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July 0371997

 子に土産なく手花火の路地を過ぐ

                           大串 章

い父親の苦い心。父となった者には、だれしもが経験のあるところだろう。ぴしゃりとその核心をとらえている。なべて名産品などというものには大人向きが多いから、小さな子への土産選びは難しい。いろいろ考えているうちに、今回はパスということになったりする。が、そうした場合、我が家が近くなってくると、たいてい後悔する。どんなにちゃちな土産でも、買ってくればよかった……。近所の子供たちが花火で楽しそうに遊んでいるというのに、我が子は家にいてひたすら父の帰りを待ちかねているのだ。などと、うしろめたさは募るばかり。さあ、言い訳をどうしたらよいものか。『朝の舟』所収。(清水哲男)


July 2771997

 花火師か真昼の磧歩きをり

                           矢島渚男

は「かわら(河原)」。今夜花火大会の行なわれる炎熱の河原で立ち働く男たち。花火師を詠んだ句は珍しい。中学三年のとき、父が花火屋に就職し、私たち一家は花火屋の寮に住むことになった。だから、花火や花火師についての多少の知識はある。指の一本や二本欠けていなければ花火師じゃない。そんな気風が残っていた時代だった。工場で事故が起きるたびに、必ずといっていいほど誰かが死んだ。花火大会の朝は、みんな三時起きだった。今でも打ち上げ花火を見ると、下で働く男たちのことが、まず気になってしまう。(清水哲男)


August 1781997

 遠花火この家を出し姉妹

                           阿波野青畝

ろそろ花火の季節もおしまいである。そんな時期の遠い花火だから、なんとなく寂しい気持ちで、見るともなく見ている。無音の弱々しい光の明滅が、かえって心にしみる。そういえば、この家から出ていった姉妹(あねいもと)は、他郷の空の下でどんな暮らしをしているのだろう。客の作者は家の人には問わず、その消息をただ遠い花火のように思うのである。日常生活のなかで、誰しもが感じるふとした哀感。芝居がかる一歩手前で踏み止まっている。『紅葉の賀』所収。(清水哲男)


July 2571998

 暗く暑く大群衆と花火待つ

                           西東三鬼

火を待つのも句のように大変だが、打ち上げるほうは商売とはいえ、もっと大変だ。父が花火師だったので、よく知っている。両国の花火大会で言うと、打ち上げ船への花火の積み込みは正午までに終わらなければならない。それから仕掛けなどの準備を行う。炎天下、防火服を着ての作業だ。準備が完了しても、何人かは日覆いもない船に残る。19時10分から打ち上げ開始。その様子を、父は次のように書きとめている。「数百の小玉がいっせいに上がり、パリパリパリッといっせいに開花する。みんなは船板にはうように身をかがめ、じっと我慢する。そのうち火の粉や燃えかすがザーバラバラバラッと、われわれや防火シートの上に襲いかかる。燃えながらシートを直撃するのもある。これは恐ろしい。もし突き抜ければ、下にあるたくさんの連発が一度に発火し、大火災をおこすことになるからである。はじかれたようにみんなは起き上がり、バケツや火たたきでけんめいに火とたたかう。全部退治すると息つく暇もなく、次の仕掛の準備にかかる。火薬のついたものが露出するので、この間絶対に花火の演出はしないことになっている。連発の終わったものを片づけ、次の台を据えつけ速火線で連絡する。こうしたことを十回くらい繰り返す。暗がりで懐中電燈を照らしての仕事であるから、なかなか骨の折れることであった」〔清水武夫『花火の話』河出書房新社〕。(清水哲男)


August 1881999

 手花火に明日帰るべき母子も居り

                           永井龍男

きな花火大会はあらかた終わってしまったが、子供たちの手花火は、まだしばらくつづく。庭や小さな公園で、手花火に興ずる子供たちは生き生きとしている。夜間に外で遊べる興奮もあるからだろう。そんな小さな光の明滅の輪の中に、明日は普段の生活の場所に帰っていく母子の姿もある。「また、来年の夏に会いましょう」と、作者は心のうちで挨拶を送っているのだ。手花火は、小さな光を発して、すぐに消えてしまう。そのはかなさが、しばしの別れの序曲のようである。気がつくと、吹く風には秋の気配も……。夏休みの終りの頃の情緒は、かくありたい。私の父親は、戦後間もなくの東京(現在の、あきる野市)の花火屋に勤めていた。両国の大会では、何度も優勝している。打ち上げると「ピューッ」と音がして上がっていく花火(業界では「笛」と呼ぶ)は、父が考案したものだ。その父がしみじみと言ったことには、「大きい花火はつまらんね。いちばん面白いのは線香花火だな」と。父の博士論文のタイトルは「線香花火の研究」であった。(清水哲男)


July 1572000

 手花火の柳が好きでそれつきり

                           恩田侑布子

い片恋の思い出だろう。「柳が好きで」には、主語が二つある。そうでないと、句がきちんと成立しない。その人と手花火で遊ぶ機会があって、自分が好きな「柳」を、その人も好きなことを知ったのだ。もちろん心は弾んだが、しかし、その後は親しくつきあうこともなく、手花火の夜の「関係」は「それつきり」になってしまった。「手花火の柳」を見るたびに、ちらりとその夜のことを思い出す。でも、思い出すこともまた「それつきり」なのである。「手花火の柳」が束の間のうちにしだれて消えていくように、句も束の間の記憶を明滅させて、あっけなく「それつきり」と言いさして終わっている。このときに、もはや作者の心は濡れてはいない。むしろ、乾いている。絶妙の俳句的言語配置による効果とでも言うべきか。考えてみれば、ある程度の年齢を重ねた人の人生履歴は、まさに「それつきり」の関係でいっぱいだ。しかりしこうして、掲句の良さが読み取れない読者が存在するとすれば、それは読解力の欠如によるものではないだろう。読み取るには、いささか若すぎるというだけのことにすぎない。『イワンの馬鹿の恋』(2000)所収。(清水哲男)


