季語が滝の句

July 0271997

 瀧の上に水現れて落ちにけり

                           後藤夜半

れぞ夜半の代表句。出世作。力強い滝の様子が、簡潔に描かれている。昭和初期の「ホトトギス」巻頭に選ばれた作品だ。私は好きだが、この句については昔から毀誉褒貶がある。たとえば作家・高橋治は「さして感動もしなければ、後藤夜半という一人の俳人の真骨頂がうかがえる句とも思わない」と言い、「虚子の流した客観写生の説の弊が典型的に見えるようで、余り好きになれない」(「並々ならぬ捨象」ふらんす堂文庫『破れ傘』栞)と酷評している。そうだろうか。そうだとしても、これ以上にパワフルな滝の姿を正確に詠んだ句が他にあるだろうか。私は好きだ。『青き獅子』所収。(清水哲男)


June 3061998

 外を見る男女となりぬ造り滝

                           三橋敏雄

女の機微に疎い人は(といって、私が敏いというわけではありません。念の為)、二人が仲違いしたのかと誤解するかもしれない。事実はその逆で、いうところの「深い仲」になった感慨が詠まれているのである。新婚なのか不倫なのか、はたまた行きずりの恋なのか。定かではないけれど、いや、そんなことはどうでもよろしいのであって、とりあえず旅館というような場所では、外を見るしか所在のないのがこういうときである。二人は、べつに滝を観賞しているわけではない。宿屋がこれみよがしに造成した滝が、いちばん目立つので、仕方なく目をやっているだけの話だ。それにしても、この国の宿屋の庭には悪趣味が目立つ。造り滝といい枝々をひねくりまわした松といい、さらには死にそうな鯉を泳がせている池といい、あれらは全体いかなる美意識の産物なのであろうか。そんな野暮な庭のおかげをこうむるのは、こういうときだけだ。つまり、悪趣味も人助けになるときもあるということ。が、その庭すらも存在しない現今のラブホテルでは、こんなときの二人はどうするのだろうか。たぶん、見たくもないテレビのスイッチを入れて、外を見ている気分になるのであろう。『まぼろしの鱶』(1966)所収。(清水哲男)


August 1281998

 滝が落つ金槌ならむまぎれ落つ

                           竹中 宏

を見ていたら、何か水とは違うものがまぎれて落ちたような気がした。あれは金槌だったのではないだろうか、きっとそうだったに違いない。と、そんな馬鹿な話はないのだけれど、私はこれを作者の実感だと思う。実際、滝のように水嵩の多い水流現象を見ていると、そこにあるのは水というよりも他の物質のように思えてくることがある。で、何かの拍子で水流が崩れたりしたときに、メタリックな印象が生まれたとしても、それはそんなに不思議なことでもないだろう。誰にでも、起きる幻視のひとつなのだ。でも、滝のなかに金槌を見るという目は、凡人のものではない。俳句に鍛えられていないと、こうは見えない。こういう表現には至らない。どこか空とぼけているようでいて、しかし、あくまでも客観性を手放さないまなざしは、一朝一夕にはつくれないものだということ。プロにはプロの目がある。プロにしか見えないものが、この世にはたくさんあるということ。竹中宏は、高校時代から草田男門の俊才であった。そして、師の草田男には、このような目はなかった。その意味では、作者はこの句(だけではないが…)あたりで、がっちりと自分自身の俳句をつかんだと言えそうである。「翔臨」(第32号・1998)所載。(清水哲男)


June 2862002

 瀧壷に瀧活けてある眺めかな

                           中原道夫

語は「瀧(滝)」で夏。なんいっても目を引くのは「滝活(い)けてある」という見立てだ。花瓶などに花が活けられているように、瀧壷に瀧が活けてあると言うのである。落下してくるものを活けるとは、かなり無理があるのではないか。と、誰しもが思うところだろうが、しかし言葉面にこだわれば、「活ける」には土や灰の中に埋めるという意味もある。「炭を活ける」「土管を活ける」などと使い、「埋ける」とも書く。すなわち「活ける」の原義は「生かす」ということであり、ここから考えると、瀧壺が瀧を生かしていると見るのも不自然ではない理屈だ。瀧壺があって、はじめて瀧は堂々の落下を遂行することができる……。実際にも、勢いよく落ちてくる瀧を見ていると、瀧壺から太い水の脚が立ち上がっているようだ。「眺めかな」の押さえ方も、なかなかに憎い。ここであれこれ細工をすると、句が縮こまってしまい、瀧の雄大さが伝わらないだろう。読者をぽーんと突き放すことによって、句の姿自体も瀧のように太くたくましくなっている。どこの瀧だろうか。私は咄嗟に、中学の修学旅行で行った日光の華厳の瀧を思い出した。生まれてはじめて見た大きな瀧だったから、いつまでも印象は強烈なままに残っている。『アルデンテ』(1996)所収。(清水哲男)


