「アサヒグラフ」野球時評連載10年。来週は哀しき脱税問題を取り上げねばなるまい。




1997ソスN11ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 04111997

 空がまだ濁らぬ時刻小鳥くる

                           大庭三千枝

の夜明けは遅い。早起きの作者が待ちかねて窓を開けると、しらじらと明け初めた空の一角には、もう小鳥たちが飛んでいる。同じ冷気のなかにある人と小鳥。「おおい、おはよう……」と声をかけたくなるような親愛感が湧いてくる。人も車も動きださない時刻の空は、あくまでも透明で爽やかだ。さりげない情景だが、秋の早朝の気分をよくとらえていて、好もしい。早起きの人には、とりわけてよい句に思えるだろう。ところで、この句の季語は何でしょうか。「小鳥来る」が秋の季語であることを知らない人は、けっこう多いと思います。小鳥なんて、いつだって来るからです。このあたりが季語の厄介なところですが、俳句の世界では、昔から秋に渡ってくる小鳥たち(つぐみ、ひわ、あおじ等)に限定して使ってきました。他の季節の小鳥と違い、群をなして飛ぶ様子が印象的だからなのでしょう。『花蜜柑』(1997)所収。(清水哲男)


November 03111997

 文化の日一日賜ふ寝てゐたり

                           清水基吉

正月と同じように、祝日を寝て過ごすという句は多い。人間には、世間のはなやぎに背を向ける「快味」というものもあるからだ。ただし、この句の作者はすねているのではない。「賜ふ」というのだから、ありがたい気持ちで寝て過ごしている。なぜありがたいのかと言うと、この日は戦前は明治天皇の誕生日で旗日(天長節・明治節)だったが、敗戦を境に軍国調は排除されることになり、祝日としてのポジションが危うくなった。それが平和憲法の公布を記念して昭和23年に「文化の日」とあらたまり、祝日として延命されることになったからである。理屈はともかくとして、休みが確保されてありがたいという気持ち。「賜ふ」の向こうには、しかし天皇の顔もあって、作者との世代の差を感じさせられる。(清水哲男)


November 02111997

 栗みのる六分の侠気秘めながら

                           坂本木耳

を擬人化してその心根を想像すると、こういうことになる。「いまに見ていろ」と耐え忍びながら、時機が到来すれば「サルカニ合戦」のクリのように弱者を助け強者を倒す。この句はおそらく、与謝野鉄幹の「ひとを恋ふる歌」から来ている。「妻を娶らば才長けて……/友を選ばば書を読みて六分(りくぶ)の侠気四分の熱」と、旧制高校生の愛誦歌だった。侠気だの男気などはいまどき流行らないけれど、私が高校生(新制)だったころの大人たちには、まだそんな気風が色濃く残っていたことを覚えている。みなさん、七十の坂を越えてしまった。(清水哲男)




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