July 031997
子に土産なく手花火の路地を過ぐ
大串 章
若い父親の苦い心。父となった者には、だれしもが経験のあるところだろう。ぴしゃりとその核心をとらえている。なべて名産品などというものには大人向きが多いから、小さな子への土産選びは難しい。いろいろ考えているうちに、今回はパスということになったりする。が、そうした場合、我が家が近くなってくると、たいてい後悔する。どんなにちゃちな土産でも、買ってくればよかった……。近所の子供たちが花火で楽しそうに遊んでいるというのに、我が子は家にいてひたすら父の帰りを待ちかねているのだ。などと、うしろめたさは募るばかり。さあ、言い訳をどうしたらよいものか。『朝の舟』所収。(清水哲男)
July 021997
瀧の上に水現れて落ちにけり
後藤夜半
これぞ夜半の代表句。出世作。力強い滝の様子が、簡潔に描かれている。昭和初期の「ホトトギス」巻頭に選ばれた作品だ。私は好きだが、この句については昔から毀誉褒貶がある。たとえば作家・高橋治は「さして感動もしなければ、後藤夜半という一人の俳人の真骨頂がうかがえる句とも思わない」と言い、「虚子の流した客観写生の説の弊が典型的に見えるようで、余り好きになれない」(「並々ならぬ捨象」ふらんす堂文庫『破れ傘』栞)と酷評している。そうだろうか。そうだとしても、これ以上にパワフルな滝の姿を正確に詠んだ句が他にあるだろうか。私は好きだ。『青き獅子』所収。(清水哲男)
July 011997
兇状旅で薮蚊は縞の股引よ
島 将五
役人に追われての兇状旅。勝新太郎のはまり役だった「座頭市」や芝居でお馴染みの「国定忠治」などが、兇状持ちの庶民的ヒーローだ。そんな兇状持ちのいでたちとの類似性を、薮蚊に発見したところが極めてユニーク。薮蚊に刺されると、実に痛い。なにせ兇状持ちなのだからして、手加減などは無しの世界だ……。と、そこまで作者は言っていないけれど、この見立ての面白さは抜群だ。将五の句にはどこか並外れた発想があって、とても万太郎系の「春燈」で長い間書いていた人とは思えない。神戸で罹災され四国に移られたと聞いたが、お元気だろうか。『萍水』所収。(清水哲男)
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