香西照雄の句

September 0891997

 雁来紅や中年以後に激せし人

                           香西照雄

こで雁来紅は「かまつか」と読ませる。そのまま「がんらいこう」と読む場合もある。『枕草子』六七段に「雁の来る花とぞ、文字に書きたる」とあり、要するに葉鶏頭(はげいとう)のことである。職場の同僚だろうか。若いころから温厚で通ってきた人が、中年にいたって急に爆発的に怒りを表すようになった。彼に何が起きたのか。その怒りを色彩に例えると、雁来紅の少々黒味を帯びた紅色に似ているというのだ。「かまつか」という語感も「顔が真っ赤」に通じていて、句にいっそうの深みを添えている。寂しき中年よ。もちろんお互いに、だ。(清水哲男)


November 23111997

 アルミ貨ほど身軽し勤労感謝の日

                           香西照雄

体の調子がよいときなど、我ながら身軽だなと感じるときがある。痩せていようが肥っていようが、関係はない。身軽と感じるとき、人は一瞬自分の体格や体重を意識するのである。この場合は、アルミ貨ほどに感じたというのだから、ほとんど体重感覚はゼロに近い。身軽さが頼りなさにつながっている。こんな身体でよくも今日まで働いてこられたな……という感慨。と同時に、アルミ貨に「薄給」を匂わせている……という技術。祝日名が長いので、この日についてはなかなかよい作品が見当たらない。というよりも、作品の絶対量が不足しているというべきか。(清水哲男)


December 28121997

 師走妻風呂敷にある稜と丸み

                           香西照雄

は「かど」と読ませる。句意は明瞭。師走の町から、妻が風呂敷包みを抱えるようにして帰ってきた。正月のためのこまごました物を買ってきたので、包みのあちこちに角張っているところと丸みを帯びているところが見える。師走の買い物の中身のあれこれを言わずに、風呂敷包みの形状から想像させる手法が面白い。ところで「師走妻」とは年越しの用意に忙しい妻のことだろうと、誰にも見当はつくのであるが、いかにも「腸詰俳句」といわれる草田男門らしい独特の表現方法だ。「萬緑」系の句は内容先行型で、このように、いささか描写的な優美さには欠ける場合があるのである。それこそ、この句の風呂敷包みさながらに、ゴツゴツしてしまう。それを好まない人もいるけれど、少なくとも若年の私には、それゆえに草田男一門の句に夢中になれたのだった。(清水哲男)


November 29111998

 冬星照らすレグホンの胸嫁寝しや

                           香西照雄

祖「腸詰俳句」の中村草田男に師事した人ならではの作品だ。「腸詰俳句」の命名は山本健吉によるものだが、とにかく俳句という小さな詩型にいろいろなものをギュウギュウ詰め込むことをもって特長とする。この句でいえば、たいていの俳人は下五の「嫁寝しや」までを入れることは考えない。考えついたとしても、放棄する。放棄することによって、すらりとした美しい句の姿ができるからだ。そこらへんを草田男は、たとえ姿はきれいじゃなくても、言いたいことは言わなければならぬと突進した。作者もまた、同じ道を行った。戦後も六年ほど過ぎた寒い夜の句だ。レグホンは鶏の種類で、この場合は「白色レグホン」だろう。その純白の胸が冬空の下の鶏小屋にうっすらと見えている様子は、私も何度も見たことがあり、一種の寂寥感をかき立ててくる光景だった。子供だった私には、人間の女性の胸を思わせるという連想までにはいたらなかったけれど、わけもなく切ない気持ちになったことだけは覚えている。作者は、鶏も眠ってしまったこの時間に、我が妻も含めて世間の「嫁」たちは、忙しい家事から解放されて、やすらかに床につけただろうか。と、社会的な弱者でしかなかったすべての「嫁」たちに対して、ヒューマンな挨拶を送っている。『対話』(1964)所収。(清水哲男)


December 05121999

 金の事思ふてゐるや冬日向

                           籾山庭後

書に「詞書略」とある。本当は書きたいのだが、事情があって書かないということだろう。なにせ、金のことである。誰かに迷惑がかかってはいけないという配慮からだ。籾山庭後は、経済人。出版社「籾山書店」を経営して身を引いた後も、時事新報社、昭和化学などの経営に参加した。永井荷風のもっとも長続きした友人でもある。冬の日差しは鈍いので、日向とはいえ肌寒い。ただでさえ陰鬱な気分のところに、金のことを考えるのだからやりきれない。さて、どうしたものか。思案の状態を詠んだ句だ。スケールは大違いだが、私も昔、友人と銀座に制作会社を持っていた。だから、作者の気持ちはよくわかるつもりだ。一度でも宛のおぼつかない手形を切ったことのある人には、身につまされる一句だろう。歳末には、金融犯罪が急増する。不謹慎かもしれないが、そこまで追いつめられる人たちの気持ちも、わからないではない。冷たい冬日向のむこうには、冷たい法律が厳然と控えている。 口直し(!?)に、目に鮮やかな句を。「削る度冬日は板に新しや」(香西照雄)。『江戸庵句集』(1916)所収。(清水哲男)