February 2222001

 兵舎の黒人バナナ争う春の午後

                           島津 亮

が世に連れるように、俳句も世に連れる。揚句を理解するには、戦後の疲弊した日本社会に心を移して読まなければならない。「兵舎」には「きゃんぷ」の振り仮名。春の午後に、基地の兵舎で、黒人兵たちがふざけ半分にバナナを争っている。ただそれだけの図であるが、作者はただそれだけのことに呆然としていると言うのだ。何故の呆然か。一つには、進駐してきたアメリカ兵たちが、日本の兵士たちに比べてあまりにも明るく開放的であったことへの衝撃がある。とくに黒人兵たちは目立ったこともあり、とてつもなく陽気に見えた。兵舎での食べ物の取り合いくらいは、日常茶飯事という印象だ。日本の軍隊では考えられない光景である。そして彼らのこの陽気は、同時に治外法権者の特権にも通じていると写り、敗戦国民にはまぶしいような存在だった。もう一つには、困難を極めた食糧事情の問題がある。バナナやパイナップルなどは高価で、そう簡単には庶民の口には入らなかった。それをごく普通の食べ物として、平気で取り合っている……。呆然とせざるを得ないではないか。「春の午後」は、さながら天国のような基地の兵舎の雰囲気を象徴した言葉として読める。前衛俳句の旗手として活躍した島津亮にしては大人しい句だが、あの頃を知る読者には、今でもひどく切なく響いてくるだろう。羨まず嫉まず怒らず、ただ呆然とするのみの世界が同じ地上に近接していたのだ。もう一句。「びくともせぬ馬占領都市に花火爆ぜる」。人間よりも馬のほうが、よほど性根がすわっていた。『記録』所収。(清水哲男)


July 0872001

 線香花火果てし意中の火玉かな

                           櫛原希伊子

の命は「意中の火玉」にある。真っ赤な火玉が徐々にふくらんでいきパッパッと火花を散らすわけだが、あまり大きくなりすぎるとぽたりと落ちてしまうし、小さいままだと火花もか細く終わってしまう。そのふくらんでいく様子を見ているうちに、なるほど火玉は「意中」としか言いようのない状態に入ってくる。このスリルも、「線香花火」の魅力の一つだろう。句の「火玉」は、大きく熟れたところで惜しくも「果て」てしまった(自註)。ところで、花火師だった父に言わせると、大きな打ち上げ花火よりも「線香花火」のほうが面白いのだそうだ。参考までに、父が某百科事典に書いた解説の引用を。「黒色火薬系の薬剤は燃えてもガスが少なく、薬の6ないし7割が燃えかすとして残る。これには多量の硫化カリウムが含まれていて、丸く縮んで火球をつくり、その表面が空気中の酸素と反応して緩やかに燃える性質がある。木炭の性質は線香花火の原料として重要である。燃えやすい炭(松炭、桐(きり)炭など)に少量の燃えにくい炭(油煙や松煙など)を混合して用いられる。前者は薬剤の初期の燃焼に必要であり、後者は火球の中に残って、爆発的に火球の表面から松葉火花を発生する」〈清水武夫〉。父が面白いと言ったのは、前者と後者の配合が手作業ではなかなか巧くできないところにもありそうだ。つまり、結局は火をつけてみないと効果はわからない……。だから、あらゆる「意中」のものと同様に、この玩具花火も「意中」から大きく外れることが多いということ。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


July 1472003

 花火待つ水と流れしものたちと

                           久保純夫

の週末あたりから、各地で花火大会が開かれる。子供たちの夏休みがはじまるし、ちょうど梅雨も明けるころだ。「梅雨明け十日」と言い、夏の天気が最も安定する時期である。そこをねらっての開催だろう。花火を待つ気分には、同じ屋外の催しでも、野球やサッカーなどとは違った独特のものがある。あれはおそらく、楽屋裏というか、下の準備の状況がまったく見えないからではないだろうか。おまけにプレイボールの声がかかるわけじゃなし、いきなりドカンとくるわけで、「さあ、はじまるぞ」という緊張感を盛り上げていくのが難しい。所在なく空を見上げたり腕時計を見てみたりと、まことに頼りなくも奇妙な時間が流れていく。掲句の「水と流れしもの」は「『水』と『流れしもの』」の並列ではなく、「水と(して)流れしもの」と読むべきだろう。そんな奇妙な時間のなかにいて、作者は眼前の川の流れを見ているうちに、この流れとともにこれまでに流れ去ったもの、既に眼前にはないもの、しかしかつてはここに明らかに存在したものに思いが至った。そのすべては、生命あるものだった。いつの間にか周囲の群衆よりも、そのような過去に存在したものたちのほうに意識が傾いて、それらのものと一緒にいる気持ちになったというのである。そして、いまこの場にいる私も周囲の群衆も、いずれはみな「水と流れしもの」と化してしまうのだ。これから打ち上げられる花火もまた、束の間の夢のようにはかない。水辺での幻想というよりも、もっと実質的にたしかな手応えのある抒情詩と受け取れた。『比翼連理』(2003)所収。(清水哲男)


