臓器移植法施行。他人の身体で生きられる臓器が、私にあるのだろうか。




1997ソスN10ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 16101997

 いちじくに唇似て逃げる新妻よ

                           大屋達治

花果に似ているというのだから、思わずも吸いつきたくなるような新妻の唇(くち)である。しかし、突然の夫の要求に、はじらって身をかわす新妻の姿。仲の良い男女のじゃれあい、完璧にのろけの句だ。実景だとしたら、読者としては「いいかげんにしてくれよ」と思うところだが、一度読んだらなかなか忘れられない句でもある。新婚夫婦の日常を描いた俳句は、とても珍しいからだろう。ただし、この句は何かの暗諭かもしれない。それが何なのかは私にはわからないが、とかく俳句の世界を私たちは実際に起きたことと読んでしまいがちだ。「写生句常識」の罪である。もとより、俳句もまた「創作」であることを忘れないようにしたい。(清水哲男)


October 15101997

 缶詰の桃冷ゆるまで待てぬとは

                           池田澄子

誌「豈」1997年・夏『回想の摂津幸彦』特集号より。句は摂津への追悼句「夜風かな」の中の一句。摂津幸彦は昨年10月13日49歳で死去。将来の俳句界を担ったであろう、惜しみても余りある大器であった。この句は追悼句としては出色であろう。缶詰の桃(お通夜の席によくある)を使って、こんな追悼句ができるとは……。若くして死んだ故人への哀悼の気持ちが充分込められていて、しかも新鮮。なる程、こういう手があったのか。(井川博年)


October 14101997

 夜なべする大阪に音なくなるまで

                           浦みつ子

仕事だろうか、あるいは家計のための軽作業だろうか。とにかく、昔の人はよく働いた。夜の遅い時間を表現するにはいろいろとあるが、作者の発想はユニークである。夜中まで忙しい商都大阪の音がなくなるまでというのだから、夜も相当に更けていることがわかる。これが他の都市名だったら、ここまでの味わいは出ないだろう。「大阪に音なくなるまで」は、作者の実感だ。実感だから、少しも無理がないのである。ところで「夜なべ」という言葉、現代の子供たちにわかるだろうか。(清水哲男)




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