いまや、日本はモノ凄く変である。何か暖かいものが欲しいな。せめて言葉でも。




1997ソスN11ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 25111997

 類焼の書肆より他に吾は知らず

                           森田 峠

つもよく通る町の一角が火事になった。現場にさしかかると、何軒かの店が無惨に焼け落ちている。しかし、知っている店といえば書肆(書店)だけで、隣の店もその隣も、はてどんな店だったのか。作者は思い出せず、そのことに驚いている。火事でなくても、こういうことはしばしば経験する。新しい建物が建つと、以前はここにどんな建物があったのか、しばらく考え込んだりする。ことほどさように、人間の目は不確かなものだ。見ているつもりで、自分に必要な対象以外は、ほとんど何も見ていない。この句を読んで、私もよく出入りする本屋の隣の店が、何を商っているのかを知らないでいることに気がついた。話は変わるが、昔から「三の酉」まである年は火事が多いという。今年は、その年に当たっている。火の用心。『避暑散歩』(1973)所収。(清水哲男)


November 24111997

 街道に障子を閉めて紙一重

                           山口誓子

さにこの通りの家が、昔は街道沿いに何軒もありました。障子の下のほうには、車の泥はねの痕跡があったりして……。夜間は雨戸を閉めておくのですが、昼間は障子一枚で街道をへだてているわけで、この句の「紙一重」は言いえて妙ですね。街道沿いとはいえ、いまのようにひっきりなしに車の往来がなかったころの光景です。障子の内側で暮らす人たちの生活ぶりまでが想像されて、懐しい感情を呼び醒される一句でした。障子といえば、私が子供だったころには、どこの子も「ちゃんと閉めなさい」と親から口喧しくいわれたものです。おかげでマナーが身についたせいか、いまだに宴席でトイレに立つときなど、障子の閉め具合が気になります。そんな習慣の機微を詠んだ句に、北野平八の「障子閉じられて間をおき隙閉まる」があります。これまた名句というべきでしょう。(清水哲男)


November 23111997

 アルミ貨ほど身軽し勤労感謝の日

                           香西照雄

体の調子がよいときなど、我ながら身軽だなと感じるときがある。痩せていようが肥っていようが、関係はない。身軽と感じるとき、人は一瞬自分の体格や体重を意識するのである。この場合は、アルミ貨ほどに感じたというのだから、ほとんど体重感覚はゼロに近い。身軽さが頼りなさにつながっている。こんな身体でよくも今日まで働いてこられたな……という感慨。と同時に、アルミ貨に「薄給」を匂わせている……という技術。祝日名が長いので、この日についてはなかなかよい作品が見当たらない。というよりも、作品の絶対量が不足しているというべきか。(清水哲男)




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