暦の上では今日から冬。昨夜の東京は冷え込んだ。北向きの部屋で北枕で寝ている私。




1997ソスN11ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 07111997

 秋の雲立志伝みな家を捨つ

                           上田五千石

月に急逝した作者の、いわば出世作。その昔は、何事かへの志を立てた人物は、まず「家」からの自立問題に懊悩しなければならなかった。多くの立志伝の最初の一章は、そこから始まっている。晴朗にして自由な秋の雲に引き比べ、なんと人間界には陰湿で不自由なしがらみの多いことか。嘆じながら作者は、再び立志伝中の人々に思いをめぐらすのである。継ぐべき「家」とてない現代は、価値観の多様化も進み、志の立てにくい時代だ。このことを逆に言えば、妙な権威主義的エリートの存在価値が希薄になってきたということであり、私はこの流れに好感を持っている。ふにゃふにゃした若者の志が、如何にふにゃふにゃしていようとも、「家」とのしがらみに己の人生を縛られるような時代だけは、私としてもご免こうむりたいからだ。『田園』所収。(清水哲男)


November 06111997

 鷹ゆけり風があふれて野積み藁

                           成田千空

のように街の中をかけずりまわっている生活では、めったに田園風景を見ることがない。少年時代の農村暮らしとはエラい違いだ。したがって、この句のような野積みにされた藁も知らないでいる。見かけたら、たぶん無惨だと思うだろう。昔は芸術品といってもよいほどの藁塚が、どんな田圃にも立っていたものだ。それが百姓の子の晩秋の抒情的風景のひとつでもあった。「俳句研究」の11月号(1997)を読んでいたら、作者の自註が載っていて「藁はただ野積みにされ、ことごとく焼かれてしまう時代になった。稲藁を焼き払って出稼ぎにゆく。……」とあった。空には藁塚の昔と変わらぬ凛とした鷹の飛翔する姿がある。この対比において、この句は作者の凛乎とした姿を伝えているのだ。昔はよかった、というのではない。切実な現世的事情が農民をして、みっともなくも荒っぽい所業に追いやったことを、作者は秋風とともに悲しんでいるのである。(清水哲男)


November 05111997

 寝ておれば家のなかまで秋の道

                           酒井弘司

つかれずにいると、たまさか猛烈な寂しさに襲われることがある。理由など別にないのであるが、心の芯までが冷えてくるような孤独感にさいなまれる。これで聞こえてくるものが、山犬や狼の遠吠えであったりしたら、もうたまらない。作者は、いわゆる「都会」に住んでいる人ではないから、これに似た寂寥感を覚えているのだろう。それを描写して「家のなかまで秋の道」としたところが凄いと思う。人間のこしゃくな智恵の産物である「家」のなかにも、古くから誰とも知らぬ人々が自然に踏みわけてきた道は、それこそ自然に通じていて当然なのだ。私たちはみな、路傍ならぬ道の真ん中で寝ているようなものなのだ。しかも物みな枯れる「秋の道」にである。怖いなア。不眠症の人は、この句を知らないほうがいいでしょうね。あっ、でも、もう読んじゃったか……。では、少なくとも今夜までに早く忘れる努力をしてくださいますように。『青信濃』(1993)所収。(清水哲男)




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