August 1482003

 惜別や手花火買ひに子をつれて

                           鈴木花蓑

に対する「惜別(せきべつ)」の情なのかは、明らかにされていない。ただ「惜別」と振りかぶっているからには、間近に辛い別れが待っているのだろう。たとえば、人生の一大転機に際しての退くに退けない別離といったものが感じられる。そんな父親の哀しみを知る由もない子供は、花火を買ってもらえる嬉しさに元気いっぱいだ。せきたてるように「早く早く」と、父親の手を引っ張って歩いているのかもしれない。両者の明暗の対比が、作者の惜別の情をいっそう色濃くしている。手元に句集がないので、作句年代がわからないのが残念だ。略歴によれば、花蓑(はなみの)は、現在の愛知県半田市の生まれ。名古屋地方裁判所に勤めながら俳句グループを作っていたが、1925年(大正十四年)に家族を伴って上京し、高浜虚子の門を敲いた。虚子の膝元で俳句を学びたい一心での転居であつたという。他に特筆すべき転機もないようだから、おそらくはこのときの句ではなかろうか。公務員職をなげうってまで俳句に没入するとは、なんとも凄まじい執念だ。それでなくとも「詩を作るより田を作れ」の時代だった。独身の文学青年ならばまだしも、家族を巻き込んでのことだから、よほどの苦渋の果ての決心だったろう。もしもこの時期の句だとしたら、作者にはその夜の「手花火」の光りはどんなふうに見えただろうか。前途を祝う小さな祝祭の光りというよりも、やはり故郷を捨てることやみずからの才への不安などがないまぜになって、弱々しくも心細い光りに映ったのではなかろうか。後に出た『鈴木花蓑句集』の虚子の序文には「研鑽を重ねて、ホトトギス雑詠欄における立派な作家の一人となり、巻頭をも占めるようになって、一時は花蓑時代ともいふべきものを出現するようになった」とあるそうだ。(清水哲男)


July 0372004

 手花火や再従兄に会はぬ二十年

                           片山由美子

語は「(手)花火」で夏。夏の風物詩と言われるものも、だんだんに姿を消しつつあるが、花火だけは昔と変わらず健在だ。我が家でも孫がやってくると、水を入れたバケツを用意して、近所のちっぽけな公園で楽しむ。作者は通りがかりにそんな光景を見かけたのか、あるいは自分で楽しんでいるのか。闇に明滅する火の光りを見ているうちに、ふと長い間会っていない「再従兄(はとこ)」のことを思い出した。昔はいっしょに花火でよく遊んだものだが、数えてみると会わなくなってからもうかれこれ二十年も経ってしまった。元気にしているだろうか。花火には、そんな郷愁を誘うようなところがある。二十年という歳月感覚は微妙で、三十年ならば完全に疎遠になっているということだし、十年ならばまだ交際が切れているとは言えないだろう。しかし二十年くらいの隔たりだと、あまり思い出すこともなくなるが、思い出しても、このまま一生会うことがないかもしれぬと淋しくなったりする。そのような微妙な感覚が、手花火の光りのはかない生命によく照応している。ところで、再従兄は親が従兄同士である子と子の関係を指す。またいとこ、とも。はじめからかなり遠い親戚筋の関係にあるわけで、親の親戚付き合いがよほどこまめでないと、なかなか再従兄同士が知り合う機会は得られない。私の場合を考えてみたが、それと自覚して再従兄に会ったことはないと思う。再従兄どころか従兄にすら、三十年も前の叔父の法事の席で会ったのが最後になっている。遠い親戚より近くの他人。昔の人はうまいことを言ったものだ。「俳句」(2004年7月号)所載。(清水哲男)


June 1762007

 花火消え元の闇ではなくなりし

                           稲畑汀子

いぶ前のことになりますが、浦安の埋立地に建つマンションに住んでいたことがあります。14階建ての13階に部屋がありました。見下ろせばすぐ先に海があり、夏の大会では、花火は正面に打ち上げられて、大輪の光がベランダからすぐのところに見えました。ただ、それは年にたった一夜のことです。この句を読んで思い出したのは、目の前に上がるそれではなく、我が家から見える、もうひとつの花火でした。部屋の裏側を通る廊下を、会社帰りの疲れた体で歩いていると、背中で小さく「ボンボンボン」という音が聞こえます。驚くほどの音ではないのですが、振り返ると、遠い夜空にきれいな花火が上がっています。下にはシンデレラ城が見え、ひとしきり花火は夜空を騒がせています。マンションの中空の廊下に立ち止まったままわたしは、じっと空を見ていました。季節を問わず、花火は毎日上がっていました。私の「日々」が、その日の終りとともに背後の空に打ち上げられているようでした。掲句、花火が消えた闇を元の闇から変えたものとは何だったのでしょうか。読み手ひとりひとりに問いかけてくる句です。わたしにはこの「花火」は、わたしたちの「生」そのものとして読み取れます。消えた後にも、確実にここに何かが残るのだと。『現代の俳句』(2005・講談社)所載。(松下育男)


