季語が焼藷の句

November 26111997

 焼芋を二つに折れば鼻熱し

                           吹田孤蓬

のまんまの句。たしかに、焼芋は二つに折ってから食べる。折ると、湯気が鼻をつく。その一瞬をとらえた微笑ましい作品だ。いますぐに、焼芋を食べたくなった読者もいるのではないだろうか。私は、あまり食べない。ここ数年間は口にした覚えがない。なにせ戦後の食料不足時代に、芋ばかり食べていたので、どうしても当時のみじめな記憶が甦ってきて、食欲とは結びつきにくいからだ。最近、近くの武蔵野一中の創立五十周年記念スライドのためのシナリオを読んでいたら、弁当の中身は「芋だけだった」という記述に出会った。というわけで、わが世代は芋や南瓜には弱いのである。それと、焼芋を買って食べるという発想にもなじめない。とてつもない贅沢をするようで、後ろめたい思いがする。貧乏根性も、しっかり身についているらしい。(清水哲男)


November 18111999

 焼芋の固きをつつく火箸かな

                           室生犀星

芋といっても、いろいろな焼き方がある。焚き火で焼いたり、網やフライパンで焼いたり、石焼芋もあるし、近年では電子レンジでチンしたりもする。もっとも、電子レンジで調理する場合は「焼く」という言葉は不適当だ。といって「蒸かす」も適当でないし、やはり「チンする」とでも言うしかないか(笑)。句の場合は、囲炉裏で焼いている。犀星の時代にはごく普通の焼き方であり、焼け具合を見るために、火箸でつついている図だ。短気だったのだろう。焼けるのが待ち切れなくて「固きをつつ」いているわけだが、一人で焼いているのならばともかく、こうした振る舞いは周囲の人に嫌われたと思う。芋だけではなく、ついでに囲炉裏の火までつつきまわす人もおり、貧乏性の烙印を捺されたりもした。もちろん犀星は自分の行為に風流を感じて作ったのだろうが、あまり褒められた姿ではない。……と、百姓の子としては言っておきたくなる。囲炉裏での火箸の扱いは、ゆったりとした心持ちのなかで、はじめて(風流)味が出てくる。犀星は百姓のプロじゃなかったから仕方がないけれど、火箸の上げ下ろしは、あれでなかなか難しいのである。そう簡単に、カッコよくはできないものなのだ。(清水哲男)


December 29121999

 焼芋や月の叡山如意ヶ岳

                           日野草城

館曹人に「月も路傍芋焼くための石を焼く」がある。夜の食べ物と決まったわけではないけれど、やはり寒い夜に食べてこその焼芋(表記は「焼藷」が望ましい)だ。で、夜となれば「月」。曹人句の月は大きく、草城句のそれは遠望する比叡山にかかった小さな月である。いずれも印象深いが、如意ヶ岳の月は京都の底冷えを言外に語っていて鮮やかだ。手にしたあつあつの焼芋との対比で、いっそうの寒さが伝わってくる。例年この時季になると、京都ならぬ東京も郊外の井の頭公園に、車で昼間やってくる焼芋屋がいる。公園に遊びに来る人目当てなのだろうが、年の瀬の人々はそれどころではないようで、見向きもしない。商売になってるのかなと、余計な心配までしてしまうほどだ。しかも、例の「イーシヤーキィイモーッ」の呼び声は、小学生と思われる女の子の声である。助手席あたりのマイクから呼びかけているようで、姿は見えない。ときどきトチッては、笑ったりしている。最近では子供を前に押し立てる商売を見かけなくなったので、通りかかるたびに気になる。(清水哲男)


