1997ソスN8ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0481997

 夏旅やむかふから来る牛の息

                           方 山

禄時代の句。そんな大昔の句であることを押さえておかないと、意味を取り違えてしまう。すなわち、この旅は現代風のレジャーを楽しむそれではない。だから、この句には風流のかけらもない。暑中休暇がなかった時代だから、夏に旅行する風習もなかったし、できれば暑い季節の旅などは避けたかったろう。したがって、この旅は止むを得ない旅なのである。ただでさえ暑さに閉口しているのに、向こうから暑苦しい息を吐きながら大きな牛がやって来る。田舎の道幅は狭いので、いやでもあの息は我が身に吹きつけられるだろう。ああ、たまらない。……という心持ちだ。岩波文庫の柴田宵曲著『古句を観る』に載っている句。元禄期の無名作家の俳句を集めて評釈を加えた本で、句の面白さもさることながら、当時の庶民の生活ぶりがうかがえて興味深い。それこそ、旅のお伴に絶好である。(清水哲男)


August 0381997

 愕然として昼寝覚めたる一人かな

                           河東碧梧桐

のようなことは、よく起きる。愕然として昼寝から覚めたのか、それとも覚めてから愕然としたのか。そのあたりは定かではないが、短時間寝るつもりがつい長くなってしまい、目覚めたら家内はしんとしている。寝ている自分を置いて、みな出かけてしまったらしい。しばらくして、いったい今は何時ごろなのだろうかと、柱時計を見上げたりするのである。そこに不意の来客があると、こうなる。「中年やよろめき出ずる昼寝覚」(西東三鬼)。(清水哲男)


August 0281997

 我に残る若さ焼ソバ汗して喰ふ

                           中嶋秀子

だ冷房もさほど普及していなかった昭和四十年頃の作品。前書に「生花教室の生徒と」とある。焼きそばを出すような店では、扇風機があればよいほうだった。そんな暑さなど苦にしない若い生徒たちに誘われて、真昼の焼きそばに付き合ってみたら、意外なことに食が進む。そのうちに、吹き出る汗を拭いながら食べるという行為そのことに、快感すら覚えてきた。私にも、こんな若さが残っていたのだ……という喜び。だから「食べる」のではなく「喰ふ」のほうがふさわしいのだ。ただし、このとき作者は三十歳。女盛りの年代だが、若い人たちに囲まれると、その若さがまぶしく映りはじめる年頃ではあるだろう。『花響』所収。(清水哲男)




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