July 2672007

 手花火の君は地球の女なり

                           高山れおな

花火をする様子は俳句では詠み尽された情景のように思えるが、この句は「地球」という言葉を加えたことで、思いがけない像を描き出している。私たちは地球に生きている動物の一員でしかないけれど、人間中心に生活しているとそんな事実はどこかに吹き飛んでしまう。あたりまえに思えることをわざわざ定義しなおすことで、目の前の光景は宇宙的規模に拡大される。ボクの前で膝をかがめ、ぱちぱち花火を散らしている彼女の姿が丸い地球の表面にへばりついて花火をしているマンガ的にデフォルメされた図として頭に浮かんでくる。それと同時にキミとボクの間柄もにわかに遠のいて親しい彼女が「地球の女」という見知らぬ生物になってしまったようなとまどいも感じられるのだ。経験に即した実感を持って目の前の対象を写しとることに力点を置いた近代俳句以前の俳諧は言葉の滑稽や諧謔を楽しんでいた。掲句では小さく視界がまとまりがちな手花火の景にレベルの違う言葉の「ずれ」を持ち込むことで、日常の次元をゆがませ、ナンセンスなおかしみを感じさせている。『ウルトラ』(1998)所収。(三宅やよい)


August 2282007

 ちれちれと鳴きつつ線香花火散る

                           三井葉子

の夜は何といっても花火。今年も各地の夜空に華々しくドッカン、ドッカンひらいた打ち揚げ花火に、多くの観客が酔いしれたことでしょう。それもすばらしいけれども、数人が闇の底にしゃがんでひっそりと、あるいはガヤガヤと楽しむ線香花火にも、たまらない夏の風情が感じられる。「ちれちれ」は線香花火のはぜる音だが、「散れ散れ」の意味合いが重ねられていることは言うまでもあるまい。「ちれちれ」は音として言い得て妙。「散れ」に始まって「散る」に終ることを、葉子は意図していると思われる。そこには「いつまでも散らないで」というはかない願いがこめられている。さらに「鳴きつつ」は「泣きつつ」でもあろうから、いずれにせよこの句の風情には、どこかしらうら寂しさが色濃くたちこめている。時季的には夏の盛りというよりは、もうそろそろ晩夏かなあ。花火に興じているのが子どもたちだとすれば、夏休みも残り少なくなってきている時期である。この句にじんわりとにじむ寂しさは拭いきれないけれど、どこかしらほのぼのとした夏の残り火がまだ辛うじて生きているような、そんな気配も感じとれるところが救いとなっている。あれも花火・これも花火である。葉子は関西在住の詩人だが、はんなりとした艶を秘めた句境を楽しんでいるようだ。「ひとり焚くねずみ花火よ吾(あ)も舞はむ」「水恋し胸に螢を飼ひたれば」などの句もならぶ。『桃』(2005)所収。(八木忠栄)


July 0772008

 花火尽き背後に戻る背後霊

                           加藤静夫

える句だ。霊界にはからきし不案内だが、ネットで拾い読みしたところでは、背後霊は守護霊の子分みたいな位置づけらしい。どんな人にも当人を守る守護霊一体がついているのだが、守護霊一体だけでは本人の活動範囲全般にわたって効果的に守護することは難しいので、守護霊を補佐するような形で背後霊がついている。背後霊は二、三体いるのが普通で、たいていは先祖の誰かの霊なのだそうだ。この句では、それがあろうことか花火見物(手花火をやっているのかもしれないが、同じことだ)に来ている当人をさしおいて、背後から前面に出て見ほれてしまい、打ち上げが終わったところであわてて所定の位置である背後に戻って行ったと言うのである。背後霊は神ではないので、こんなこともやりかねない。花火に夢中になっている間に財布をすられるなんぞは、たいてい背後霊がこんなふうに持ち場を離れたせいなのだろう。しかし背後霊は先祖の誰かのことが多いのだから、あまり文句を言うわけにもいかないし……。作者は、ユーモア感覚を詠みこむのが巧みな人だ。こういう句を読むと、俳句にはもっともっと笑いの要素やセンスが取り込まれるべきだと思う。蛇足ながら、自分の背後霊を具体的に教えてくれるサイトがある。むろん先祖の名が出てくるのではないけれど、興味のある方はここからどうぞ。『中肉中背』(2008)所収。(清水哲男)


July 2272008

 宿題を持ちて花火の泊り客

                           半田順子

休みが始まり、平日の昼間の駅に子どもたちの姿がどっと見られるようになった。夏休みのイベントのなかでも、花火と外泊は絵日記に外すことのできない恰好の題材だ。わが家も掲句同様、わたしと弟とそれぞれの宿題を背負い、花火大会の前後を狙って祖父の家に滞在するのが夏休みの恒例行事だった。打上げ花火の夢のような絵柄が、どーんとお腹に響く迫力ある音とともに生み出されていくのを二階の窓から眺めていたことを思い出す。打上げ音が花火よりわずかに遅れて聞こえてくることの不思議に、光りと音の関係を何度聞かされても腑に落ちず、連発になると今のどーんはどの花火のどーんなのかと、見事な花火を前にだんだんと気もそぞろになっていくのは今も変わらない。そしていよいよ白い画用紙を前に、興奮さめやらぬままでかでかと原色の花火を描く。しかし花火を先に描いてしまうと、夜空の黒を塗り込むのがとても厄介になることも、毎年繰り返していた失敗だ。以前の読者アンケートに、このページを読んでいる小学生もわずかに存在するという結果が出ていたが、花火を描くときには「夜空から塗る」、これを愚かな先輩からのアドバイスとして覚えていてほしい。〈夏来ると浜の水栓掘り起す〉〈蝉穴の昏き歳月覗きをり〉『再見』(2008)所収。(土肥あき子)


