1997ソスN7ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1271997

 古着売り緑蔭にひろぐ婚衣裳

                           藤田直子

者が思わずも古着売りの前で立ち止ったように、句集のなかのこの句の前では立ち止らざるを得ない。緑陰にひろげられた婚礼用の衣裳は、和風であれ洋風であれ、純白のものだろう。木々の緑との対比が、まぶしいほどに目に鮮やかだ。そこまではよい。が、戦後の混乱期ならいざ知らず、これは現代の光景だ。だから、作者と同じように読者もここで立ち止るのは、すぐにひとつの素朴な疑問がわいてくるからである。いったい、どんな人が何のために古着の花嫁衣裳などを買うのだろうか。思いつく答えとしては、劇団関係者が舞台用に求める可能性はあるという程度だ。今度古着屋さんに出会ったら、ぜひとも質問してみたいと思う。『極楽鳥花』所収。(清水哲男)


July 1171997

 寝冷えして電話して来し男かな

                           皆吉 司

代的滑稽の世界。「そんなことで電話してくるなよ」と言いながらも、作者は微笑している。私は電話が苦手だから、とてもこんな電話はかけられないが(そのつもりにもならないが)、若い人にとっては格別どうということはないのだろう。そのうちに携帯電話の句も登場してくるにちがいない。いつも誰かと話していたい欲望はわからないでもないけれど、裏返せばそれは寂しさの簡便なごまかしに通じているのであって、あぶなっかしい処世の術に思える。あと五十年もすると、老齢人口が三分の一を占める時代になるそうだ。寝冷えした孤独な老人の電話を聞いてくれる商売が必要となる。『夏の窓』所収。(清水哲男)


July 1071997

 紫蘇しげるなかを女のはかりごと

                           桂 信子

編小説の一場面か、芝居の一シーンのようだ。日常のさりげない場面にあって、作者は自己を劇化している。私などには句のなかの「はかりごと」よりも、この場面をこのような句にした作者の「はかりごと」に感じ入ってしまう。生い茂るいちめんの紫蘇のなかに立つ女の衣は何色だろうか。そんな想像をする楽しみもある。ところで、この句に作者の署名がなかったとすると、男性の作品と思う読者のほうが多いのではなかろうか。桂信子の句には、ときとしてそんな錯覚を抱かせるものがある。『初夏』所収。(清水哲男)




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