ヤクルト優勝。第2戦ですんなり勝てなかったのがライオンズの敗因だろう。




1997ソスN10ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 24101997

 天高し不愉快な奴向うを行く

                           村山古郷

高し。気分がすこぶるよろしい。ストレスなんぞゼロ状態で歩いていると、不意にイヤな奴が向こうのほうを歩いていくのが目に入った。とたんに、不愉快になってしまった。奴もきっとストレスゼロ状態なのだろうなと思えるので、ますますイヤな感じになる。それで、足取りも自然に重くなる。……というわけなのだが、なに、先方だって同じことかもしれない。こちらに気がついたら、きっと気分はおだやかじゃなくなるのだろう。ま、いいじゃないですか。せっかくの上天気なのです。人間万歳なのです。この句をはじめて読んだときには、吹き出してしまった。誰もが上機嫌になることを前提にしたような季語「天高し」を、かくのごとく自在に操ることのできる技術を指して、常識では「芸」というのである。(清水哲男)


October 23101997

 追伸の二行の文字やそぞろ寒む

                           中村苑子

ートルズに「P.S. I LOVE YOU」という歌がある。「P.S.」は「Post Script」で「追伸」だ。元来「追伸」は、手紙に主な用件を書いた後で、ふと思いだしたことなどを書き添えるための方便である。だから、普通はたいしたことを書くのではない。しかし、実際はどうなのだろうか。さりげなさを装って「I LOVE YOU」などと、最も重要なことを書いたりほのめかしたりする人も多いのではあるまいか。作者が受け取った手紙のそこにも、かなり重苦しい二行があったにちがいない。その厄介な暗示に、きざしてきた寒さがひとしお身にしみるのである。『白鳥の歌』(1996)所収。(清水哲男)


October 22101997

 わが心やさしくなりぬ赤のまま

                           山口青邨

のまま(「赤まんま」「あかまま」などとも)は俗称で、正式には犬蓼(いぬたで)という。中野重治が「歌」という詩で「お前は歌ふな/お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌ふな」と、自身に抒情を禁じたことでも有名だ。そうはいっても、なんでもない草であるだけに、作者のように心がふとなごむのは人情というものだろう。共感したってバチはあたるまい。重治の戦闘的態度は評価するが、現代社会の詩にはまた別の闘いが必要である。鈴木志郎康のネット版「曲腰徒歩新聞」の最新号(1997年10月19日付)には、あかままの写真に添えて「あかままはこどもの頃の記憶に結びついている。線路の土手という雑草が生い茂った斜面、その中に身を隠すと、目の前にあかままが揺れていた」とある。現代の詩人も、このときとても優しい気持ちになっている。(清水哲男)




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