August 1582008

 花火見る暗き二階を見て通る

                           池内たけし

火見るでは切れない。花火を見ている顔が並ぶ暗い二階を見て通るという内容。顔は見えないかもしれない。顔が見えなくても花火を見ているであろうことは声でわかるのかもしれない。もし「見る」で切れるとするならば、作者は花火と暗い二階を同時に(或いは連続して)見ていることになる。同時に見るのは無理だし、連続して見てもそこに詩情は感じられない。これはやはり花火を見ないで二階を見ているのだ。花火を見ているのは二階の人。花火を見ずとも音は聞こえる。花火の炸裂音の中で作者は暗い二階を見上げる。花火に浮き立つ世の人々を冷笑的に見ているのか。花火賛歌ではない内面的な角度がある。何か人目をひくものの前でそこに見入る人を見ている人が必ずいる。見る側に立つのはいいが、見られる側に立つのはなんとなく気持ちが悪い。見ている側に優越的な気持ちを持たれているようでもあるし。もし逆の立場で、二階で花火を見ている自分が下から見られていると感じたら、いっそう楽しそうに花火見物の自分をみせつける奴と、どこ見てんだよと睨み返す奴がいるんだろうな。僕はやっぱり後者だな。楽しんでる顔を冷静に見られるのは嫌だな。『新歳時記増訂版虚子編』(1951)所載。(今井 聖)


August 2082008

 打水や下駄ぬぎとばし猶も打つ

                           土師清二

昼、都心の舗道を汗を拭き拭き歩いていると、いつも思う――どこまでもつづくコンクリート装置が、必要以上の暑熱を容赦なく通行人や街に照り返している! 異常としか言いようのないこの都市という装置は、人間にとってはたまったものではない。その二日後、私は佃と月島の路地を歩いていた。行く先々に施された打水。暑いけれどホッとして、居住民のごく自然な心遣いが思われる。この街では家々が、人々がお隣同士、水を打ちながら有機的につながっているのだ、と私には思えた。おそらくそういうことなのだろう。そういう街もまだあるにはある。わが家の前の道路に水を打つ、という習慣がまだ生きていることが、妙にうれしく感じられた。「下駄ぬぎとばし」ながら、これでもかこれでもかと水を打っている人は、短パン姿であれ、ステテコ姿であれ、また甚兵衛姿のおっさんであれ、「猶も打つ」という表現から、きわめて暑い日の打水であることが想像できる。ちょっと滑稽にも感じられるその様子に、暑さに精一杯対抗している勢いがあふれている。「砂絵呪縛」などの大衆小説で活躍した清二には句集『水母集』があり、村山古郷は「俳句ずれのしない新鮮な味がある」と評している。ほかに「花火消えて山なみわたる木霊かな」「午睡する足のやりばのさだまらぬ」などの句がある。『水母集』(1962)所収。(八木忠栄)


July 2172009

 蝉生れ出て七曜のまたたく間

                           伊藤伊那男

曜(しちよう)とは太陽と月、火星、水星、木星、金星、土星をさし、これらを日曜から土曜までの曜日名とした7日間をいう。一ヵ月や一年というくくりがない、7種類の星の繰り返しが全てである七曜は、一週間を意味しながら、太陽系の惑星が連なる果てしない空間も思わせる。七日間といわれる蝉の一生は、もう出会うことのない月曜日、二度とない火曜日、と思うだに切ないが、それが運命というものだろう。何年か前、数日降り通しの雨がようやく上がった深夜の蝉の声に、ぎょっとしたことがある。命の限界を前に、切羽詰まったもの苦しいまでの鳴き声に、単なる憐憫とは異なる、どちらかというと恐怖に近い感情を抱いた。日本人の平均寿命の80年も、巨大な鍾乳洞でいえばわずか1cmにも満たない成長の時間である。それぞれの生の長さは、はたしてどれも一瞬なのだ。ままならぬ「またたく間」を笑ったり泣いたり、じっと辛抱したりしながら、懸命に生きていく。〈ひきがへる跳びて揃はぬ後ろ足〉〈くらければくらきへ鼠花火かな〉『知命なほ』(2009)所収。(土肥あき子)


August 1282009

 群集の顎吊り上げし花火かな

                           仲畑貴志

の夜を彩って、日本各地であげられていた花火も一段落といった時季。これまでの幾歳月、じつに多くの土地でさまざまな花火を見てきた。闇が深くなる花火会場に押し寄せてくるあの大群集は、異様と言えば異様な光景である。花火があがるたびに、飽きもせずひたすら夜空を見あげる顔顔顔顔。その視線や歓声ではなく、掲出句ではあがる花火につり上げられるがごとき人々の顎に、フォーカスしている。そこにこの句のユニークな味わいがある。視点を少々ずらした発見。たわいもなく顎を吊り上げられてしまうかのような群集の様子は、ユーモラスでさえある。花火があがるたびに、夜空へいっせいに吊り上げられてゆく顎顎顎顎。老若男女それぞれの顎顎顎顎。絵師・写楽なら、表情のアップをどのような絵に描いてくれただろうか、と妄想してみたくなる。張子の玉が勢いよく夜空へ上昇して行くにしたがって、群集の顎たちも同時に吊り上げられて行き、空中で開いたり、しだれたりするさまを、目ではなく顎そのものでとらえているのである。コピーライターである貴志には「日向ぼこ神に抱かれているごとく」という句もある。『角川春樹句会手帖』(2009)所載。(八木忠栄)