May 0852004

 長身めく一薫風の鳴り添ひて

                           香西照雄

語は「薫風(くんぷう)」で夏。「鳴り添ひて」というのだから、そよ風ではない。青葉若葉をそよがせて、さあっと吹いてきた強めの風だろう。その風を全身に受けて、作者は瞬間「長身めく」思いがしたというのである。すっと身長が伸びたような感覚。薫風のすがすがしさを詠んだ句は多いが、「長身めく」とはユニークな捉え方だ。しかし、言われてみればなるほどと合点がいく。すがすがしい気持ちは、辺りをちょっと睥睨(へいげい)したくなるような思いにつながるからだ。でも、これはおそらく男だけに備わった感受性でしょうね。女性には睥睨したいというような欲求は、ほとんどないような気がします。身長といえば、私は小学生のころまでは、クラスでも低いほうだった。中学に入って少し伸び、やっと真ん中へんだったか。それが高校生になるころから急に伸びはじめて、あれよという間に170センチを越えてしまい、クラスでも高いほうになってしまった。だが、学校ではともかく、街中でも電車の中でもちっとも「長身めく」といった感じはなかった。通っていた高校が基地の街・立川にあり、家の最寄り駅がこれまた基地の街・福生だったから、周囲にはいつも背の高いアメリカ兵がうようよしていたからである。電車の中で、どうかすると彼らの集団に巻き込まれてしまうことがあり、そうなると見えるのはもうゴツい背中や胸板だけになってしまう。通い慣れた車内とはいえ、とても心細いような気になったことを思い出す。「背の高い奴は気の毒だ。雨になれば先に濡れるからさ」「でも、先に乾くじゃないか」。そんな漫才もあったっけ。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


May 1652008

 玻璃くだる雨露病児へ蝌蚪型に

                           香西照雄

世辞にも形の良い句とは言えない。雨露で切れる。破調だがリズムはある。それにしても言葉がぎくしゃくと硬い。流麗な言葉の自律的な結びつきを嫌って、凝視への執着をそのまま丁寧に述べた感じだ。雨露が蝌蚪のかたちに見えるという比喩が中心。玻璃の内側に病気の子どもを閉じ込めて、外側を無数の雨滴が降りてくる。蝌蚪型は比喩だから季語ではないという見方もあろうが、蝌蚪の季節だからこその比喩だという見方もできよう。そう思えば季感はある。蝌蚪型という素朴で大胆な把握はまさに草田男譲り。口あたりの良い流麗な句にない魅力がある。形式のリズムのよろしさが内容より出しゃばると、一句は軽く俗な趣になる。その軽さを「俳諧」と見誤ってはいけない。定型もリズムも季語も「写生」という方法もみんな一から見直すように仕掛けられたこの句のような立ち姿にこそ「文学」が存するのではないか。「俳句とエッセイ」(1987年10月号)所載。(今井 聖)


June 0762008

 緑蔭や光るバスから光る母

                           香西照雄

を一読する時間というのは、ほんの数秒、ほとんど一瞬である。そこで瞬間の出会いをする句もあれば、一読して、ん?と思い、もう一回読んでなるほどとじんわり味わう句もある。時には、あれこれ調べてやっと理解できる場合も。この句は、一読して、情景とストーリーと作者の思いが心地良く伝わってきた。緑蔭は、緑濃い木々のつくる木陰。そこで一息ついた瞬間、木陰を取り囲む日差し溢れる風景が、ふっと遠ざかるような心持ちになるが、緑蔭のもつ、このふっという静けさが、この句の、光る、のリフレインを際だたせている。作者は緑蔭のバス停にいるのか、それとも少し離れた場所で佇んでいるのか。バスの屋根に、窓ガラスに反射する太陽と、そのバスから降りてくる母。まず、ごくあたりまえに、光るバス、そして、光る母。光る、という具体的で日常的な言葉が、作者の心情を強く、それでいてさりげなく明るく表現している。『俳句歳時記第四版・夏』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)




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