書店などに来年用のカレンダーが並びはじめた。干支は寅だ。私の年だ。




1997ソスN10ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 17101997

 三田二丁目の秋ゆうぐれの赤電話

                           楠本憲吉

田二丁目は慶応義塾大学の所在地だ。ひさしぶりに母校の近辺を通りかかった作者は、枯色のなかの色鮮やかな赤電話に気がついた。で、ふと研究室にいるはずの友人に電話してみようとでも思ったのだろうか。大学街でのセンチメンタリズムの一端が見事に描写されている。都会的でしゃれており、秋の夕暮の雰囲気がよく出ている。余談になるが、私の友人が映画『上海バンスキング』のロケーションの合間に彼地の公園でぶらついていたとき、人品骨柄いやしからぬ老人に流暢な日本語で尋ねられたそうだ。「最近の『三田』はどんな様子でしょうか」……。街のことを聞いたのではなく、慶応のことを聞いたのである。昔の慶応ボーイは大学のことを「慶応」とは言わずに「三田」と言うのが普通であった。(清水哲男)


October 16101997

 いちじくに唇似て逃げる新妻よ

                           大屋達治

花果に似ているというのだから、思わずも吸いつきたくなるような新妻の唇(くち)である。しかし、突然の夫の要求に、はじらって身をかわす新妻の姿。仲の良い男女のじゃれあい、完璧にのろけの句だ。実景だとしたら、読者としては「いいかげんにしてくれよ」と思うところだが、一度読んだらなかなか忘れられない句でもある。新婚夫婦の日常を描いた俳句は、とても珍しいからだろう。ただし、この句は何かの暗諭かもしれない。それが何なのかは私にはわからないが、とかく俳句の世界を私たちは実際に起きたことと読んでしまいがちだ。「写生句常識」の罪である。もとより、俳句もまた「創作」であることを忘れないようにしたい。(清水哲男)


October 15101997

 缶詰の桃冷ゆるまで待てぬとは

                           池田澄子

誌「豈」1997年・夏『回想の摂津幸彦』特集号より。句は摂津への追悼句「夜風かな」の中の一句。摂津幸彦は昨年10月13日49歳で死去。将来の俳句界を担ったであろう、惜しみても余りある大器であった。この句は追悼句としては出色であろう。缶詰の桃(お通夜の席によくある)を使って、こんな追悼句ができるとは……。若くして死んだ故人への哀悼の気持ちが充分込められていて、しかも新鮮。なる程、こういう手があったのか。(井川博年)




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