July 0572010

 吊革の誰彼の目の遠花火

                           相子智恵

めを辞めてから一年が経った。ほとんど電車には乗らなくなった。たまに乗ると、あまり混んでいなくてもひどく疲れる。バスにはよく乗るけれど、こちらはそんなに疲れない。何故かと考えてみるに、バスの乗客はほとんどが同じ地域に暮らす人々なので、なんとなく親近感を持てるからではないかと思う。比べて電車の乗客にはそういうことがない。つまり、電車の乗客のほうが匿名性が高いのである。その匿名性の圧力に疲れてしまうのだ。句のような帰宅客を乗せた車内では、一日の肉体的な疲れもあるのでなおさらだろう。みんなが、早く自分の駅に着かないかと、それだけを願っている。そんな乗客の目に、遠花火が写り込んできた。「誰彼」と言わず、みんなが吊革につかまりながらそちらをいっせいに見やっている。ほんの束の間だけれども、このときに匿名性が少し緩む。ばらばらの思いや感情が、花火を通してすうっと一体になるような……。思わずも口元がほころびそうになるような短い時間を巧みにとらえた句だと読んだ。「俳句」(2010年7月号)所載。(清水哲男)


August 1482010

 魚減りし海へ花火を打ちに打つ

                           沢木欣一

の句は、春陽堂の俳句文庫『沢木欣一』(1991)に、写真と共に掲載されている。彼方にうすく富士の影を置き、切り立った断崖に波が打ち寄せるモノクロームの写真、おそらく伊豆の西海岸だろう。伊豆の花火というと、熱海の海上花火大会。特に目立った演出はないのだが、広い熱海湾ならではの、どーんとお腹に響く単純な打ち上げ花火を、本当にこれでもかというほど連発するその素朴な迫力が好もしい。まさに、打ちに打つ、なのだが、こう詠まれると、そのひたすらな音と光が果てた後、どこまでも続く暗い海の、寂寥感を越えた静けさが思われる。盆行事に通じるという花火、鎮魂の意もこめられているというが、魚の減った海はまた多くの御霊の眠る海でもある。(今井肖子)


July 2772011

 間断の音なき空に星花火

                           夏目雅子

日本大震災があって、今夏は花火を自粛したり延期したりする地域が目立つ。うーん、仕方がないか。でも、万感の思いをこめて揚げられる復興花火こそは、いつになく夜空をダイナミックに彩ってほしいと願いたい。白血病のため二十六年前、二十七歳の若さで惜しまれつつ逝った女優夏目雅子は、高校時代から俳句をはじめたそうで、俳句を趣味として、女優になってからは浅井慎平らの東京俳句倶楽部に顔を出すようになったという。掲句は慶応病院に入院中、最期に詠んだ俳句とされる。八月の神宮外苑花火大会だろう(今年も開催される)。病院の締めきった窓からは、花火の色やかたちは見えても音ははっきりと聴こえてこない。音なき花火は拍子抜けするものだが、それにとどまらずどこかしら淋しい。遠い夜空の星花火として眺めている雅子の表情は、一見うれしそうでも、じつは淋しかったにちがいない。単に「花火の音」ではなく「間断の音なき」としたことで、花火がいっそう立体化されている。雅子には破調の句が多く、山頭火の句を好んだという。俳号は海童。「水中花何想う水の中」という、どこかしら自分をイメージしているような句もある。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


July 2972011

 暗き天にて許されて花火爆ず

                           三好潤子

れが誓子の「天狼」正系とも言うべき作風だ。自然の「もの」と「もの」との関係を「知」の働きで結ぶ。機智には違いないが、どこか突き放して詠うために一句の颯爽としたスタイルが強調される。言辞に粘着性がないのだ。すぐれた機智には必ず己れが乗り移る。詠う側に祈りがあるからだ。中耳結核、肝炎、両下肢血管栓塞症、脳腫瘍。生涯、難病と付き合いつづけて1985年59歳で逝く。「暗き天」も「許されて」も納得がゆく。潤子はじゅんこ、着物の似合う美しい女性であった。『曼珠沙華』(1989)所収。(今井 聖)


August 2082011

 花火舟音なく岸を離れけり

                           九鬼あきゑ

から花火を見たことはあるが、舟から見た経験は残念ながら無い。大きい納涼船でビール片手にわいわいがやがや、それはそれで楽しかったが。この句は「花火舟」と題された十句作品のうちの一句で他に〈船頭の黙深かりき花火の夜〉〈誰もみな海に手を入れ花火待つ〉など。舟の軋む音、波の音、耳元の風音や人の声。花火を待つ間の静かな時間がこの句から始まっている。空に海に大輪の花火が消える一瞬が、天に届けとばかりに響く音と共に、読み手の中に蘇る。『俳壇』(2011年9月号)所載。(今井肖子)


June 0662012

 骨酒やおんなはなまもの老女(おうな)言う

                           暮尾 淳

酒は通常焼いたイワナを器に入れて熱燗をなみなみ注ぎ、何人かでまわし飲みするわけだが、季節を寒いときに限定することはあるまい。当方は真夏、富山県の山奥の民宿で何回か骨酒の席を経験したことがある。特にとりたてておいしい酒とは思わないが、座が盛りあがる。一度だけ、見知らぬ若い女性と差しで飲んだこともあった。しかし「なまもの」などという言い方をすると、女性からクレームをつけられるかもしれませんよ、淳さん(おとこはひもの?)。中七を平仮名書きにしたところに、作者が込めた諧謔的な本音があるように思われる。てらいもあるのかもしれない。「なまもの」はおいしいが、中毒するという怖さもある。「なまもの」だからといって、「刺身」などではなく「骨酒」を持ち出したあたり、なるほど。酒に浸され、まわし飲みの時間が経過するにしたがって(おんなも一緒に飲んでいるのだろう)、次第に魚の身が崩れ、骨が露出してくる姿に、「おんな」にも飲まれる哀れと怖さを感じているのかもしれない。ここは老女に「おんなはなまもの」と言わせたのだから、いっそう怖いし、皮肉も感じられる。句集の解説で、林桂は「暮尾さんの俳句の文体は、俳句的修辞への悪意とも憎悪ともつかないものがあって緊張している。最初から俳句表現に狎れることを拒否した緊張感だ」と書く。他に「もういいぜ疲れただろう遠花火」などがある。『宿借り』(2012)所収。(八木忠栄)


