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July 0771997

 置手紙西日濃き匙乗せて去る

                           中島斌雄

話が普及していなかった頃には、しばしばこういうことが起きた。目上の人などとは手紙で訪問の日時を約束したが、親しい間柄では、とりあえず相手宅に出向いてみたものである。作者は友人の下宿を訪ねたのだろう。折りあしく不在だったが、顔見知りの大家が部屋に通してくれた。しかし、待てど暮らせど友人は戻らない。待ちくたびれて、置き手紙をして辞することにした。冷房設備など何もない部屋だから、窓は開け放しだ。風で飛ばないように、大家が出してくれた冷たいものに添えられた匙を使ったというわけである。濃い西日を受けて光る匙が、友情の象徴のように見える。男女の擦れ違いと読めなくもないが、そういうときには匙は乗せないだろう。(清水哲男)


September 0591997

 容赦なき西日敗戦投手かな

                           佐藤博美

西日は夏の季語とされるが、実際には太陽が真向かいに来る秋口のほうがまぶしく濃い。高校野球の試合だろうか。敗戦投手のいたましさを、さらにクローズアップするかのような西日が強烈だ。およそピッチャーなる「人種」は人一倍プライドが高いのが普通で、したがって哀れさも余計に拡大されてしまう。暑さも暑し、観客である作者はうちひしがれた投手のそんな姿を正視できない気持ちだ。間もなくこの秋にも、来春の甲子園を目指して、三年生を除いた新チームによる秋季高校野球大会が開幕する。『七夕』所収。(清水哲男)


August 2681998

 西日さしそこ動かせぬものばかり

                           波多野爽波

いに納得。よくわかります。晩夏から初秋にかけての西日は、太陽の位置が下がってくることもあって強烈だ。眩しさもさることながら、暑さも暑しで、たまらない。そんなときに気になるのは、置かれている家具類である。カーテンはとっくに変色しているし、タンスや本箱はバリバリに乾いてしまう。毎夏、どうにかしなければと思うのだけれど、いくら思案をしても「そこ動かせぬものばかり」というわけで、結局は思案だけに終わってしまう。ちょっびりと腹立たしくもあり、またちょっびりと笑えてもくる。瑣末な感覚のスケッチにすぎないといえばそれまでだが、こうしたトリビアルな感覚を読者全体に納得させうるところが、この短詩型の特色だと言えよう。というよりも、まずは納得を前提にして作句するというのが、ほとんどの俳人の姿勢である。正岡子規が提唱した「印象明瞭の句」とはそういうものであるし、俳句はまず読者の漠然たる常識に依拠しつつ、その常識をより明確化することで完成する。俳句に遊ぶ現代詩人の多くの作品が駄目なのは、この「常識」をわきまえていないからである。そしてもうひとつその前に、俳句を一段軽く見る「非常識」が大いに災いしている。(清水哲男)


August 1282003

 西日中電車のどこか掴みて居り

                           石田波郷

語は「西日」で夏。敗戦直後に詠まれた句だ。「電車」は路面電車ではあるまいか。だまりこくっている満員の乗客。そして窓外をのろのろと流れていくのは、一面の焦土と化した東京の光景だ。西日は容赦なくかっと照りつけ、車内にも射し込んでくる。むろん冷房装置などあるわけもないから、頭の中が白くなるような暑さだ。吊り革か、他の部分か。「電車のどこか掴(つか)みて居り」には、そんな暑さから来る空漠感に加えて、明日の生活へのひとかけらの希望もない心の荒廃感が重ね合わされている。とにかく、何かどこかを掴んで生きていかなければ……。戦後の復興は、こうした庶民の文字通りに必死の奮闘によってなされた。そこにはまず、自分さえよければいいというエゴイズムが当然に働いたであろう。食うため生きるためには、他人への迷惑やら裏切りやら、さらには法律もへったくれもあるものかと、がむしゃらだった。誰も彼もが栄養失調で、目ばかりがぎらぎらしていた。掲句の電車の客も、そういう人ばかりである。このことを後の世代は庶民の逞しさと総括したりするけれど、一言で逞しさと言うには、あまりにも哀しすぎるエネルギーではないか。この筆舌に尽くしがたい国民的な辛酸の拠って来たる所以は、言うまでもなく戦争だ。往時のどんなに「逞しい」エゴイストでも、二度と戦争はご免だと骨身に沁みていたはずだ。理屈ではない。骨身が感じていたのである。あれから半世紀余を閲したいま、この国は再び公然と戦争や軍隊を口にしはじめている。情けなくて、涙も出やしない。これからの若い日本人は、それこそ何を掴んで生きてゆくのだろうか。『雨覆』(1948)所収。(清水哲男)


