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June 2661997

 さみだるる大僧正の猥談と

                           鈴木六林男

誌「俳壇」(95年5月号)。筑紫磐井編「平成の新傾向・都市生活句100」より。妙におかしい句である。すべてがつながっているような、いないような。大僧正の猥談はだらだらととめどもない。「猥談」の使い方が絶妙。鈴木六林男、大正八年大阪生まれ。西東三鬼に師事。出征し中国、フィリピンを転戦し、コレヒドール戦で負傷、帰還する。戦後「天狼」創刊に参加。無季派の巨匠であるが「季語とは仲良くしたい」といい、有季句も作る。「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」は無季句の傑作。(井川博年)


June 0761998

 五月雨の降のこしてや光堂

                           松尾芭蕉

五月十三日、芭蕉と曽良は平泉見物に訪れ、別当の案内で光堂(正式には金色堂)を拝観している。「おくのほそ道」の途次のことだ。句意を岩波文庫から引いておく。……五月雨はすべてのものを腐らすのだが、ここだけは降らなかったのであろうか。五百年の風雪に耐えた光堂のなんと美しく輝いていることよ。とまあ、これは高校国語程度では正解であろうが、解釈に品がない。芭蕉はこのように光堂の美しさをのみ詠んだのではなくて、光堂の美しさの背景にある藤原氏三代やひいては義経主従の「榮耀一睡」の夢に思いを馳せているのだからである。有名な「夏草や兵どもが夢の跡」はこのときの句だ。ところで光堂であるが、現在は鉄筋コンクリートの覆堂(さやどう)で保護されている。たとえば花巻の光太郎山荘と同じように、元々の建物をそっくり別の建物で覆って保護しているわけだ。家の中の家という感じ。芭蕉の時代にも覆堂はあり(と、芭蕉自身がレポートしている)、学者によれば南北朝末の建設らしいが、いずれにしても五月雨からは物理的に逃れられていた。『おくのほそ道』の文脈のなかではなく、こうして一句だけを取り出して読むと、光堂はハダカに見える。また、ハダカでなければ句が生きない。その意味からすると状況矛盾の変な句でもあるのだが、覆堂の存在を忘れてしまうほどの美しさを言っているのであろう。昔の句は難しいデス。(清水哲男)


June 2861998

 さみだれを集めて早し最上川

                           松尾芭蕉

っている人もいると思うが、この句の原形は「さみだれを集めて涼し最上川」であった。泊めてくれた船宿の主人に対して、客としての礼儀から「雨降りのほうが、かえって涼しくていいですよ」と挨拶した句だ。それを芭蕉は『おくのほそ道』に収録するに際して、「涼し」を「早し」と改作した。最上川は日本三大急流(あとは富士川と球磨川)のひとつだから、たしかにこのほうが川の特長をよくとらえており、五月雨の降り注ぐ満々たる濁流の物凄さを感じさせて秀抜な句に変わっている。ところで、実は芭蕉はこのときにここで舟に乗り、ずいぶんと怖い目にあったらしい。「水みなぎつて舟あやうし」と記している。だったら、もう少し句に実感をこめてくれればよかったのにと、私などは思ってしまう。単独に句だけを読むと、最上川の岸辺から詠んだ句みたいだ。せっかく(?)大揺れに揺れる舟に乗ったのに、なんだか他人事のようである。このころの芭蕉にいまひとつ近寄りにくい感じがするのは、こういうところに要因があるのではなかろうか。もしかすると「俳聖」と呼ばれる理由も、このあたりにあるのかもしれない。そういえば、実際にはおっかなびっくりの旅だったはずなのに、『おくのほそ道』の句にはまったくあわてているフシがみられない。関西では昔から、こういう人のことを「ええカッコしい」という。(清水哲男)


