August 261997
俎板を立てゝ水切る夜の秋
池上不二子
秋の夜ではない。昼の間はまだ暑くても、夜になるとどことなく秋の気配が感じられる。それが「夜の秋」。作者は、洗い物の最後に俎板(まないた)をていねいに洗って水を切る。立てて水を切るのは時々することだが、今夜はそれを意識的にやったという句意だろう。秋の気配に対応して、しゃきっとした気分になりたかったからだ。窓を開ければ草叢で、たぶん秋の虫が鳴き始めている……。(清水哲男)
August 251997
夕焼けビルわれらの智恵のさみしさよ
阿部完市
身近な情景に引きつけて読めば、たとえば会議の果ての寸感である。いたずらに時間ばかりかかって、結局は何もよいアイデアが出なかった会議。徒労感のなかで書類などを片づけながら、ふと窓外に目をやると、もう夕焼けの時である。近所のビルの窓が夕日を反射している。疲れた目にそれはまぶしく、空費した時間を後悔の念とともに虚しく噛みしめるのだ。あるいはそんなお膳立てなどとは関係なく、単に作者は帰宅途中で、夕焼けたビル街を歩いているだけのことかもしれない……。いずれにしても、われら人間の「智恵」には卑小でさみしいところがある。悪あがきがつきものだからである。『無帽』所収。(清水哲男)
August 241997
ひぐらしや静臥の胸に水奏で
鷲谷七菜子
静臥(せいが)は、静かに横になっている状態。たぶん、このとき作者は病気なのである。夕刻、静かにやすんでいる耳に、遠くからひぐらしの声が聞こえてきた。病身の胸には、それがまるで漣(さざなみ)のようにやさしく響いてくる。熱も下がってきたようだし、明日あたりは起きられそうだ。ひぐらしの声を水の音にひきつけていて、少しも無理がない。『黄炎』所収。(清水哲男)
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