1997N621句(前日までの二句を含む)

June 2161997

 ぶつぶつ言う馬居て青葉郵便局

                           加川憲一

者は北海道の人。北海道は競馬馬の産地だが、この場合は脚の太い農耕馬だ。都会の郵便局と違って、田舎のそれはちょっとした社交場でもあり情報集積所でもある。貯金を引き出しに行って、ついつい局員と話しこんでしまったりする。そんなご主人を待ちかねて、馬がぶつぶつ文句を言っている図。周囲には濡れるような青葉。そして昔ながらの赤い郵便ポスト。詠まれてはいないがこのポストの赤は重要で、馬の濃褐色と青葉の緑にポストの赤が加わることで、絵に描いたような牧歌的風景が完成する。微笑して作者は、もう一度馬を見やり郵便局の戸口に目を向けたところだ。それにつけても、梅雨のない北海道は羨ましい。この句は、金子兜太が主宰する俳誌「海程」の掲載句を論じた『現代俳句観賞』(飯塚書店・1993)に載っている。(清水哲男)


June 2061997

 交響楽運命の黴拭きにけり

                           野見山朱鳥

鳥はいつも病気がちで、人生の三分の一くらいを寝て暮らした。したがって、自分の人生や運命に対しては過敏なほどに気を配り反応して、多くの優れた句を残している。虚子は「異常な才能」と言っているが、その通りだろう。そんななかで、この句は一瞬のやすらぎを読者に与える。戦後間もなくの作品だから、ベートーベンの「運命」のレコードはSP盤だ(何枚組だったろうか)。ひさしぶりに聴こうとしたら、長い間針を落とさないでいたので、黴(かび)が生えてしまっていた。それをていねいに拭き落しながら、いつしか作者はみずからの運命の黴を拭いているような思いにとらわれたということである。私は深刻には受け取らず、このときに朱鳥が思わずも苦笑した様子を思い描いた。あえて言うのだけれど、俳諧ならではの滑稽味がにじんでいる作品だと思いたい。『天馬』所収。(清水哲男)


June 1961997

 他郷にてのびし髭剃る桜桃忌

                           寺山修司

桃忌(おうとうき)は6月19日。作家太宰治の忌日。太宰は青森生まれ。昭和初期一番の人気作家となるが、昭和23年玉川上水で心中。享年39歳。墓は三鷹市下連雀の禅林寺にあり、その墓前で毎年盛大な桜桃忌がとり行なわれる。死ぬ前に伊藤左千夫の「池水は濁りに濁り藤なみの影もうつらず雨ふりしきる」の歌を残した話は名高い。今は梅雨の最中。この句は同じ青森出身の鬼才寺山修司が太宰を詠んでいることで興味を引く。おそらくは十代の句であろう。昭和後期に八面六臂の活躍をした寺山修司は、昭和58年5月4日、杉並阿佐谷の川北病院で死去。享年47歳。墓は八王子高尾霊園にある。桜桃忌はともかく、今度、寺山さんの墓参りにでも行くか。(井川博年)

[編者註]「桜桃忌」の命名は、太宰と同郷で入水当時三鷹に住んでいた直木賞作家・今官一(こん・かんいち)による。
没後出版された『想い出す人々』(津軽書房・1983)に、こうある。

 太宰の一周忌を終えて、伊馬春部と出て来ると、禅林寺の山門へ、パラパラとさくらの実が落ちてきた。
  伊馬君とぼくは、その実をひろった。マッチ棒ほどの茎のついた、緑色の小さな実だった。
「これだ」とぼくは呟き「桜桃忌」といった。
「いいねえ」と伊馬君が答えた。
「桜桃忌」の由来である。
 太宰の三回目の命日から、「桜桃忌」といわれるようになった。(中略)ぼくにしては、あれやこれや、桜桃忌のために骨を折ったつもりだが、なにひとつ報いられていない。近頃では、ぼくのほうが門外漢の感じになってしまった。……




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