1997N628句(前日までの二句を含む)

June 2861997

 貨車の扉の隙に飯喰う梅雨の顔

                           飴山 實

後十一年(1956)、国鉄労働者という存在が組織的には輝いていた時代の句。つらい労働の合間にふと垣間見せた一個人としての表情を、作者は見逃さなかった。無心ではあるが、暗い影のある表情。もとより、それはある日ある時の自分のそれでもあるはずなのだが……。飯のために働き、働くために飯を喰う。そんな単純で素朴な社会における人物スケッチだ。最近ではトラック輸送に追いやられて、長い貨車の列など見たことがない。子供らが競って、車体に表示された記号から、何を運ぶための貨車なのかを覚えた時代だった。『おりいぶ』所収。(清水哲男)


June 2761997

 青梅をかむ時牙を感じけり

                           松根東洋城

われてみると、なるほどと思うことはよくある。歯に関する知識はないが、青梅のような固いものを噛むときには、なるほど口腔に牙のような歯があることを感じさせられる。昔の人が俗に言った「糸切り歯」あたりの歯のことだろうか。ところで、私が子供だったころには、たいていの子供は青梅を食べることを親から禁じられていた。「お腹が痛くなる」という理由からだった。戦後の飢えがあったけれども、親に隠れて僕らはよく食べたものだ。仮名草紙『竹斎』に「御悪阻(つわり)の癖としてあをうめをぞ好かれけり」とあるそうで(『大歳時記』集英社)、言われてみると妊婦には、牙をむき出して青梅など酸っぱいものに立ち向かう勢いがあり、それが実に頼母しいのである。(清水哲男)


June 2661997

 さみだるる大僧正の猥談と

                           鈴木六林男

誌「俳壇」(95年5月号)。筑紫磐井編「平成の新傾向・都市生活句100」より。妙におかしい句である。すべてがつながっているような、いないような。大僧正の猥談はだらだらととめどもない。「猥談」の使い方が絶妙。鈴木六林男、大正八年大阪生まれ。西東三鬼に師事。出征し中国、フィリピンを転戦し、コレヒドール戦で負傷、帰還する。戦後「天狼」創刊に参加。無季派の巨匠であるが「季語とは仲良くしたい」といい、有季句も作る。「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」は無季句の傑作。(井川博年)




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