1997N626句(前日までの二句を含む)

June 2661997

 さみだるる大僧正の猥談と

                           鈴木六林男

誌「俳壇」(95年5月号)。筑紫磐井編「平成の新傾向・都市生活句100」より。妙におかしい句である。すべてがつながっているような、いないような。大僧正の猥談はだらだらととめどもない。「猥談」の使い方が絶妙。鈴木六林男、大正八年大阪生まれ。西東三鬼に師事。出征し中国、フィリピンを転戦し、コレヒドール戦で負傷、帰還する。戦後「天狼」創刊に参加。無季派の巨匠であるが「季語とは仲良くしたい」といい、有季句も作る。「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」は無季句の傑作。(井川博年)


June 2561997

 麦笛や四十の恋の合図吹く

                           高浜虚子

品に言えば、秘めた恋。いまふうに言えば、不倫。手紙や電話で相手を呼び出すわけにはいかないので、一計を案じた句。いい年をした大人が麦笛など吹くわけはないから、その常識を逆手に取ったのである。虚子センセイも、なかなか隅に置けなかったのだなとは思うけれど、どことなく嘘っぽい。句が出来過ぎているからだろう。ところで、いまだったらこんな場合にどうするだろうか。ほとんどの男は、ポケベルを使うのでしょうな。(清水哲男)


June 2461997

 尺蠖の時を惜しまず戻りけり

                           なかのげんご

蠖(しゃくとり)は尺取虫。なるほど、こいつはいつも悠々と尺を取って歩いている。時間の観念を感じさせない。子供の頃はこちらも暇だったから、いつまでも飽きずに眺めていたっけ。まさか大人になってから、分秒単位の仕事に就くなどとは、夢にも思わなかった。ラジオの仕事をはじめる前に、情報番組のパーソナリティとしては草分けの片山竜二(故人)さんのお宅にうかがう機会があった。身体を悪くして引退された時期のことで、見ると、お宅の掛け時計の文字盤には数字がなかった。もちろん、秒針もない。「分だ秒だなんて、もうイヤだからね」と話されたが、しかし口調はどこか寂しげだった。分秒の毒がまわると、ちょっとやそっとでは尺蠖の境地には至れないのである。『問名集』所収。(清水哲男)




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