娘のリサイタルが終りなんだかんだで午前一時に帰宅。多くの人々の善意に感謝。




1997ソスN11ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 24111997

 街道に障子を閉めて紙一重

                           山口誓子

さにこの通りの家が、昔は街道沿いに何軒もありました。障子の下のほうには、車の泥はねの痕跡があったりして……。夜間は雨戸を閉めておくのですが、昼間は障子一枚で街道をへだてているわけで、この句の「紙一重」は言いえて妙ですね。街道沿いとはいえ、いまのようにひっきりなしに車の往来がなかったころの光景です。障子の内側で暮らす人たちの生活ぶりまでが想像されて、懐しい感情を呼び醒される一句でした。障子といえば、私が子供だったころには、どこの子も「ちゃんと閉めなさい」と親から口喧しくいわれたものです。おかげでマナーが身についたせいか、いまだに宴席でトイレに立つときなど、障子の閉め具合が気になります。そんな習慣の機微を詠んだ句に、北野平八の「障子閉じられて間をおき隙閉まる」があります。これまた名句というべきでしょう。(清水哲男)


November 23111997

 アルミ貨ほど身軽し勤労感謝の日

                           香西照雄

体の調子がよいときなど、我ながら身軽だなと感じるときがある。痩せていようが肥っていようが、関係はない。身軽と感じるとき、人は一瞬自分の体格や体重を意識するのである。この場合は、アルミ貨ほどに感じたというのだから、ほとんど体重感覚はゼロに近い。身軽さが頼りなさにつながっている。こんな身体でよくも今日まで働いてこられたな……という感慨。と同時に、アルミ貨に「薄給」を匂わせている……という技術。祝日名が長いので、この日についてはなかなかよい作品が見当たらない。というよりも、作品の絶対量が不足しているというべきか。(清水哲男)


November 22111997

 しぐるゝや駅に西口東口

                           安住 敦

の出口で待ち合わせた。そんなに大きくはない駅だから、すぐにわかるだろうという計算だった。ところが、駅に着いてみると出口が二つあって、どちらに出て待てばよいのかがわからない。こういうことは、よく起きる。いまどきの高架線の駅であれば、東口から西口を往復するのは割に簡単だが、昔風の駅ではそうもいかない。いったんどちらかの改札口を出てしまうと、反対側の出口にはなかなか行けない。入場券を買ってもう一度ホームに戻るか、あるいは近くの踏切を見つけて大回りするかしか方法がない。おりから時雨れてきたホームでの、ちょっぴり不安な思案の図……。さて、それではここはいったいどこの駅かということになるのだが、調べ魔の友人が、東京の「田園調布駅」だと突き止めてくれた。(清水哲男)




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