August 281997
川水の濁りに添うて夏の果
桂 信子
川の水が濁っているというのだから、一雨あった後だろう。この時期は、一雨ごとに涼しさが増してくる。濁った川の流れを目で追っていくと、ずっとその先には夏の終りが待ち受けているように感じられる。水の流れは、しばしば時の流れにたとえられてきた。掲句は、その伝統的な比喩を視覚化したものだ。一見平凡な句のようにも見えるが、なかなかどうして、技術的には高度な作品である。清流でないところに、生活感覚もよくにじんでいる。ともかく、いろいろあった今年の夏も、そろそろ終りに近づいてきた……。『緑夜』所収。(清水哲男)
August 271997
音より止むスコール人が歩き出す
橋本風車
突然の大雨である。あわてて人々は屋根のある場所へと駆けこむのだが、夏の俄雨だからじきに止んでしまう。しばらく避難していると、たちまちのうちに晴れて赤い日がさしてくる。そんな夏の雨はたしかに「音より止む」のであって、まだ少し細かい雨が残ってはいても、音が止みかけると待ちかねた人々が次々に歩きはじめる。古来、こういう雨のことを「驟雨(しゅうう)」と呼んできたが、句の雨は「スコール」と思わずも表現したくなるほどに激しかったということだろう。雨は雨でも、夏季ならではの陽性の雨である。(清水哲男)
August 261997
俎板を立てゝ水切る夜の秋
池上不二子
秋の夜ではない。昼の間はまだ暑くても、夜になるとどことなく秋の気配が感じられる。それが「夜の秋」。作者は、洗い物の最後に俎板(まないた)をていねいに洗って水を切る。立てて水を切るのは時々することだが、今夜はそれを意識的にやったという句意だろう。秋の気配に対応して、しゃきっとした気分になりたかったからだ。窓を開ければ草叢で、たぶん秋の虫が鳴き始めている……。(清水哲男)
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