、おそらくは雪もかなりあっただろう。その白い世界の南天の実は、ことのほか鮮やかで目にしみる。けれども心中鬱々としておだやかではない作者には、自然の美しさを愛でる余裕などはなかったろうから、鮮烈な赤い実もかえって落ち込む要因になったに違いない。つい弱音を吐いて「淋しさよ」と詠んでしまった。そうせざるを得なかった。でも、妙な言い方になるけれど、これほど吠えるように「淋しさよ」と言い放つたところは、やはり一茶ならではと言うべきか。文は人なり。そんな言い古された言葉が、ひとりでに浮かんできた。(清水哲男)


January 2712005

 吸殻に火の残りをる枯野かな

                           山口珠央

語は「枯野」で冬。誰が捨てたのか、煙草の吸殻が落ちている。気になったので立ち止まってよく見ると、まだかすかに火がついたままだ。うっすらと煙も立ち上っている。あたりは一面の「枯野」原だ。危ないではないか、火事になったらどうするのだ。捨てるのならば、消えたかどうかをきちんと確認してほしいものだ。……といったような、心ない煙草のポイ捨てにいきどおっている句では、実はないだろう。作者が意図したのはおそらく、眼前に広がる枯野がどのような枯野なのかを、描写的にではなく実感的に提示したかったのだと読む。だから実際にそこに吸殻は落ちていなかったのかもしれないし、落ちていたとしても完全に火は消えていたのかもしれない。いずれにしてもそこに火の消えていない吸殻を置くことによって、見えてくるのはいかにも乾いていてよく燃えそうな枯れ木や枯れ草、枯れ葉の一群であり、それらが延々と広がっている情景だ。いかに描写を尽くそうとも伝わらないであろう実感的な情景を、小さな吸殻に残ったちいさな火一つで伝え得た作者のセンスはなかなかのものだと思う。作者の句としては、他に「トラックやポインセチアを満載に」「古物屋や路地にせり出す炬燵板」などがある。いままで知らなかった名前の人だが、こういう才能を見つけると嬉しくなってくる。煙草が美味い。「俳句」(2005年2月号・「17字の冒険者」欄)所載。(清水哲男)


January 0912008

 古今亭志ん生炬燵でなまあくび 

                           永 六輔

草は過ぎたけれども、今日あたりはまだ正月気分を引きずっていたい。そして、もっともらしい鑑賞もコメントも必要としないような掲出句をながめながら、志ん生のCDでもゆったり聴いているのが理想的・・・・・本当はそんな気分である。いかにも、どうしようもなく、文句なしに「志ん生ここにあり」の図である。屈託ない。炬燵でのんびり時間をもてあましているおじいさま。こちらもつられてなまあくびが出そうである。まことに結構な時間がここにはゆったりと流れている。特に正月の炬燵はこうでありたい。志ん生(晩年だろうか?)に「なまあくび」をさせたところに、作者の敬愛と親愛にあふれた志ん生観がある。最後の高座は七十八歳のとき(1968)で、五年後に亡くなった。高座に上がらなくなってからも、家でしっかり『円朝全集』を読んでいたことはよく知られている。一般には天衣無縫とか豪放磊落と見られていたが、人知れず研鑽を積んでいた人である。永六輔は「東京やなぎ句会」のメンバーで、俳号は六丁目。「ひょんなことで俳句を始めたことで、作詞家だった僕は、その作詞をやめることにもなった」と書く。言葉を十七文字に削ると、作詞も俳句になってしまうようになったのだという。俳句を書いている詩人たちも、気を付けなくっちゃあね(自戒!)。矢野誠一の「地下鉄に下駄の音して志ん生忌」は過日、ここでとりあげた。六丁目には「遠まわりして生きてきて小春かな」という秀句もある。『友あり駄句あり三十年』(1999)所載。(八木忠栄)


November 18112009

 炬燵して語れ真田が冬の陣

                           尾崎士郎

の時季、北国ではもう炬燵が家族団欒の中心になっている。ストーブが普及しているとはいえ、炬燵にじっくり落着いてテコでも動かないという御仁もいらっしゃるはずである。広い部屋には炬燵とストーブが同居しているなどというケースも少なくない。日本人の文化そのものを表象していると言える。「真田が冬の陣」とは、言うまでもなく真田幸村が大坂城で徳川方を悩ませた「冬の陣」のことをさす。その奮戦ぶりを「語れ」という、いかにも歴史小説家らしい着想である。幸村はその後、「夏の陣」で戦死する。私は小学生の頃、炬燵にもぐり込んで親戚の婆ちゃんから怖い話も含めて、昔話を山ほど聞いた思い出がある。しかし、その九割方はすっかり忘れてしまった。炬燵の熱さだけが鮮明に残っているのは我ながら情けない。大学一年の頃は、アパートのがらんとした三畳間で電気炬燵に足をつっこんで、尾崎士郎の「人生劇場」(これまで十数回映画化されている)をトランジスターラジオにかじりついて毎夜聴いていた。古臭い主題歌に若い胸を波立たせていたっけなあ。物語をじっくり話したり聴いたりするのには炬燵こそ適している、と思うのは私が雪国育ちのせいかもしれない。士郎は俳句を本格的に学んだわけではなかった。他に「うららかや鶏今日も姦通す」がある。蕪村には「腰ぬけの妻うつくしき炬燵かな」。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 1912011

