1997ソスN7ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0671997

 炎昼いま東京中の一時打つ

                           加藤楸邨

けつくように暑い昼時である。普段は人通りの多い街中も、嘘のように静まりかえっている。束の間のゴーストタウンみたいだ。その静かな空間に、突然家々の柱時計がいっせいに一時の時報を打ち出す。東京中で打っている。現実の光景が、一瞬幻想的なそれに転化したような心持ち。かつての都会の真夏の光景を、斬新な技法で巧みにとらえている。なお「炎昼(えんちゅう)」という季語の使用は比較的新しく、1938年(昭和13年)に出た山口誓子の句集『炎昼』以来、好んで詠まれるようになったという。(清水哲男)


July 0571997

 バナナ持ち洗濯機の中のぞきこむ

                           しらいししずみ

者は二十代前半の女性。若い女性の日常の一こまを、さらっとスケッチしていて好もしい。それにしても、食べながら洗濯できるとは、盥(たらい)世代の末裔である私などにしてみれば、つくづく便利になったものだと思う。家事を課せられた者のプレッシャーが、どれほど減殺されたことか。生まれたときに既に洗濯機があった世代にはわかるまいが、この恩恵による時間の余剰には計り知れないものがある。説教くさくなりかけた。「サザンオールスターズ」の曲に俳句を感じるという作者の感受性に、今後を期待しよう。『21世紀俳句ガイダンス』所載。(清水哲男)


July 0471997

 娘と通ふ料理教室鮎を焼く

                           佐藤恵美子

の技巧もない、そのまんまの句。でも、とても字面がよい。日本語の美しさを感じさせられる。同時に、女性の「そのまんま」が、いかに男のそれと遠い世界にあるかということも……。たいがいの母娘が仲がよいのは、このように具体的現実的な行動において、素直に協調できるからなのだろう。そこへいくと、男はいけない。親子関係にも、一理屈かませないと安心できない性分がある。下手に焼かれた鮎のように、本質的にはうじうじと生臭いのである。『あぶら菜』所収。(清水哲男)




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