August 1882012

 ひらきたる花火へ開きゆく花火

                           岩垣子鹿

らきたる、は散りかけていて、開きゆく、は今まさに大輪。開きゆく花火、と読んでいる時には、ひらいた花火ははらはら散っている。縦書きの方がさらに感じが出るだろう。いずれにしても、ひらがなと漢字の視覚的効果の違いによって、花火そのものの有り様がとらえられている。さらにその二つの花火を、へ、がつなぐことで、瞬間の時間差も体感できる仕組みである。奈良県生まれ、戦後まもなく奈良医大俳句会で俳句と出会ったという作者の、最初で最後の句集『やまと』(2006)は〈もののけの遊ぶ吉野の春の月〉の一句で締めくくられている。(今井肖子)


March 3132013

 休日を覆ひ尽くしてゐる桜

                           今井肖子

開の桜並木の全体を、構図の中に納め切っています。花の下にいる休日の人々は花に覆い尽くされ、俯瞰した視点からは桜ばかり。一句は、屏風絵のような大作になっています。「桜」を修飾している四文節のうち三文節が動詞で、意味上の主語である「桜」は、「覆ひ+尽くして+ゐる」という過剰な動詞によって、大きく、絢爛に、根を張ることができています。なるほど、桜を描くには形容詞では負けてしまう、動詞でなければ太刀打ちできない名詞であったのかと気づかされました。句集には、掲句同様、率直かつ大胆な構図の「海の上に大きく消ゆる花火かな」があります。蕪村展、ユトリロ展、スーラ展、探幽展からモチーフを得た句も並び、中でも前書きにモネ展の「春光やモネの描きし水動く」は、睡蓮の光を見つめるモネの眼遣いを追慕しているように読み取れます。こういうところに、作者の絵心が養われているゆえんがあるのでしょう。『花もまた』(2013)所収。(小笠原高志)


August 1082013

 アルバムは燃やしてしまえ遠花火

                           樋口由紀子

者はひとり部屋の中で遠花火を聞いている。かすかな中に時折確かに響くその音に、昔家族で見た花火のことなど思い出されるのだろう。遠花火の音をきっかけによみがえってくる数々の記憶が、失ったものへの追慕となってやりきれない感情と共に、燃やしてしまえ、という強い言葉を生む。その口調の強さと遠花火の静けさとの対比が、作者の慟哭を際立たせているようにも思える。掲出句の数句前に〈父が逝く籠いっぱいに春野菜〉とある。しばらく時が経って季節が動いた頃ふと感じる淋しさ、娘にとって父親はやはり特別な存在なのだと、亡くしてみてわかるこの頃である。『樋口由紀子集』(2005)所収。(今井肖子)


August 1382013

 うぶすなや音の遅るる揚げ花火

                           村上喜代子

と光の関係を理解してはいても、夜空に広がった花火を目にしてから、その光が連れてくる腹の底に響くような音に身をすくめる。鉦や太鼓など大きな音が悪霊を追い払うとされていたことから、花火には悪疫退散の意味も込められていたことがうなずける。歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」の「両国花火」を見るとその構図はおどろくほど暗い。時代は安政5年。安政2年の大地震のあと、初めて開催された花火だといわれる。画面の半分以上が占められる夜空には鎮魂も込めて打ち上げられた花火の、火花のひとつひとつまで丁寧に描かれている。花火に彩られた夜空は、ふたたび漆黒の沈黙を広げる。それはまるで、なつかしい記憶をよみがえらせたあと、大切に保管するための重い蓋を閉じるかのように。〈三・一一赤子は立つて歩き初む〉〈ひぐらしは森より蝉は林より〉『間紙』(2013)所収。(土肥あき子)


July 2372014

 幽霊の形になっていく花火

                           高遠彩子

よいよ日本中、花火花火の季節である。花火のあがらない夏祭りは祭りではないのか、といったあんばいの今日このごろである。花火も近頃は色彩・かたち・音ともに開発されてきて、夜空は従来になく多様に彩られ、見物人を楽しませてくれるようになってきた。しかもコンピューター操作が普及しているから、インターバルが短く、途中で用足しするヒマもままならないほどだ。「幽霊の形」ということは、開いたあと尾を引くように長々としだれる、あの古典的花火の様子だろう。♪空いっぱいに広がった/しだれ柳が広がったーーという童謡が想起される。しかも「なっていく」という表現で、きらめきながら鮮やかにしだれていく経過が、そこに詠みこまれていることも見逃せない。この場合の「幽霊」は少しも陰気ではないし、「幽霊」と「花火」という言葉の取り合わせも意識されているようだ。彩子はユニークな声をもつ若いシンガーとして活躍しているが、たいへんな蕎麦通でもある。『蕎麦こい日記』という著書があるほどで、時間を惜しんで今日も明日も各地の蕎麦屋の暖簾をくぐっている。他に「生くるのも死ぬるも同じ墓参り」がある。「かいぶつ句会」所属。『全季俳句歳時記』(2013)所載。(八木忠栄)