November 21112006

 霜の夜の目が濡れているぬいぐるみ

                           山田貴世

の夜とは、霜が降りる夜。気温が低くてよく晴れた風のない夜は霜が降りやすい、との解釈を読んで、ああ、霜は「降りる」ものなのだ、とあらためて感じいる。夜に発生した露が、秋では水の形態のまま明け方の露となり、冬も深まり朝方の放射冷却によって霜となるのかと理解する。しかし言葉の上では、露の「結ぶ」は地上が生み出すもの、霜の「降りる」は天上から賜るもの、という変化がある。地続きの露と比べ、「霜が降る」にはどこかファンタジーを感じる。また、霜の相に雪の結晶が見られることから「霜の花」という美しい表現もある。夜明けに清潔なガーゼを広げたように輝く一面の霜も、日が昇るにつれ、しっとりと消えてなくなってしまう。その夜明けの一瞬にだけ開く花の姿に、人形たちの夜中の舞踏会が終わる時間が重なる。アンデルセンの「すずの兵隊」やホフマンの「くるみ割り人形」に見られるように、人間が寝静まる時間におもちゃたちの遊び時間が始まり、朝日とともに動かぬ人形に戻る時間。掲句の「目が濡れている」には、黒々とした釦の目の形状を指しながら、あたかも今までまばたきをしていたかのような、ぬいぐるみの秘密の動から静の瞬間を見て取ることができる。「尼寺に静かなる修羅秋の蜘蛛」「忽と婆西日の景にまぎれこむ」などにも、季語から手渡されていく物語がある。また、本句集は新かなで通されている。作者の師である倉橋羊村氏は、まえがきで「作者が新仮名づかいを通してきたのは、同世代以降の読者を意識してのことだ」とあり、これは現代の俳句を詠む者として、常に胸にわだかまっていることだ。『湘南』(2006)所収。(土肥あき子)


May 2052007

 覗きみる床屋人なし西日さす

                           加藤楸邨

越しをした先で、ゆっくりと見慣れない街並みを眺めながら地元の床屋を探すのは、ひとつの楽しみです。30分も歩けばたいていは何軒かの床屋の前を通り過ぎます。ただ、もちろんどこでもいいというものではないのです。自分に合った床屋かどうかを判断する必要があるのです。ドアを開け、待合室の椅子に座り、古い号の週刊文春などをめくっているうちに呼ばれ、白い布を掛けられ、散髪がはじまります。髪を切る技術はどうでもよいのです。要は主人が、必要以上に話しかけてこないことが肝心なのです。さて掲句です。「覗きみる」と言っているのですから、ただ通りすがったのではなく、頭を刈ってもらおうと思ってきたのでしょう。もし待っている人が多かったら、また出直そうとでも思っていたのかもしれません。ドアの硝子越しに覗けば、意外にも中にはだれも見えません。すいているからよかったと思う一方で、薄暗い蛍光灯の下の無人の室内が妙にさびしくも感じられます。深く差し込んだ西日だけが、場違いな明るさを見せています。床屋椅子(と呼ぶのでしょうか)も、わが身の体重をもてあますように、憮然として並んでいます。床屋の主人とは長年の付き合いなのでしょうか。月日と共にお互いに年齢を加え、外に立つ「三色ねじり棒」も、同じように古びてきました。ただ頭を刈りに来たのに、なぜか急にせつない思いに満たされ、いつもの扉が重くて開けられないのです。『昭和俳句の青春』(1995・角川書店)所載。(松下育男)


August 2182008

 西日から肉体的なスポーツカー

                           山崎十死生

しく照りつける西日のなかから飛び出したようにスポーツカーがぐんぐんこちらに近づいてくる。「肉体的な」という意表をついた形容に、ひたすら速く走ることを目的にした車とたくましいランナーの姿が重なる。その言葉の働きが通常は暑苦しく嫌な「西日」をエネルギッシュな躍動感あふれるイメージに仕立て直している。同じ角度からの視線は類型的な句しか生み出さないが、異質な言葉のぶつかりが季語の違った側面を引き出してくる。季語も時代にあったニュアンスを付け加え、更新されてゆくものだろう。アメリカングラフティ以来、スポーツカーは1960年代に青春を過ごした若者の憧れだった。若い頃は生活に追われて車どころじゃなかった人が、定年後真っ赤なフェアレディZを購入しニコニコ顔で運転席に乗っている写真を新聞で見たことがある。今の若者たちはそれほどカッコいい車に魅力を感じているように思えない。もはや彼らにとって「スポーツカー」は時代がかった言葉かもしれない。(作者は2001年、十死生を十生へ改号した。)『俳句の現在2』(1983)所載。(三宅やよい)


