1997ソスN8ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2181997

 ちらと笑む赤子の昼寝通り雨

                           秋元不死男

夏の陽光をいきなり遮断するように、音をたてて雨が降ってきた。通り雨だ。作者は思わず、傍らですやすやと眠っている赤ん坊が、驚きはしないかと目をやった。すると、赤ん坊がちらりと笑ったというのである。楽しい夢でも見ているのだろうか。すなわち、すべて世は事もなし。なんでもない日常のなかで味わうささやかな幸福観。このがさつな時代に、こういう句に出合うとホッとする。誰もが、もっとこういう時がもてればよいと思う。深刻ぶることだけが文学じゃない。(清水哲男)


August 2081997

 指し数ふ麻座布団の昼の席

                           北野平八

かの会合の流れだろうか。まだ日も高いし、別れがたい七、八人が軽く一杯やろうかという話になった。よくあることだが、こういうときにはたいてい自然発生的に幹事役になる男がいて、二階に座敷のある店を知っていたりする。で、ここからが人間の妙なところで、座敷に通されるや、彼はいちいち指差しながら座布団の数が足りているかどうかを確認するのだ。でも、その場にいる誰もが「子供じゃあるまいし……」などとは思わない。むしろ、自分でもそうしたいくらいな心持ちになる。だから、いやでも座布団が麻であることを認識させられてしまうのである。楽しい夏の午後のひとときの気分がよく出ている。かくのごとくに、俳句の材料はどこにでも転がっているという見本のような句でもある。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


August 1981997

 松葉牡丹玄関勉強腹這ひに

                           中村草田男

房設備などなかった時代には、どこの家庭でも戸口や窓を開けっぱなしにして、夏をしのいだ。そんな家の中でも、涼しい穴場は板張りの廊下と玄関だった。しかし、さすがに大人は廊下や玄関で寝そべるわけにはいかない。勉強部屋もない子供が、ここぞとばかりに句のように腹這いになって本を読んだり宿題をやったりしたものである。勉強に飽きて玄関の軒下に目をやれば、埃まみれの松葉牡丹が暑くるしげに燃えている。そこで子供は、チビた鉛筆をほうり投げ、しばしまどろみの時に入るというのが定番であった。漢字を多用した句が、夏の午後の暑苦しさを的確に表現している。(清水哲男)




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