続々と同世代の男たちが逮捕されていく。みな戦後民主主義の子である。




1997ソスN10ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 23101997

 追伸の二行の文字やそぞろ寒む

                           中村苑子

ートルズに「P.S. I LOVE YOU」という歌がある。「P.S.」は「Post Script」で「追伸」だ。元来「追伸」は、手紙に主な用件を書いた後で、ふと思いだしたことなどを書き添えるための方便である。だから、普通はたいしたことを書くのではない。しかし、実際はどうなのだろうか。さりげなさを装って「I LOVE YOU」などと、最も重要なことを書いたりほのめかしたりする人も多いのではあるまいか。作者が受け取った手紙のそこにも、かなり重苦しい二行があったにちがいない。その厄介な暗示に、きざしてきた寒さがひとしお身にしみるのである。『白鳥の歌』(1996)所収。(清水哲男)


October 22101997

 わが心やさしくなりぬ赤のまま

                           山口青邨

のまま(「赤まんま」「あかまま」などとも)は俗称で、正式には犬蓼(いぬたで)という。中野重治が「歌」という詩で「お前は歌ふな/お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌ふな」と、自身に抒情を禁じたことでも有名だ。そうはいっても、なんでもない草であるだけに、作者のように心がふとなごむのは人情というものだろう。共感したってバチはあたるまい。重治の戦闘的態度は評価するが、現代社会の詩にはまた別の闘いが必要である。鈴木志郎康のネット版「曲腰徒歩新聞」の最新号(1997年10月19日付)には、あかままの写真に添えて「あかままはこどもの頃の記憶に結びついている。線路の土手という雑草が生い茂った斜面、その中に身を隠すと、目の前にあかままが揺れていた」とある。現代の詩人も、このときとても優しい気持ちになっている。(清水哲男)


October 21101997

 遠くまで行く秋風とすこし行く

                           矢島渚男

然のなかに溶け込んでいる人間の姿。吹く風に同道するという発見がユニークだ。「すこし行く」という小味なペーソスも利いている。同じ風でも、都会のビル風ではこうはいかない。逃げたい風と一緒に歩きたい風と……。作者は小諸の人。秋風とともに歩く至福は、しかし束の間で、風ははや秘かながらも厳しい冬の到来を予告しているのである。同じ作者に「渡り鳥人住み荒らす平野見え」がある。出来栄えはともかくとして、都会から距離を置いて生きることにこだわりつづける意志は、ここに明確だ。『船のやうに』所収。(清水哲男)




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