May 1851999

 五月雨や人語り行く夜の辻

                           籾山庭後

月雨(さみだれ)は旧暦五月の雨だから、梅雨と同義と読んでよいだろう。そぼ降る小雨のなかの夜の辻を、何やら語り合いながら行く人ふたり。それぞれの灰色の唐傘の表情が、ふたりの関係を示しているようだ。だが、もとより作者の関心は話の中身にあるのではなく、情景そのものが持つ抒情性に向けられている。さっとスケッチしているだけだが、情緒纏綿たる味わいがある。籾山庭後は、子規を知り、虚子を知り、永井荷風の友人だった出版人。この句は大正五年(1916)二月に自分の手で出版した『江戸庵句集』に収められている。なぜ、そんなに古い句集を、私が読めたのか。友人で荷風についての著書も多い松本哉君が、さきごろ古書店で入手し、コピーを製本して送ってくれたからだ。「本文の用紙、平綴じの針金ともに真っ赤に酸化していて崩壊寸前」の本が、八千五百円もしたという。深謝。いろいろな意味で面白い本だが、まずは荷風の長文の序文が読ませる。この句など数句を引いた後に、こう書いている。「君が吟詠の哀調はこれ全く技巧に因るものにあらずして君が人格より生じ来りしものなるが故に余の君を俳諧師として崇拝するの念更に一層の深きを加へずんばあらず」。(清水哲男)


June 1262000

 五月雨や大河を前に家二軒

                           与謝蕪村

家でもあった蕪村のの目が、よく生きている。絵そのものと言っても、差し支えないだろう。濁流に押し流されそうな小さな家は、一軒でも三軒でもなく、二軒でないと視覚的に座りが悪い。一軒ではあまりにも頼りなく、すぐにでも流されてしまいそうで、かえってリアリティに欠ける。濁流の激しさのみが強調されて、句が(絵が)拵え物のように見えるからだ。逆に三軒(あるいはそれ以上)だと、にぎやかすぎて流されそうな不安定感が薄れ、これまたリアリティを欠く。このことから、蕪村にはどうしても「二軒」でなければならなかった。考えてみれば、「二」は物のばらける最小単位だ。したがって、不安定。夫婦などの二人組は、「二」を盤石の「一」にする(つまり「不二」にしたい)願望に発しているので、ばらける確率も高いわけである。ついでに書いておけば、手紙の結語の「不一」。あれは、「一」ではないという意味で、「以上、いろいろ書きましたが、「一」のように盤石の中身ではありませんよ」と謙遜しているのである。これが一方で、「三」となると「鼎」のように安定するのだから面白い。ところで「大河」の読みだが、専門家は「たいが」と読むようだ。でも、この句をまず言葉として読む私は、「おおかわ」に固執したい。「たいが」だなんて、日本の河じゃないみたいだからだ。もっとも、蕪村自身は「たいが」派でしょうね。そのほうが、墨絵風な味がぐっと濃くなるので……。不一(笑)。(清水哲男)


May 2752004

 五月雨や御豆の小家の寝覚がち

                           与謝蕪村

語は「五月雨(さみだれ)」で夏。陰暦五月に降る雨だから、現代の「梅雨」と同義だ。ただ同じ季節の同じ長雨といっても、昔のそれについては頭を少し切り替える必要がある。昔は、単に鬱陶しいだけではすまなかったからだ。「御豆(みず)」は、淀川水系の低湿地帯の地名であり、今の地図に「(淀)美豆」「水垂」と見える京都郊外のあたりだろう。周辺には淀川、木津川、宇治川、桂川が巨大な白蛇のようにうねっている。長雨で川が氾濫したら、付近の「小家(こいえ)」などはひとたまりもない。たとえ家は流されなくても、秋の収穫がどうなるか。掲句は、いまに洪水になりはしないかと心配で「寝覚がち」である人たちのことを思いやっている。蕪村にしては珍しく絵画的ではない句であるが、それほどに五月雨はまた恐ろしい自然現象であったことがうかがわれる。風流なんてものじゃなかったわけだ。似たような句が、もう一句ある。「さみだれや田ごとの闇と成にけり」。「田ごとの」で思い出すのは「田毎の月」だ。山腹に小さく区切った水田の一つ一つに写る仲秋の月。それこそ絵画的で風流で美しい月だが、いま蕪村の眼前にあるのは、長雨のせいで何も写していない田圃のつらなりであり、月ならぬ「闇」が覆っているばかりなのである。こちらは少しく絵画的な句と言えようが、深読みするならば、これは蕪村の暗澹たる胸の内を詠んだ境涯句ととれなくもない。いずれにせよ、昔の梅雨は自然の脅威だった。だから梅雨の晴れ間である「五月晴」の空が広がったときの喜びには、格別のものがあったのである。(清水哲男)


