シドニイ・シェルダンの小説はよく売れる。どんなふうに面白いのだろう。




1997ソスN10ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 26101997

 けふ貼りし障子に近く墨を摺る

                           山口波津女

子を張りかえると、部屋の中が明るくなって新鮮な気分になる。その新鮮な気分で、作者はこれから物を書こうとして墨を摺(す)っている。ぴいんと張り詰めた気持ちのなかにも、どこか安らぎが感じられる句だ。障子貼りはあれでなかなか大変で、襖貼りほどではないにしても、けっこう神経の疲れる労働だ。子供の頃にはよく貼らされたものだが、不器用なので失敗ばかりしていた。我が家もそうだが、いまでは障子のない家庭も多い。子供たちは障子紙も知らないし、ましてや紙は障子の下方から貼っていくなどというテクニックも知らない。知らなくても不都合はないが、こうした句を味わえない不都合はある。白石三郎に「話しつつ妻隠れゆく障子貼」の一句。こんな日常茶飯事も、都会ではもはや懐しい光景となりつつある。(清水哲男)


October 25101997

 秋鯖や上司罵るために酔ふ

                           草間時彦

鯖は嫁に食わすな。それほどに秋の鯖は脂がのってうまいというわけだが、作者は出てきた秋鯖をそっちのけにして、酒に集中している。上司への日頃の不満が積もり積もって、一言なかるべからずの勢い。いくら美味だといっても、今夜は鯖なんぞを呑気に味わっている心の余裕などはないのだ。会社は選べるとしても、上司は選べない。サラリーマンに共通する哀感を、庶民の魚である鯖を引き合いに出して披瀝しているところが、この句のミソだろう。句の鯖は味噌煮でなければならない。(清水哲男)


October 24101997

 天高し不愉快な奴向うを行く

                           村山古郷

高し。気分がすこぶるよろしい。ストレスなんぞゼロ状態で歩いていると、不意にイヤな奴が向こうのほうを歩いていくのが目に入った。とたんに、不愉快になってしまった。奴もきっとストレスゼロ状態なのだろうなと思えるので、ますますイヤな感じになる。それで、足取りも自然に重くなる。……というわけなのだが、なに、先方だって同じことかもしれない。こちらに気がついたら、きっと気分はおだやかじゃなくなるのだろう。ま、いいじゃないですか。せっかくの上天気なのです。人間万歳なのです。この句をはじめて読んだときには、吹き出してしまった。誰もが上機嫌になることを前提にしたような季語「天高し」を、かくのごとく自在に操ることのできる技術を指して、常識では「芸」というのである。(清水哲男)




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