July 2772007

 一瀑を秘めて林相よかりけり

                           京極杞陽

えない滝を詠んでいる。目の前に林が広がる。滝音でもするのか、それとも滝はおそらくあると作者は推測しているのか。五感を通して直接感受したことや、感覚を通しての推測ならば、この「秘めて」は「写生」から逸脱しないが、その林の中に滝が存在するという事実を知識として持っているということだと理屈の勝った句になる。この「秘めて」は前二者のどちらかにとりたい。林相(りんそう)とは聞きなれない言葉だ。あるいは専門用語か。それにしても林の美しさを言うのに実に的確な言葉ではある。「祭笛吹くとき男佳かりける」(橋本多佳子)笛を吹く男の姿に見惚れる感覚と林の姿に美しさを感じる感覚はどこか似ている。三十数年前大学受験の折に農学部林学科というのを受けたことがある。獣医学科だの農芸化学科だのの農学部の他の学科よりは競争率が低かったのと、「林は国策の根幹である」だったか「林は地球の縮図である」だったかの言葉をどこかで見て興味を持っていたせいだ。そのときのこの学科は競争率1.8倍だったが、見事に落ちてしまった。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


June 0462008

 満山の青葉を截つて滝一つ

                           藤森成吉

書に「那智の滝」とある。滝にもいろいろな姿・風情があるけれど、那智の滝の一直線に長々と落ちるさまはみごとと言わざるを得ない。すぐそばでしぶきを浴びながら見あげてもよし、たとえば勝浦あたりまで離れて、糸ひくような滝を遠望するのも、また味わいがちがって楽しめる。新緑を過ぎて青葉が鬱蒼としげる山から、まさにその万緑をスパッと截り落とさんばかりの勢いがある。「青葉」「滝」の季重なり、などというケチくさい料簡など叩き落す勢いがここにはある。余計なことは言わずに、ただ「截つて」の一言で滝そのものの様子やロケーションを十二分に描き出して見せた。いつか勝浦から遠望したときの那智の滝の白い一筋が、静止画の傑作のようだったことが忘れられない。ドードーと滝壺に落ちる音が、彼方まで聞こえてくるようにさえ感じられた。「青葉を截つて」落ちる滝が、あたりに強烈な清涼感を広げている。ダイナミックななかにも、「滝一つ」と詠むことで一種の静けさを生み出していることも看過できない。よく似た句で「荒滝や満山の若葉皆震ふ」(夏目漱石)があるが、こちらは「荒」や「震ふ」など説明しすぎている。成吉には「部屋ごとに変はる瀬音や夏の山」という句もあるが、澄んでこまやかな聴力が生きている。左翼文壇で活躍した成吉は詩も俳句も作り、句集『山心』『蝉しぐれ』などがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 2652009

 今生を滝と生まれて落つるかな

                           岩岡中正

調な山の景色のなかで、ふいに水音が高まり、唐突に目の前が開ける場所。そこに滝はある。足元ばかり見続けていた視線が大きく動かされることや、清冽な自然の立てる轟音、そして正面から浴びる豊富なマイナスイオン効果もあいまって、五感のすべてが澄みわたる気分になっていく。掲句の「今生」とは、この世。滝を前にして、ひたむきに水を落し続ける滝に吸い込まれるように魅了される。岩間から湧いた清水であったことや、この先海を目指している水の生い立ちなど一切構わず、眼前の水とのみ対峙すれば、滝上から身を投げ、深淵に泡立つまでの距離が現世として迫ってくる。この一瞬こそが滝の一生。葛飾北斎の「諸国滝廻り」では8箇所の滝が描かれているが、流れ落ちる水の様子がひとつずつまったく違うのに驚かされる。あるものは身をくねらせ、またあるものは天空から身を踊らせる。そしてそのどれも大きな眼が隠された生きもののように見えてくる。北斎もまた、落ちる水にわが身を重ねるようにして描く魅入られた人であった。『春雪』(2008)所収。(土肥あき子)