August 0382014

 雲は王冠詩をたづねゆく夏の空

                           仙田洋子

者は、稜線を歩いているのでしょう。標高の高い所から、雲を王冠のように戴いている山を、やや上に仰ぎ見ているように思われます。「雲は王冠」の一言で詩に出会えていますが、夏の空にもっともっとそれをたづねてゆきたい、そんな、詩を求める心がつたわります。句集では、掲句の前に「恋せよと夏うぐひすに囃されし」、後に「夏嶺ゆき恋する力かぎりなし」があり、詩をたづねる心と恋する力が仙田洋子という一つの場所から発生し、それを率直に俳句にする業が清々しいです。また、「橋のあなたに橋ある空の遠花火」「国後(クナシリ)を遥かに昆布干しにけり」といった、彼方をみつめる遠い眼差しの句がある一方で、「わが胸に蟷螂とまる逢ひに行く」「逢ふときは目をそらさずにマスクとる」「雷鳴の真只中で愛しあふ」といった、近い対象にも率直に対峙する潔い句が少なくありません。詩に対する、恋に対する真剣さが、瑞々しさとして届いています。ほかに、「踏みならす虹の音階誕生日」。『仙田洋子集』(2004)所収。(小笠原高志)


May 1352015

 新築の青葉がくれとなりにけり

                           泉 鏡花

である。山と言わず野と言わず、青葉が繁って目にしみるほどにムンムンとしている季節である。植物によって青葉の色彩に微妙なちがいがあるから、さまざまな青葉を味あうことができる。見晴らしのいい場所に少し前に新築された家(あるいは新築中でもよかろう)は、おそらく作者を注目させずにはおかない造りなのだろう。どんな家なのだろう? いずれにせよ、家の新築は見ていても気持ちがいいものだ。鏡花が注目する「新築」とは……読者の想像をいやがうえにもかき立ててやまない。つい先日までは、まるまる見えていたのに、夏らしくなって青葉がうっそうと繁り、せっかくの家を視界から隠してしまった。残念だが、夏だから致し方ない。とは言え、この場合、作者は青葉を恨んでいるわけではない。「やってくれたな!」と口惜しそうに、ニタリとしているのかもしれない。「新築」の姿もさることながら、いきいきと繁ってきた「青葉」もじつはうれしいのである。鏡花には他に「花火遠く木隠(こがくれ)の星見ゆるなり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


August 1582015

 手花火の小さく闇を崩しけり

                           蔵本聖子

ち上げ花火ならお腹に響くくらいに大きい単純なのが、手花火なら線香花火が好ましい、というのは勝手な私見である。もちろんよくフィナーレに使われる連発の花火も美しいし、手で持ってくるくる回したりするのも楽しくはあるのだが。いずれにしても闇あってこその花火、この句の花火は線香花火だろう。小さく闇を崩す、と感じさせるのは牡丹が終わって大きい火の玉ができて、すこし沈黙した後の松葉が始まるあたりか。あの独特の音と細かく繊細な火花は、一瞬そこにある闇とぶつかってその闇を崩したかと思ううちに、すぐ弱まり雫になって燃えおちる。そんな線香花火とその後ろにある大きな闇を、少し離れたところから見ている作者なのだろう。『手』(2015)所収。(今井肖子)


August 2982015

 真つ直ぐに闇を上つてゆく花火

                           岸田祐子

見何ということのない句だが、打ち上げられてから花開くまでのわずかな時間を見つめている、作者を含めた多くの花火見の人々の緊張感がうまく表現されている。虚子の句に〈空に伸ぶ花火の途の曲りつゝ 〉があり、実際は微妙に揺らぎながら上っていくが、真っ直ぐ、の語の勢いが読み手に大輪の花火の輝きと全身に響く音の爽快感を感じさせる。八月も終盤、七月に始まったそちこちの花火大会ももう終わりだなと関東の花火大会を検索すると意外にも、九月、十月と結構予定されている。確かに空気が澄んできてくっきり見えるのかもしれないが、なんとなく気持ちがのらないような気がするがどうなのだろう。『南日俳壇』(「南日本新聞」2015年8月27日付)所載。(今井肖子)


June 0162016

 馬洗ふ田川の果の夕焼(ゆやけ)雲

                           岩佐東一郎

日ではほとんど見られなくなった光景である。田の農作業が終わって、暑さでほてり、汗もかいてよごれた馬を、田川で洗っている。その川はずっと遠くまでつづいていて、ふと西の方角を見れば夕焼雲がみごとである。馬も人もホッとしている日暮れどきである。ここでは「馬洗ふ」人のことは直接触れられていないけれど、一緒に労働していた両者の心が通っているだろうことまでも理解できる。馬だけではなく、洗う人も水に浸かってホッとしているのだ。遠くには赤あかと夕焼雲。「馬洗ふ」には「馬冷やす」「冷し馬」などの傍題がある。かつて瀬戸内海地方には陰暦六月一日に、ダニを洗い落とすために海で牛を洗う行事があったというが、現在ではどうか? 掲出句はその行事ではなくて、農作業の終わりを詠んだものであろう。詩人・岩佐東一郎には「病める児と居りて寂しき昼花火」がある。加藤楸邨には「冷し馬の目がほのぼのと人を見る」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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