ただいま帰宅。午前2時30分。ひさしぶりの新宿の夜は楽しさ半分、しんどさ半分。




1997ソスN11ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 15111997

 花嫁を見上げて七五三の子よ

                           大串 章

五三の子と花嫁が神社で鉢合わせ。着飾った小さな子供たの間でだからこそ、花嫁はひときわ目立つだろう。子供の目にも異質とうつるのだろうか、千歳飴を引きずるようにしてポカンと見とれている姿が可愛らしい。そこをすかさずスナップした作者の目もハンパじゃない。ちなみに、千歳飴は親戚などへの配り物にするのが本来で、子供が自分で舐めるものではありません。ところで、大串君も私も、七五三の頃は戦争の渦中にあった。七五三という行事があることさえ知らなかった。しかし、そんななかでもちゃんと七五三を祝ってもらった友人もいて、写真を見せてもらったら、軍服姿でひどく緊張していた。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


November 14111997

 小春日のをんなのすはる堤かな

                           室生犀星

全体が春の日のようにまろやか。女も土手も、ぼおっと霞んでいるかのようだ。平仮名の使い方の巧みさと二つ重ねた「の」の効果である。とくに旧仮名の「をんな」が利いている。新仮名の「おんな」では、軽すぎてこうはいかない。ところで、八木忠栄の個人誌「いちばん寒い場所」(24号・1997年11月)の表紙に、犀星のこんな文章が引用されていた。「『一つ俳句でもつくって見るかな』といふ軽快な戯談はもはや通らないのである。『俳句は作るほど難しくなる』といふ嘆息がつい口をついて出てくるやうになると、もう俳句道に明確にはいり込んでゐるのだ。どうか皆さん、『俳句でも一つ作って見るか』などといふ戯談は仰有らないやうに、そして老人文学などと簡単に片づけてくださらないやうに」。「俳句道」には恐れ入るが、言いたいことはよくわかる。上掲の句は『遠野集』所載。(清水哲男)


November 13111997

 焚火せる子らは目敏く教師を見

                           森田 峠

者は高校教師(市立尼崎高校国語科担当)だったから、焚火をしているのは高校生たちだ。下校途中の空き地か河原あたりの情景だろうか。「ウチの生徒だな」と作者が気がつくのと同時くらいに、いやそれ以前にか、もう生徒たちは目敏く(めざとく)も自分の姿を認めてしまっている。いつの時代にも、教師と生徒との関係はこんな具合であるようだ。雑踏のなかを歩いていても、いちはやくお互いを発見してしまえるのも不思議といえば不思議である。何か特殊なテレパシーでも働くのだろう。日常的に、それほどの緊張関係にあるということである。同じ作者に「うしろにも眼がある教師日向ぼこ」がある。『避暑散歩』(1973)所収。(清水哲男)




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