July 2272009

 蝶白く生れて瀑の夜明けかな

                           八十島 稔

(たき)は滝で夏。滝も地形それぞれによってさまざまな形状がある。掲出句の滝は「華厳瀑にて」という詞書があるから、ドードーと長々しくダイナミックに落ちる日光・中禅寺湖から落ちる滝である。私は夜明けの滝をつぶさに見た経験はないけれど、白い帯になって落ちつづける滝のしぶきから、あたかも白い蝶が次々に生まれ出てくるような勢いが感じられるのであろう。あたりを払うようなダイナミズムだけでなく、蝶を登場させたことで可憐な清潔感が強く表現されている。稔は岩佐東一郎や北園克衛らとともに、戦前に俳句を盛んに作っていた詩人の一人であり、句集『柘榴』を「風流陣文学叢書」の一冊として刊行している。同じ華厳滝を詠んだ句「わが胸を二つに断ちて華厳落つ」(福田蓼汀)には、対照的な豪快な調べがあるけれど、掲出句は静けささえ感じさせるきれいな夜明けである。私事になるが、日光の華厳滝はもう二十数年以上見ていない。真冬のそれを見たときには、別な凄まじさで圧倒された。滝の句では、他に中原道夫の「瀧壷に瀧活けてある眺めかな」に悠揚迫らぬ味わいがあって忘れがたい。『柘榴』(1939)所収。(八木忠栄)


July 1772010

 めつむれば炎の見ゆる滝浄土

                           角川春樹

の向こうに見える炎のようなものを描きたい、とは徳岡神泉画伯の言葉だったか。その炎は明るく燃えているというよりむしろ仄暗くゆらめいて、目を閉じればなお強く迫ってくるのだろう。句の前後から察して、この滝は那智の滝。〈夜も蒼き天をつらぬく瀑布あり〉〈はればれと滝は暮れゆく音を持つ〉〈銀漢のまつしぐらなり補陀落寺〉など、一度はこの目で那智の滝を観たい、とあらためて強く思った。ことに、夜の滝。その音と匂いに包まれているうち、滝の水が天から落ちているのか、天に向かって駆け上っているのか、自分がどこにいるのか、どこへ行くのか・・・確かなものは何ひとつ無くなっていく気がする。信ずるものにとって観音浄土は、現世よりよほど確かなものなのだろう。『夢殿』(1988)所収。(今井肖子)


June 2162012

 無垢無垢と滝に打たれてをりしかな

                           山崎十生

禅を組むのも、断食道場へ通うのも、滝に打たれるのも自分の中に巣くう煩悩を流して生まれ変わりとはいかないまでも、まっさらな自分になりたいがためだろう。どのぐらい効果があるかわからないが、「無垢無垢」と念じつつ、轟音とともに落ちてくるしぶきの冷たさに耐えながら立っている様子を思うと何だか笑えてくる。真面目であればあるほど「無垢無垢」が擬音語のようでもあり、念仏のようでもあり、押さえても押さえても湧き出てくる煩悩のようで、何だかおかしい。那智の滝や華厳の滝の如く遥か上方から垂直にたたきつけるのは怖すぎるけど、穏やかない滝なら、ムクムクと打たれてみるのもいいかもしれない。『悠々自適入門』(2012)所収。(三宅やよい)


July 3172012

 踵より砂に沈みて涼しさよ

                           対中いずみ

んざりするほど暑い日が続くと、句集を開くときでさえ、わずかな涼感を求めるようにページを繰る。不思議なことにそんなときには吹雪や凩の句ではなく、やはり夏季の俳句に心を惹かれる。遠く離れた冬ではあまりにも現実から離れすぎてしまうためかもしれない。掲句には奥深くを探る指先にじわりとしみるような涼を感じた。人間が直立二足歩行を選択してから、踵は身体の重さを常に受け止める場所となった。細かい砂にじわじわと踵が沈む感触は、地球の一番やわらかい場所に身体を乗せているような心地になる。あるいは、波打際に立ったときの足裏の、砂と一緒に海へと運ばれてしまうようなくすぐったいような悲しいような奇妙な感触を思い出す。暑さのなかに感じる涼しさとは、どこか心細さにつながっているような気がする。〈ひらくたび翼涼しくなりにけり 前書:田中裕明全句集刊行〉〈この星のまはること滝落つること〉『巣箱』(2012)所収。(土肥あき子)