May 0952007

 船頭も饂飩うつなり五月雨

                           泉 鏡花

にヘソマガリぶるつもりはないけれど、芭蕉や蕪村の五月雨の名句は、あえて避けて通らせていただこう。「広辞苑」によれば、「さ」は五月(サツキ)のサに同じ、「みだれ」は水垂(ミダレ)の意だという。春の花たちによる狂躁が終わって、梅雨をむかえるまでのしばしホッとする時季の長雨である。雨にたたられて、いつもより少々暇ができた船頭さんが、無聊を慰めようというのだろうか、「さて、今日はひとつ・・・・」と、うどん打ちに精出している。本来の仕事が忙しいために、ご無沙汰していたお楽しみなのだろう。雨を集めて幾分流れが早くなっている川の、岸辺に舫ってある自分の舟が見えているのかもしれない。窓越しに舟に視線をちらちら送りながら、ウデをふるっている。船頭仕事で鍛えられたたくましいウデっぷしが打っていくうどんは、まずかろうはずがない。船頭仲間も何人か集まっていて、遠慮なく冷やかしているのかもしれない。「船頭やめて、うどん屋でも始めたら?」(笑)。あの鏡花文学とは、およそ表情を異にしている掲出句。しかし、うどんを打つ船頭をじっと観察しているまなざしは、鏡花の一面を物語っているように思われる。鏡花の句は美しすぎて甘すぎて・・・・と評する人もあるし、そういう句もある。けれども「田鼠や薩摩芋ひく葉の戦(そよ)ぎ」などは、いかにも鏡花らしく繊細だが、決して甘くはない。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 3052008

 五月雨や上野の山も見あきたり

                           正岡子規

治三十四年、死の前年の作。子規は根岸の庵から雨に煙る緑の上野の山を毎日のように見ていた。病臥の子規にとって「見あきたり」は実感だろうが、人間は晩年になると現世のさまざまの風景に対してそんな感慨をもつようになるのであろうか。「見るべきほどのことは見つ」は壇ノ浦で自害する前の平知盛の言葉。「春を病み松の根つ子も見あきたり」は西東三鬼の絶句。三鬼の中にこの子規の句への思いがあったのかどうか。この世を去るときは知盛のように達観できるのが理想だが、なかなかそうはいかない。子規も三鬼も「見あきたり」といいながら「見る」ことへの執着が感じられる。思えば子規が発見した「写生」は西洋画がヒントになったというのが定説だが、この「見る」ということが「生きる」ことと同義になる子規の境涯が大きな動機となっていることは否定できない。生きることは見ること。見ることの中に自己の瞬時瞬時の生を実感することが「写生」であった。『日本の詩歌3・中公文庫』(1975)所載。(今井 聖)


November 14112009

 三つといふほど良き間合帰り花

                           杉阪大和

り花、とただいえば桜であることが多いというが、いまだ出会ったことがない。上野の絵画展の帰りに、桜並木を見上げて探したこともあるが、立ち止まって一生懸命見つけるというのもなんだか違うかなあ、と思ってやめた。枯れ色の庭園を歩いていて、真っ白なつつじの帰り花がちょこんと載っているのに出会うことはよくある。いかにも、忘れ咲、という風情で、個人的にはあまり好きでないつつじの花にふと愛着の湧く瞬間だ。掲出句の帰り花は、桜なのだろう。花をとらえる視線を思いうかべると、一つだと点、二つだと線、三つになると三角形、つまり面になって、木々全体にふりそそぐ小春の日差が感じられる。確かにそれをこえると、あちらにもこちらにも咲いていてまさに、狂い咲き、の感が強くなりそうだ。以前、俳句の中の数、について話題になった時、蕪村の〈五月雨や大河を前に家二軒〉は、調べの問題だけでなく、一軒ではすぐ流されそうだし、三軒だと間が抜ける、という意見になるほどと思ったことがある。そのあたり、ものによっても人によっても微妙に違いそうだ。「遠蛙」(2009)所収。(今井肖子)


May 2652010

 五月雨ややうやく湯銭酒のぜに

                           蝶花楼馬楽

月雨は古くから俳諧に詠まれてきたし、改めて引用するのもためらわれるほどに名句がある。五月雨の意味は、1.「さ」は稲の植付けで「みだれ」は雨のこと、2.「さ」はさつき、「みだれ」は水垂(みだ)れのこと――などと説明されている。長雨で身も心もくさくさしている売れない芸人が、湯銭や酒を少々買う金に不自由していたが、なんとか小銭をかき集めることができた。湯銭とか煙草銭というものはたかが知れている。さて、暇にまかせて湯へでも行って少々の酒にありつこうか、という気持ちである。貧しいけれど、むしろそのことに身も心も浸している余裕が感じられて、悲愴な句ではない。さすがは噺家である。「銭(ぜに)」は本来、金や銀で造られた「お金」ではなく、小銭のことを意味した。「銭ぁ、こまけえんだ。手ぇ出してくんな…」で知られる落語「時そば」がある。芭蕉の「五月雨の降り残してや光堂」のような、立派で大きな句の対局にある捨てがたい一句。晩年に発狂したところから「気違い馬楽」とも呼ばれた三代目馬楽は、電鉄庵という俳号をもっていた。妻子も弟子もなかったが、その高座は吉井勇や志賀直哉にも愛された。「読書家で俳句をよくし(中略)…いかにも落語家ならではの生活感にあふれた句を詠んでいる」(矢野誠一)と紹介されている。他に「ご無沙汰の酒屋をのぞく初桜」がある。矢野誠一『大正百話』(1998)所載。(八木忠栄)


June 1462010

 駅前のだるま食堂さみだるる

                           小豆澤裕子

れから一週間ほど、東京地方には雨模様の予報が出ている。いよいよ梅雨入りだろうか。今日は旧暦五月三日だから、降り出せば正真正銘の「五月雨(さみだれ)」である。この句が何処の駅前の情景を詠んだものかはわからないが、私などにはとても懐かしい雰囲気が感じられて好もしい。現今の駅前はどんどん開発が進み、東京辺りではもうこのような定食屋っぽい食堂もなかなか見られなくなってしまった。昔の駅前といえば、必ずこんな小さな定食屋があって、小さなパチンコ屋だとか本屋などもあり、雨降りの日にはそれらが少しかすんで見えて独特の情趣があった。まだ世の中がいまのようにギスギスしていなかった頃には、天気が悪ければ、見知らぬ人同士の心もお互いに寄り添うような雰囲気も出てきて、長雨の気分もときには悪くなかった。そこここで「よく降りますねえ」の挨拶が交わされ、いつもの駅、いつもの食堂、そこからたどるいつもの家路。この句には、そうしたことの向こう側に、昔の庶民の暮らしぶりまでをも想起させる魅力がある。さみだれている名所旧跡などよりも、こちらの平凡な五月雨のほうがずっと好きだな。この情景に、私には高校通学時のまだ小さかった青梅線福生駅の様子が重なって見えてくる。あれからもう半世紀も経ってしまった。『右目』(2010)所収。(清水哲男)