November 08112000

 土佐脱藩以後いくつめの焼芋ぞ

                           高山れおな

佐脱藩というのだから、主人公は坂本龍馬だろう。脱藩したのは、二十八歳の春(文久二年・1862)。高知城下から四国山脈を越えての決死の脱藩行だった。この間、八日と言い伝えられる。以後、近江屋で暗殺されるまでの経緯は、ご案内の通り。彼の思想と行動への評価はここではおくとして、革命家と呼ぶにふさわしい生涯だったとは言える。その颯爽たる革命家に焼芋を食わせたのが、掲句のミソだ。食わせたうえに、あれから何本くらい食ったろうかと、しようもないことを考えさせている。天下国家とは、何も関係のない龍馬の姿。革命家であろうが誰であろうが、焼芋も食うしメシも食う。しようもないことも思案する。ただそれだけのことを突きだした句だけれど、これで皮肉は十分に利いている。龍馬に対する皮肉ではなく、龍馬ファンに対するそれであることは言うまでもあるまい。この句を読んで、桑原武夫の「中世フランス文学史」の講義の一端を思い出した。「小説家や詩人が、何を食ってたか、どんな女とねんごろだったか。そんなことはくだらんことと、君らは思うやろう。本当は、そこが大事なんやで……」。同じ時期に、鶴見俊輔から「エピソードは大事なんです」という話も聞いた。私たちは、つい固定観念で、あの人はああいう人と捉えてしまいがちだ。そうは問屋がおろさないのですよと、掲句はやんわり告げている。加えて、焼芋を頬張る龍馬の姿には哀感もある。この哀感があって、俳句になった。俳誌「豈」(33号・2000年10月刊)所載。(清水哲男)


October 20102005

 火の粉撒きつつ来るよ青年焼芋屋

                           山田みづえ

語は「焼芋(焼藷・やきいも)」で冬だが、実際の「焼芋屋」商売は季語に義理立てなんかしちゃいられない。我が家の近辺にも、かなり冷え込んだ一昨夜、颯爽と登場してまいりました。焼芋屋が「颯爽と」はちょっと違うんじゃないかと思われるかもしれないが、これが本当に「颯爽」としか言いようがないのだから仕方がない。というのも、軽トラに積んだ拡声器が流していたのは、例の売り声「♪やぁ〜きぃも〜〜 やぁ〜きぃも〜 いしぃ〜やぁ〜きいも〜〜 やぁ〜きぃも〜」ではなくて、何とこれがベートーベンの「歓喜の歌」だったのだから……。意表を突くつもりなのか、それともクラシック好きなのか、遠くから聞こえてきたときには一瞬なんだろうと思ってしまった。掲句の焼芋屋の趣も、かなり似ている。焼芋屋というと何となく中年以上のおじさんを連想してしまうが、これがまあ、実はまだ若々しい青年なのでありました。その若さの勢いが、屋台の「火の粉撒(ま)きつつ」とよく照応していて、出会った作者は彼の元気をもらったように、明るい気持ちになっている。季語「焼芋」の醸し出す定型的な古い情趣を、元気に蹴飛ばしたような句だ。彼の売り声は、どんなだったろうか。昔ながらの「♪やぁ〜きぃも〜〜 やぁ〜きぃも〜」も捨て難いけれど、売り声もこれからはどんどん変わっていくのだろう。でもどうひいき目に考えても、ベートーベンではとても定番にはなりそうもないけれど。『手甲』(1982)所収。(清水哲男)


November 18112005

 焼藷を買ひ宝くじ買つてみる

                           逸見未草

語は「焼藷(やきいも)」で冬。いよいよシーズンですね。我が家の近辺にも、毎晩のように売りにきます。いわゆる流しの焼芋屋がうまれたのは、明治期と言われています。ただし、掲句の焼藷は流しから買ったのではなく、近くに宝くじ売り場があるのですから、町中の店からでしょう。良い匂いに誘われて、作者はふと買う気になって焼藷を買った。小さな衝動買いというわけだが、ほこほこと暖かい包みを手にして歩きはじめると、今度は宝くじ売り場が目にとまり、これまたなんとなく何枚かを買ったというのである。ただそれだけのことながら、読者にはこのときの作者の気持ちがよくわかるような気がする。それは句によって、作者の心のゆとりが感じられるからだ。焼藷も宝くじも、べつに一大決心して買うようなものじゃない。かといって、心が気ぜわしかったりすると、そんなものの前は通り過ぎてしまう。こういうものが目にとまるのは、その人の心に普段よりも余裕があるせいである。余裕があるからたわむれに焼藷を買い、連鎖反応的に宝くじを求める気持ちわいてきた。ほこほこと手に暖かい焼藷と、宝くじに当るかもしれないという心の暖かさとが、読者をもなごませる……。でも不思議なもので、この買い物の順序が逆だと、句の印象はまったく変わってしまう。最初に宝くじを買ったとすると、これは衝動買いではなく、意識的に目がけての買い物になってしまうからだ。で、次に焼藷と来ては、作者がなんだか世知辛い世の中であくせくと生きているように思えてきて、わびしくすら感じられる。この句では、この順序が大切なのだ。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 18112011