 思うことなし山住みの炬燵かな

                           石川啄木

の人は思考停止の状態で、炬燵に入っているのだろう。失意の果て今は何も思わず考えず? 北海道時代の啄木のある日ある時の自画像かもしれないが、啄木のことだから、まったくのフィクションとも考えられる。「山住み」ゆえにのんびりとして、暇を持て余し所在なく炬燵にもぐっている。今は何ごとにも手をつける気力もなく、ただ炬燵で時をやり過ごして、何の意欲もわいてこない。まあ寒い時季に、妙にあくせくしているよりはむしろ好ましいか。失意のどん底にあるというわけでもなさそうだ。「……渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川」ではないが、啄木の歌には「思ふ」という言葉が頻繁に遣われている。「ことさらに燈火を消して/まぢまぢと思ひてゐしは/わけもなきこと」――暗がりでわけもないことに思い煩っているよりは、「百年(ももとせ)の長き眠りの覚めしごと/あくびしてまし/思ふことなしに」、つまり余計なことに思い煩わされることなく、炬燵であくびでもしていましょうや、というわけか。啄木の俳句は数が少なく、しかもいずれも月並句のレベルを出ない。年譜からも、幾多の解説の類からも啄木句はほとんど無視されている。だから上手下手はともかく、逆に珍しさが先に立つ。啄木の思考や感情は、俳句という表現形式では盛りきれなかった。十七文字と三十一文字の差異を改めて見せつけられる。ほかに「冬一日火に親しみて暮れにけり」がある。いかにも啄木。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 1612014

 孫を抱く孫は猫抱く炬燵かな

                           柳沼新次

いなぁ。おじいちゃんの膝にすっぽりはまる孫の暖かさ、孫の腕の中で眠る猫はすやすや。団子のように身を寄せ合ってあったまるのが冬の楽しみ。マンション暮らしの床暖房で長らく炬燵と無縁の生活をしている私などは、ほのぼのとした炬燵の風景に憧れてしまう。炬燵の上にはミカンがあって、孫のぬくもり猫のぬくもりが心地いい。掲句が収録されている句集の多くは介護度5の妻を支える日常を静かな心で受け止め詠んだ句が多い。「三十歩歩けた妻にポインセチア」「羽布団横掛けにして二人して」それと同時に老年を来て小春日和のようなひとときがある喜びをこれらの句から感じることが出来る。『無事』(2013)所収。(三宅やよい)


February 2122014

 夜着いて燈はみな春や嵐山

                           波多野爽波

事の都合だろうか。目的地に到着したら、夜だった。あちこちに明かりが点っている。その明かりは、みな、春なのだという感慨。無事に着いた安堵感をこころにしながら、灯しはどれもみな、キラキラと燦めいて見える。「や」の切字は、思いの深さを語っている。下五「嵐山」ではじめて到着地点が明かされるが、作者の京都への思い入れは格別。「炬燵出て歩いてゆけば嵐山」という軽妙洒脱な句もある。(中岡毅雄)


November 28112014

 田鳧群れ冠羽を動かさず

                           岩淵喜代子

鳧(タゲリ)は頭に反り返った冠羽(かんむりばね)がある冬鳥で、刈取り後の田や草地に群れて、ミューミューと猫のように細く鳴く。警戒心が強くすぐに飛び立つ習性がある。ふわりふわりとした羽ばたきも特徴である。チドリ科の30cm位の鳥でちょこまかと歩く。顔立ちがすっきりした鳥なので双眼鏡でいくら見ていても飽きない。一群れの田鳧のその見飽きない冠羽を観察していると彼等も息を詰めこちらを眺める。冠羽の動きも止まった。じっと静かに対峙する時が流れてゆく。他に<夏満月島は樹液をしたたらす><誰かれに春䡎の火種掘り出され><僧といふ風のごときを見て炬燵>などあり。『岩淵喜代子句集』(2005)所収。(藤嶋 務)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます