1997ソスN7ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1471997

 珍しいうちは胡瓜も皿に盛り

                           作者不詳

戸中期の川柳。胡瓜(きゅうり)は夏が旬で、初物はかくのごとくに珍重された。だが、それも束の間で、だいたいが見向きもされなかった食べ物らしい。なにせ、とてつもなく苦かったからだ。庶民の食卓にさえ、のぼることは稀だったという。そういえば、私が子供だった昭和二十年代になっても、ていねいに皮をむかないと、とてもじゃないが苦くて食べられない品種もあった。貝原益軒は「瓜類の下品なり」と『菜譜』に書き、「味よからず。かつ小毒あり」と追い討ちをかけている。したがって、江戸の人はこの句ににやりとできた。でも、これからの時代の人には、この作がなぜ川柳なのかもわからなくなってしまうのだろう。『俳風柳多留』所収。(清水哲男)


July 1371997

 船内に飛んでをりしは道をしへ

                           清崎敏郎

供のころは一里の道を通学していたので、この虫にはお世話になった。というよりも、退屈しのぎによく遊んでもらった。人が近づくと、飛び上がって少し先へ行く。道にそって、同じ動作を何度もくりかえす。その様子があたかも道を教えているように見えるので、「道をしへ」という。身体に細かい斑点があることから、正式には「斑猫(はんみょう・たいていのワープロでは一発変換されるほどの有名虫)」と呼ぶ。しかし、さすがの「道をしへ」も、船のなかでは役に立たない。水先案内人にはなれるわけもない。ただ習性で飛んでいるのだけれど、そんな姿に作者は苦笑している。時と場所を得ないと、人間にもこういうことは起きそうである。『東葛飾』所収。(清水哲男)


July 1271997

 古着売り緑蔭にひろぐ婚衣裳

                           藤田直子

者が思わずも古着売りの前で立ち止ったように、句集のなかのこの句の前では立ち止らざるを得ない。緑陰にひろげられた婚礼用の衣裳は、和風であれ洋風であれ、純白のものだろう。木々の緑との対比が、まぶしいほどに目に鮮やかだ。そこまではよい。が、戦後の混乱期ならいざ知らず、これは現代の光景だ。だから、作者と同じように読者もここで立ち止るのは、すぐにひとつの素朴な疑問がわいてくるからである。いったい、どんな人が何のために古着の花嫁衣裳などを買うのだろうか。思いつく答えとしては、劇団関係者が舞台用に求める可能性はあるという程度だ。今度古着屋さんに出会ったら、ぜひとも質問してみたいと思う。『極楽鳥花』所収。(清水哲男)




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