 焼藷の破片や体を伝ひ落つ

                           波多野爽波

〜んと唸ってこりゃすごいやと思う句は才能を感じたときだな。巧いとかよくこんな機智を考えついたなというのは大した感動じゃない。こりゃあ、ついていけん、負けたという句に出会いたいのだ。そういう意味ではこの句には僕は脱帽だ。まず破片という言葉の発想が出ない。伝ひ落つも出ないな。これが滑稽を狙った句に見える人はだめだな。焼藷→女性が好き→おならというような俗の連想でしか事象を見られないとこの句が滑稽の句になる。焼藷を食う。ぼろぼろと皮が落ちる。男でも女でも老人でも子どもでもいい。即物客観。連続する時間の中の瞬間が言い止められている。これが「写生」の真骨頂だ。「はじめより水澄んでゐし葬りかな」「大根の花や青空色足らぬ 」「大根の花まで飛んでありし下駄」爽波さんにはこんな句もあるがみんなイメージの跳び方に独自性を図ってそれを従来の型に嵌めこんだ句だ。ここには熟達した技量は感じられてもそれをもって到達できる範囲だという感じがある。この句は技術や努力では出来ません。『湯呑』(1981)所収。(今井 聖)


December 28122013

 焼藷がこぼれて田舎源氏かな

                           高浜虚子

前初めて『五百句』を読んだ時、その一句目が〈春雨の衣桁に重し戀衣〉で、いきなり恋衣か、と思ったが、必ずしも自分の体験というわけではなく目に止まった着物から発想したのだと解説され、え、そういう風に作っていいの、と当時やや複雑な気分になった。その後「戀の重荷」という謡曲をもとにしていると知り、昔の二十歳そこそこはそういう面は大人びているなと思いながら、恋衣と春雨にストレートな若さを感じていた。掲出句の自解には「炬燵の上で田舎源氏を開きながら燒藷を食べてゐる女。光氏とか紫とかの極彩色の繪の上にこぼれた焼藷」とある。ふと垣間見た光景だろうか、五十代後半の作らしい巧みな艶を感じるが、春雨と恋衣、焼藷と光源氏、対照的なようでいて作られた一瞬匂いが似ている。『喜壽艶』(1950)所収。(今井肖子)


October 16102014

 焼藷を二つに割つてひとりきり

                           西野文代

の頃は温暖化防止のためビルの屋上にサツマイモを植える企業を増えているという。雨風や日照りなどの厳しい環境にも強く葉を茂らせ、何より収穫の喜びがあるから人気なのだろう。何といってもサツマイモがおいしいのは今頃の季節。ピーと煙突を鳴らして屋台を引きながら焼き芋屋がやってくる。アツアツの焼き芋を新聞紙にくるんでもらう。家で作るふかし芋とは焦げ目のついた皮のぱりぱり感、割った時のしっとりホカホカ具合が全然違う。さて掲句では二つに割って湯気のたっている片方を「はいっ」と渡す相手もいない。こんな時一人で暮らす味気なさがつくづく感じられるものだ。アツアツの焼き芋だからこそ「二つ」と「ひとりきり」の対比に分け合う相手のいない寂しさを感じさせる。『それはもう』(2002)所収。(三宅やよい)




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