September 1492012

 滝の上深作欣二の叫び声

                           秋山巳之流

者は人の名前を詠みこんだ挨拶句を多く作った。俳句の本質は挨拶にありと思っていたのかもしれない。俳句は個人的なものだと思っていたのかもしれない。多くの挨拶句の中で僕はこの句が好きだ。深作は映画「仁義なき戦い」、「バトル・ロワイヤル」の監督。前立腺癌がわかったとき性機能が失われると言われて手術を拒否した人。ブルーハーツが好きで葬儀で「1001のバイオリン」を流すようにと遺言した人。その人が滝の上で何か叫んでいる。滝の轟音と重なって何を叫んでいるのかわからないような絶叫のイメージだ。そういえば巳之流さんも同じ時期、癌との闘病中だったのだ。『秋山巳之流全句集』(2012)所収。(今井 聖)


May 2952013

 夏柳奥に気っ風(ぷ)のいい主人(あるじ)

                           林家たい平

川啄木の歌ではないけれど、今の時季の柳は葉が青々と鮮やかで目にしみるようだ。冬枯れの頃は葉が枯れ落ちてしまい、幽霊も行き場を失うような寒々しい風情。「気っ風のいい主人」とは、八百屋か魚屋あたりだろうか? まあ、どちらでもいいが、さかんに風にゆられている店先の柳の動きと呼応して、店の奥で立ち働く主人にもそれなりの勢いが感じられる。落語家の着目だから、主人は江戸っ子なのかもしれない。「奥」といういささかの距離感が、句に奥行きを与えている(ダジャレじゃないよ)。「気っ風」とか「ご気性(きしょう)」などという言葉は、若い俳人にはもはや縁遠いものだろう。句会で〈天〉をとった句だという。改めての合評会で、たい平が「えーとどなた(の句)でしたっけ」などとトボケて(?)いるのは愛嬌。たい平は「笑点」だけでなく、ラジオのパーソナリティーとしてもなかなかのもの。伸びざかりの明るい中堅真打で、こん平の弟子。高座での田中眞紀子の声帯模写に、たびたび度肝を抜かれたことがある。武蔵野美術大学造形学部出身の変わり種。他に「夏痩せの肩突き刺して滝の糸」がある。俳号は中瀞(ちゅうとろ)。『駄句たくさん』(2013)所載。(八木忠栄)


April 0642014

 峰の湯に今日はあるなり花盛り

                           高浜虚子

本最古と言われる和歌山県湯の峰温泉に句碑があります。熊野古道につながる湯の峰王子跡です。熊野詣での湯垢離場として名高く、一遍上人が経文を岩に爪書きした伝説が残り、小栗判官蘇生の地でもあります。句碑の脇の立て板にはこう記されています。「先生は昭和八年四月九日初めて熊野にご来吟になり、海路串本港に上陸され潮の岬に立ち寄られてその夜は勝浦温泉にお泊まりになり、十日那智山に参詣『神にませばまこと美はし那智の滝』と感動され新宮市にご二泊。翌十一日にプロペラ船で瀞峡を経て本宮にお着きになり、旧社跡から熊野巫神社に参詣された後、湯の峰温泉の『あづまや』に宿られて私どもと句会をしこの句を作られました。十二日に中辺路から白浜温泉に向われたのであります。途中野中の里にて『鶯や御幸ノ輿もゆるめけん』とお残しになられました。先生は昭和二十九年十一月、文化勲章を受賞されましたが、同三十四年四月八日八十四歳で逝去されました。 昭和五十五年七月 先生にお供した福本鯨洋 記」。名湯と花盛りと、虚子を慕って集った人々と、その喜びが「今日はあるなり」に集約された挨拶句です。なお、「湯の峰」を「峰の湯」としたのは、地名よりも場所を写実した虚子らしい工夫で、凡庸を避けています。(小笠原高志)


July 1572014

 言霊の力を信じ滝仰ぐ

                           杉田菜穂

辞苑には言霊(ことだま)は「言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた」と解説される。日本の美称でもある「言霊の幸ふ国」とは、言霊の霊妙な働きによって幸福をもたらす国であることを意味する。沈黙は金、言わぬが花などの慣用句も言葉とは聖にも邪にもなることから生まれたものだ。そして滝の語源はたぎつ(滾つ)からなり、水の激しさを表し、文字は流れ落ちる様子を竜にたとえたものだ。胸底にたたむ思いも、また波立つもののひとつである。さまざまな思いを胸に秘め滝を仰ぐ作者に、水の言霊はどのような姿を見せてるのだろうか。〈猫好きと犬好きと蟇好き〉〈ウエディングドレスのための白靴買ふ〉『砂の輝き』(2014)所収。(土肥あき子)