May 2252011

 目の覚める時を朝なり五月雨

                           炭 太祇

まり、朝になったから起きるのではなく、目が覚めたその時が朝なのだよと、そのような意味なのでしょうか。起きて行動を起こすための眠りではなく、眠りそのもののための眠りを、しっかりととった後の目覚めです。句を読んでいるだけで、長い欠伸が出てきそうです。そういえば、眠りの中でずっと聞こえていた音は、窓の外に途切れることなく降る雨の音だったかと、目覚めて後に布団の中で気づくのです。なんだかこの雨も、そんなにあせって生きることはない、もっと体を休めていてもいいのだよという、優しい説得のようにも聞こえてきます。もちろん、いつもいつもでは困りますが、たまには、五月雨の許可を得て、目を閉じ、そのまま次の夢へ落ちて行ってもいいのかもしれません。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


May 2552011

 幾度も寝なほす犬や五月雨

                           木下杢太郎

の俳句は「いくたびも……さつきあめ」と読みたい。「さみだれ」の「さ」は「皐月」「早苗」の「さ」とも、稲の植付けのこととも言われ、「みだれ」は「水垂(みだれ)」で「雨」のこと。梅雨どき、降りつづく雨で外歩きが思うようにできない飼犬は、そこいらにドタリとふてくされて寝そべっているしかない。そんなとき犬がよくやるように、所在なくたびたび寝相を変えているのだ。それを見おろしている飼主も、どことなく所在ない思いをしているにちがいない。ただただ降りやまない雨、ただただ寝るともなく寝ているしかない犬。いい加減あがってくれないかなあ。梅雨どきの無聊の時間が、掲句にはゆったりと流れている。杢太郎は詩人だったが、俳句も多い。阿部次郎らと連句の輪講や実作をさかんに試みたそうである。その作風は、きれいな自然の風景を描くといった傾向が強かった。他に「湯壷より鮎つる見えて日てり雨」「杯の蟲取り捨てつ庭の秋」などがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 0852013

 五月雨や庭を見ている足の裏

                           立川左談次

談次は1968年に談志の弟子になった、立川流の古参。五月雨の時季、OFFの芸人が無聊を慰めているという図かもしれない。自画像か否か、どちらでもかまわない。雨の日はせかせかしないで、のんびり寝そべって足の裏で雨の庭をただ眺めている、そんな風情はむしろ好もしい。それが芸人ならなおのこと。足の裏に庭を眺めさせるなんて、いかにも洒落ている。そのとき眼のほうはいったい何を見ていたのだろうか? 「足の裏」が愛しくてホッとする。錚々たる顔ぶれがそろう「駄句駄句会」の席で、左談次はさすがによくしゃべり、毒舌も含めてはしゃいでいる様子である。ちなみに、この句に向けられたご一同の評言を列挙してみよう。「よそに出しても通用する」「いかにも怠惰な男の句です」「『浮浪(はぐれ)雲』みたい」「毎日寝ているひとじゃないと詠めない」「足の裏がいい」「この表現が落語に生きたらすごい」「古い日本人共通のノスタルジーだ」……みなさん勝手なことを言っているようだけれど、ナルホドである。左談次の俳号は遮断鬼。句会では、他に「三月の山おだやかに人を呑み」がある。『駄句たくさん』(2013)所載。(八木忠栄)


