1997ソスN8ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0681997

 広島の忌や浮袋砂まみれ

                           西東三鬼

祷。すべての理不尽な戦争によるすべての犠牲者の無念の魂に。(清水哲男)


August 0581997

 自転車の灯を取りにきし蛾のみどり

                           黒田杏子

んで灯に入る夏の虫。虫たちの愚かなふるまいを嘲笑った昔の人も、一方では、灯を取りに来る存在として彼らの襲来に身構えるのであった。蝋燭などのか細い灯だと、たちまち彼らに取られてしまうからだ。なにしろ命がけで取りに来るのだから、たまらない。これは、ランプ生活を余儀なくされた少年時代の、私の実感でもある。そこへいくと現代の虫たちは、命と引き換えに灯を取ることもなくなった。せいぜいが打撲(?)程度ですむ。見られるように、作者もここでむしろ抒情的に灯取虫を観察している。「みどり」に見えるのは光源の関係だろう。『一木一草』所収。(清水哲男)


August 0481997

 夏旅やむかふから来る牛の息

                           方 山

禄時代の句。そんな大昔の句であることを押さえておかないと、意味を取り違えてしまう。すなわち、この旅は現代風のレジャーを楽しむそれではない。だから、この句には風流のかけらもない。暑中休暇がなかった時代だから、夏に旅行する風習もなかったし、できれば暑い季節の旅などは避けたかったろう。したがって、この旅は止むを得ない旅なのである。ただでさえ暑さに閉口しているのに、向こうから暑苦しい息を吐きながら大きな牛がやって来る。田舎の道幅は狭いので、いやでもあの息は我が身に吹きつけられるだろう。ああ、たまらない。……という心持ちだ。岩波文庫の柴田宵曲著『古句を観る』に載っている句。元禄期の無名作家の俳句を集めて評釈を加えた本で、句の面白さもさることながら、当時の庶民の生活ぶりがうかがえて興味深い。それこそ、旅のお伴に絶好である。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます