1997ソスN6ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 3061997

 夫に不満ジョッキに水中花咲かせ

                           岡本 眸

会では、男が面白がって点を入れたくなる作品だ。だが、作者にしてみれば「面白がられる」のは不本意だろう。これは、とても寂しい怒りの句なのだから。男には、こうした女の不満の表現が理解できないので、他人事でもあることだし、面白がってしまうしかないのである。句の収められた本の「解説」で、富安風生が書いている。「僕はあくまでも女には争われない女の匂いが出ているいい句を望むというだけ……」。ただ残念ながら、この句は彼の眼鏡にはかなわなかったらしく、別の「いい句」があげられている。「夫愛すはうれん草の紅愛す」。『朝』所収。(清水哲男)


June 2961997

 田の母よぼくはじゃがいもを煮ています

                           清水哲男

は少年に留守を任せて田に出ていった。少年は母の帰宅を待ちながら、母に命じられたじゃがいもを煮ている。時刻は家の外の青田に日ざしが溢れる昼時と思われる。たとえば句とは立場が逆の「田草とり終へてかへればうれしもよ魚を焼きて母は待ちをり」(結城哀草果)とは作品の空気の色が違う。暮らしは貧しくとも農業が信じられて、少年は少年なりに仕事を分担した時代の回想だろうか。作者は詩人、俳号赤帆。(草野比佐男)

[編者註]「日本農業新聞」(6月17日付)より転載。


June 2861997

 貨車の扉の隙に飯喰う梅雨の顔

                           飴山 實

後十一年(1956)、国鉄労働者という存在が組織的には輝いていた時代の句。つらい労働の合間にふと垣間見せた一個人としての表情を、作者は見逃さなかった。無心ではあるが、暗い影のある表情。もとより、それはある日ある時の自分のそれでもあるはずなのだが……。飯のために働き、働くために飯を喰う。そんな単純で素朴な社会における人物スケッチだ。最近ではトラック輸送に追いやられて、長い貨車の列など見たことがない。子供らが競って、車体に表示された記号から、何を運ぶための貨車なのかを覚えた時代だった。『おりいぶ』所収。(清水哲男)




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