July 201997
紅蜀葵肱まだとがり乙女達
中村草田男
紅蜀葵(もみじあおい)は、立葵の仲間で大輪の花をつける。すなわち、作者は「乙女達」をこのつつましやかな花に見立てているわけで、そのこと自体は技法的にも珍しくないが、とがった肱(ひじ)に着目しているところが素晴らしい。若い彼女らの肱は、まだ少年のそれと同じようにとがっている。が、やがてその肱が丸みをおびてくる頃には、女としてのそれぞれの人生がはじまるのである。戦いのキナ臭さが漂いはじめた時代。彼女たちの前途には、何が待ち受けているのだろうか。今がいちばん良いときかもしれない……。作者はふと、彼女らの清楚な明るさに人生の哀れを思うのだ。第二句集『火の島』(1939)に収められた句。この作品の前に「炎天に妻言へり女老い易きを」が布石のようにぴしりと置かれている。時に草田男三十九歳。(清水哲男)
July 191997
そのむかし繭の金より授業料
有賀辰見
いまのような兼業農家は別だが、そのむかしには農家が現金収入を得る季節は限られていた。養蚕農家なら夏、水田農家なら秋という具合だ。したがって、授業料のようなまとまった出費は、金の入る季節まで待ってもらうしかない。いまや自分で生産したものだけを売って暮らす感覚は、特に大都会の人には理解できないだろう。逆に言えば、毎月何を具体的に生産しているかもわからずに、現金収入があるというのは不思議なことだった。現代の情報産業などはその典型的なサンプルである。それこそそのむかし、マルクスは可視的な労働と対価をとっかかりにして『資本論』を書いたが、実感なき労働対価が主流の世の中では、もはや相当に難解な書物になってしまったのではあるまいか。「俳句文芸」(97年7月号)所載。(清水哲男)
July 181997
髪洗ふいま宙返りする途中
恩田侑布子
何か楽しくなるような句はないかと、探すうちに発見した作品。なるほど、髪を洗う姿勢はこのようである。となると、床屋での仰向けの洗髪は、さしずめバック転の途中というべきか。人間の普通の仕種を違うシチュエーションに読み替えてみれば、他にもいろいろとできそうだ。作者はなかなか機智に富んだ人で、「鯉幟ストッキングはすぐ乾く」「いづこへも足を絡めず山眠る」なども面白い。『21世紀俳句ガイダンス』(現代俳句協会)所収。(清水哲男)
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