November 13112013

 この子らに未来はありや七五三

                           清水 昶

五三に限らないけれど、着飾ってうれしそうな子どもたちを見るにつけ、昶ならずとも「未来はあるか」という懸念が、身うちでモグモグしてしまうことが近年増えてきた。こちらがトシとって、未来の時間がどんどん減ってきていることと、おそらく関係しているのだと思う。それにしても、先行き想定しようのない嫌ァーな時代が仄見えている気がする。私などが子どもの頃、わが田舎では「七五三」といった結構な祝いの風習などなかった。いわんや「ハッピーバースデイ」なるものだって。だから、わが子の「七五三」や「ハッピーバースデイ」などといった祝い事では、むしろこちとら親のほうが何やら妙に照れくさかったし、落着かなかった。子どもに恵まれなかった昶の句として読むと、また深い感慨を覚えてしまう。もちろん「この子ら」の未来だけでなく、自分たち親の未来や人類の未来への思いを、昶は重ねていたはずである。掲句は、サイト「俳句航海日誌」の2010年11月15日に発表されている。亡くなる半年前のことである。亡くなる一週間前の句は「五月雨て昏れてゆくのか我が祖国」である。「子らの未来」や「我が祖国」などが、最後まで昶の頭を去ることはなかったかもしれない。『俳句航海日誌』(2013)所収。(八木忠栄)


July 0772014

 ヘッドホンのあはひに頭さみだるる

                           柳生正名

ッドホンというのだから、たしかに「あはひ(あいだ・間)」には「頭」がある。しかし私たちは普通、そこには「頭」ではなく「顔」があると認識している。だからわざわざ「頭」があると言われると、理屈はともかく、「え?」と思ってしまう。そしてこの人は、顔を見せずに頭を突きだしているのだろうと想像するのだ。つまり、ヘッドホンを付けて下うつむいている人を思い浮かべてしまうというわけだ。ヘッドホンからはどんな音楽が聞こえているのかはわからない。が、さながら「さみだれ」のように聞こえている音楽が、その人の周囲に降っている五月雨の音に、溶け込むように入り交じっているようである。そう受け取ると、おそらくは青年期にあるその人の鬱屈した心情が思われて、読者はしんと黙り込むしかないのであろう。『風媒』(2014)所収。(清水哲男)


December 04122015

 菜屑など散らかしておけば鷦鷯

                           正岡子規

鷯(ミソサザイ)は雀よりやや小さめの日本最少の小鳥である。夏の高所から冬の低地に移り住む留鳥である。根岸の子規庵は当時の状態に近い状態で保存されている。開放されているので訪れる人も多い。そこに寝転んで庭を眺めていると下町の風情ともども子規の心情なんぞがどっと胸に迫ってくる。死を覚悟した根岸時代の心情である。病床の浅い眠りを覚ましたのはミソサザイのチャッツチャッツと地鳴き。これが楽しみで菜屑を庭に撒いておいたのだ。待ち人来るような至福の喜びがどっと襲う。ここでの句<五月雨や上野の山も見あきたり><いもうとの帰り遅さよ五日月><林檎くふて牡丹の前に死なん哉>などが身に沁みる。高浜虚子選『子規句集』(1993)所収。(藤嶋 務)


June 1462016

 細胞はこゑなく死せり五月雨

                           髙柳克弘

月雨は陰暦五月の雨、梅雨のこと。湿度の高さに辟易しながら、人は半分以上水分でできているのに…、人間は水の中で生まれたはずなのに…、とうらめしく思う。暑ければ暑いで文句が出、寒ければ寒いで文句が出る。声とは厄介なものである。しかしこの文句の多い体を見つめれば、その奥で、細胞は声もなく静かに生死を繰り返している。降り続く雨のなかでじっと体の奥に目を凝らせば、生と死がごく身近に寄り添っていることに気づく。新陳代謝のサイクルを調べてみると「髪も爪も肌の角層が変化してできたもの、つまり死んだ細胞が集まったものです(花王「髪と地肌の構造となりたち」)」の記述を発見した。体の奥だけではなく、表面も死んだ細胞に包まれていたのだ。衝撃よりもむしろ、むき出しの生より、死に包まれていると知って、どこか落ち着くのは、年のせい、だろうか。〈一生の今が盛りぞボート漕ぐ〉〈標なく標求めず寒林行く〉『寒林』(2016)所収。(土肥あき子)




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