May 2852010

 西日つよくて猪首坑夫の弔辞吃る

                           野宮猛夫

首(いくび)のリアル。吃る(どもる)のリアル。ここまで書くのかと思ってしまう。俳句はここまで書ける詩なのだ。俳句はおかしみ、俳句は打座即刻。俳句は風土。俳句は観照。そんな言葉がどうも嘘臭く思えるのは僕の品性の問題かもしれない。諧謔も観照も風土も或いは花鳥も、人生の喜怒哀楽やリアルを包含する概念だと言われるとああそうですかねとは言ってみてもどうも心の底からは納得しない。風流韻事としての熟達の「芸」を見せられてもそれが何なのだ。坑夫の弔辞であるから、炭鉱事故がすぐ浮ぶ。猪首と吃るでこの坑夫の人柄も体躯もまざと浮んでくる。作品の中の「私」は必ずしも実際の「私」とイコールでなくてもいい。その通りだ。ならば、こんなリアル、こんな「私」を言葉で創作してみろよと言いたい。ここまで「創る」ことができれば一流の脚本家になれる。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)


June 2562014

 金魚売買へずに囲む子に優し

                           吉屋信子

秤棒をかついで盥の金魚を売りあるくという、夏の風物詩は今やもう見られないのではないか。もっとも、夏の何かのイベントとしてあり得るくらいかもしれない。露店での金魚すくいも激減した。ネットで金魚が買える時代になったのだもの。商人(あきんど)が唐茄子や魚介や納豆や風鈴をのどかに売りあるいた時代を、今さら懐かしんでも仕方があるまい。小遣いを持っていないか、足りない子も、「キンギョエー、キーンギョ」という売り声に思わず走り寄って行く。欲しいのだけれど、「ください」と言い出せないでいるそんな子に対して、愛想のいい笑顔を向けている年輩の金魚売りのおじさん。「そうかい、いいよ、一匹だけあげよう」、そんな光景が想像できる。金魚にかぎらず、子どもを相手にする商人には、そうした気持ちをもった人もいた。いや、そういう時代だった。掲句には、女性ならではのやさしい細やかな作者の心が感じられる。信子には多くの俳句がある。「絵襖の古りしに西日止めにけり」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


October 26102014

 薪在り灰在り鳥の渡るかな

                           永田耕衣

者自ら超時代性を掲げていたように、昔も今も変わらない、人の暮らしと渡り鳥です。ただし、都市生活者には薪も灰も無い方が多いでしょう。それでもガスを付けたり消したり、電熱器もonとoffをくり返します。不易流行の人と自然の営みを、さらりと明瞭に伝えています。永田耕衣は哲学的だ、禅的だと言われます。本人も、俳句が人生的、哲学的であることを理想としていました。私は、それを踏まえて耕衣の句には、明るくて飽きない実感があります。それは、歯切れのよさが明るい調べを 与えてくれ、意外で時に意味不明な言葉遣いが面白く、飽きさせないからです。たぶん、意味性に関して突き抜けている面があり、それが禅的な印象と重なるのかもしれません。ただし、耕衣の句のいくつかに共通する特質として、収支決算がプラスマイナス0、という点があります。掲句の薪は灰となり、鳥は来てまた還る。たとえば、「秋雨や我に施す我の在る」「恥かしや行きて還つて秋の暮」「強秋(こわあき)や我に残んの一死在り」「我熟す寂しさ熟す西日燦」「鰊そばうまい分だけ我は死す」。遊びの目的は、遊びそのものであると言ったのは『ホモ・ルーデンス』のホイジンガですが、それに倣って、俳句の目的は俳句そのものであって、つまり、俳句を作り、俳句を読むことだけであって、そこに 意味を見いだすことではないことを、いつも意味を追いかけてしまいがちな私は、耕衣から、きつく叱られるのであります。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)




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