1997ソスN7ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1171997

 寝冷えして電話して来し男かな

                           皆吉 司

代的滑稽の世界。「そんなことで電話してくるなよ」と言いながらも、作者は微笑している。私は電話が苦手だから、とてもこんな電話はかけられないが(そのつもりにもならないが)、若い人にとっては格別どうということはないのだろう。そのうちに携帯電話の句も登場してくるにちがいない。いつも誰かと話していたい欲望はわからないでもないけれど、裏返せばそれは寂しさの簡便なごまかしに通じているのであって、あぶなっかしい処世の術に思える。あと五十年もすると、老齢人口が三分の一を占める時代になるそうだ。寝冷えした孤独な老人の電話を聞いてくれる商売が必要となる。『夏の窓』所収。(清水哲男)


July 1071997

 紫蘇しげるなかを女のはかりごと

                           桂 信子

編小説の一場面か、芝居の一シーンのようだ。日常のさりげない場面にあって、作者は自己を劇化している。私などには句のなかの「はかりごと」よりも、この場面をこのような句にした作者の「はかりごと」に感じ入ってしまう。生い茂るいちめんの紫蘇のなかに立つ女の衣は何色だろうか。そんな想像をする楽しみもある。ところで、この句に作者の署名がなかったとすると、男性の作品と思う読者のほうが多いのではなかろうか。桂信子の句には、ときとしてそんな錯覚を抱かせるものがある。『初夏』所収。(清水哲男)


July 0971997

 髪長き蛍もあらむ夜はふけぬ

                           泉 鏡花

かにもお化け好きの鏡花らしい句。明滅する蛍の舞う奥の闇に不気味を感じる人はいても、蛍そのものに感じる人は稀だろう。髪の長い蛍という発想。それだけで、一度読んだら忘れられない作品だ。作者は、あるいは女性の姿態を蛍に見立てたのかもしれないが、それでも不気味さに変わりはない。一種病的な感覚だと思う。病的といえば、鏡花の食中毒恐怖症もすさまじいもので、大根おろしも煮て食べたというほどだ。『鏡花全集』所収。(清水哲男)




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