野球は完全に継投の時代。「勝利投手」の定義は見直されるべきだろう。




1997ソスN10ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 22101997

 わが心やさしくなりぬ赤のまま

                           山口青邨

のまま(「赤まんま」「あかまま」などとも)は俗称で、正式には犬蓼(いぬたで)という。中野重治が「歌」という詩で「お前は歌ふな/お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌ふな」と、自身に抒情を禁じたことでも有名だ。そうはいっても、なんでもない草であるだけに、作者のように心がふとなごむのは人情というものだろう。共感したってバチはあたるまい。重治の戦闘的態度は評価するが、現代社会の詩にはまた別の闘いが必要である。鈴木志郎康のネット版「曲腰徒歩新聞」の最新号(1997年10月19日付)には、あかままの写真に添えて「あかままはこどもの頃の記憶に結びついている。線路の土手という雑草が生い茂った斜面、その中に身を隠すと、目の前にあかままが揺れていた」とある。現代の詩人も、このときとても優しい気持ちになっている。(清水哲男)


October 21101997

 遠くまで行く秋風とすこし行く

                           矢島渚男

然のなかに溶け込んでいる人間の姿。吹く風に同道するという発見がユニークだ。「すこし行く」という小味なペーソスも利いている。同じ風でも、都会のビル風ではこうはいかない。逃げたい風と一緒に歩きたい風と……。作者は小諸の人。秋風とともに歩く至福は、しかし束の間で、風ははや秘かながらも厳しい冬の到来を予告しているのである。同じ作者に「渡り鳥人住み荒らす平野見え」がある。出来栄えはともかくとして、都会から距離を置いて生きることにこだわりつづける意志は、ここに明確だ。『船のやうに』所収。(清水哲男)


October 20101997

 からしあへの菊一盞の酒欲れり

                           角川源義

子和えの菊とは、菊の花をゆでて食べる「菊膾(きくなます)」のこと。私は三杯酢のほうが好みだ。作者ならずとも、これが食卓に出てきたら一杯やりたくなってしまうだろう。美しい黄菊の色彩が目に見えるようだ。「盞(さん)」は盃の意。山形や新潟に行くと、花弁がピンクで袋状になった「化白(かしろ)」という品種の食用菊が八百屋などで売られている。はじめて見たときは「何だろう」と思った。これまた風味よく美味。見た目から想像するよりもずっと味がよいので、山形では「もってのほか」と呼ばれている。三十代の頃にはよく訪れた山形だが、ここ十数年はとんとご無沙汰である。(清水哲男)




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