April 1442015

 卵かけご飯大盛り山笑ふ

                           嶌田岳人

いご飯に生卵を落として食べる。今や卵かけご飯専用醤油まで販売されるほどメジャーになったが、やはりお行儀はあまりよろしいものではない。よろしくないからこそ、お茶碗に山盛りにしたご飯が似合うのだ。たびたび紹介している1928年に来日したイギリス女性、キャサリン・サンソムの『東京に暮す』に、日本人がご飯を食べる姿がこう書かれている。「ご飯をかき込む姿は、戸を一杯に開いた納戸に三叉で穀物を押し込む時のようで、大きく開けた口もとに飯茶碗を添えて、箸でせわしく動かしながらご飯を掻き込みます」そして「これがご飯をおいしく食べる方法なのです」と続く。おいしく食べている様子は、見ている側にも伝わるのだ。掲句では「山笑う」の季語が、山盛りのご飯のかたちとしても効いており、また「なんとおいしそうなこと!」と笑っているようにも思わせる。最後にお気に入りの卵かけ御飯レシピ。卵の白身と黄身を分けて、ます白味とご飯だけでぐるぐるっと混ぜる。たちまちふわふわのメレンゲ状になるので、そこに黄身を乗せ、くずしながら醤油などをたらして食べる。新鮮な卵が手に入ったらぜひお試しください(^^)〈瀧音といふ水の束解けたる〉の抒情や、〈どこまでがマンボーの顔秋暑し〉の俳味など、句柄の自在も魅力の一冊。『メランジュ』(2015)所収。(土肥あき子)


June 1462015

 神にませばまこと美はし那智の滝

                           高浜虚子

は夏の季語です。しかし実際は、昭和8年4月、南紀に遊んだ時の作句です。参道の脇には句碑が建っています。一方、山口誓子は昭和43年、前書を那智として「鳥居立つ大白滝を敬へと」と詠みました。私も初めて那智に行ったとき、鳥居をくぐると本殿・社殿はなく、じかに大白滝を拝むことに驚きました。それまで神道にはほとんど関心がなかったのですが、「那智の滝が枯れる時は世界が終わる時」という言い伝えは聞き及んでいたので、たしかに、この滝が枯れたら那智川流域の植物も枯れてしまうと思いました。ここ、飛瀧神社は、那智の滝を中心にして成り立っている鎮守の森の生態系それ自体を聖域とみて、鳥居で俗界と区切り、滝の下り口には注連縄を渡して神さ まであることを示 しています。那智の滝は、植物にも動物にも人にも水を与え、元気にしてくれます。それが、神さまのはたらきなのでしょう。また、鳥居をくぐり抜けて滝をおがむ者は、133mの落差のなか、水が多様に変化しながら落ちていく様を見ます。滝壺からは轟音がこだまして、風は涼しい飛沫(しぶき)を運び参拝する者を包みます。この動態を、虚子は「美(うる)はし」の一語で切ります。日本の神さまは、このように直接的な自然現象を人に与えている場合が多く、人々は、山や岩や海や樹や稲など、それぞれの土地の恵みを崇拝してきました。それにしても、滝そのものをご神体にしている事例は、ここ以外に知りません。ご存知の方がいたら、教えてください。『虚子五句集』(岩波文庫・1996)所収。(小笠原高志)


August 1182015

 鶏頭の俄かに声を漏らしけり

                           曾根 毅

には植物というより、生きものに近いような存在感を持つものがある。鶏頭もそのひとつ。花の肌合いが生きものそのものといった感じもあり、個人的には少々苦手。生命力も旺盛な花で、真夏の暑さでもぐんぐん成長し、直射日光の下で深紅や黄色の鮮やかな花を付ける。その鶏頭が声を漏らすという。「俄かに」とは、急に、だしぬけに、という意味。同句集が東日本大震災の作品が多く収められているということを踏まえると、掲句は強靭な鶏頭が見た惨状への声と思わせる。鶏頭が生きものめいているだけに声を持つことに一瞬なんの躊躇もなかったが、それはいかにも不気味で禍々しい。作者は四十歳未満であることが応募資格の第4回芝不器男俳句新人賞受賞。震災ののちの現状を平素の景色のなかで詠む。副賞が句集上梓というのも若い俳人へのエールにふさわしい。〈滝おちてこの世のものとなりにけり〉〈桐一葉ここにもマイクロシーベルト〉『花修』(2015)所収。(土肥あき子)




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