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June 2061997

 交響楽運命の黴拭きにけり

                           野見山朱鳥

鳥はいつも病気がちで、人生の三分の一くらいを寝て暮らした。したがって、自分の人生や運命に対しては過敏なほどに気を配り反応して、多くの優れた句を残している。虚子は「異常な才能」と言っているが、その通りだろう。そんななかで、この句は一瞬のやすらぎを読者に与える。戦後間もなくの作品だから、ベートーベンの「運命」のレコードはSP盤だ(何枚組だったろうか)。ひさしぶりに聴こうとしたら、長い間針を落とさないでいたので、黴(かび)が生えてしまっていた。それをていねいに拭き落しながら、いつしか作者はみずからの運命の黴を拭いているような思いにとらわれたということである。私は深刻には受け取らず、このときに朱鳥が思わずも苦笑した様子を思い描いた。あえて言うのだけれど、俳諧ならではの滑稽味がにじんでいる作品だと思いたい。『天馬』所収。(清水哲男)


July 1671999

 「三太郎の日記」も黴の書となれり

                           湯沢遥子

太郎といっても、漫画の主人公ではない。阿部次郎著『三太郎の日記』の青田三太郎のことだ。一知識人としての人生的哲学的懊悩を書きつづった内省の書とでも言うべきか。大正期から昭和初期にかけてのベストセラーだったらしい。我が書棚でも「黴(かび)の書」となっているが、ひさしぶりに引き抜いてみた。かつての旧制高校生だった叔父から、ずいぶんと昔にもらったものだ。どんな文体だったのか。その一節。「……俺の経験した限りでは酒も畢竟は苦かった。異性も畢竟は人形のやうに見えた。凡ての現実は、閃いて、消えて、虚無に帰する影のやうなものに過ぎなかつた。さうして俺は淋しかつた」。奥付を見ると大正六年の初刷で、昭和十五年には二十七刷となっている。定価は弍円五十銭。岩波書店刊。内容からして女性向きの本ではないので、句の「黴の書」の持ち主は兄弟か、夫か。いずれにしても、もはや誰の手に取られることもない一冊として、書棚の一隅に収められている。本は(そして人もまた)、かくのごとくに老いていくという心持ち。(清水哲男)


June 1362003

 接吻映画見る黴傘に顎乗せて

                           清水基吉

語は「黴(かび)」で夏。戦後九年目、1954年の句だ。およそ半世紀前の場末の映画館で、作者は「接吻映画」を見ている。がらがらで、しかも映画は退屈だったのだろう。そうでなければ、傘に顎を乗せて見るようなことはしない。傘も黴臭いが、映画館も黴臭い。そこらへんに、鼠が走っているような「小屋」はザラにあった。どういうわけか、客席に何本かの太い柱が立っているところもあり、柱の真後ろにも席があったのだから、それこそどういうわけだったのか。しかし、このころから日本映画は上り坂にかかってくる。ちなみに『二十四の瞳』『七人の侍』『ゴジラ』などが封切られたのは、この年だ。そんな映画を黴臭い二番館、三番館まで落ちてくるのを待ち、名作凡作ごたまぜの三本立てを、作者も見ていたのだろう。そのうちの一本が接吻映画だったわけだが、そういうジャンルがあったわけじゃない。ちょっとしたキス・シーンがあるというだけで売り物になったのだから、まことに時代は純情なものでした。当時の私はといえば、まだ高校生。立川や福生という基地の街の洋画専門映画館は、いつ入っても女連れのアメリカ兵でいっぱいだった。だから、キス・シーンはべつに映画の中じゃなくても、そこらへんにいくらでも転がっていた。掲句の作者とはまた違う意味で、映画館では憮然たる思いがしたものである。『宿命』(1966)所収。(清水哲男)


May 3052004

 交響曲運命の黴拭きにけり

                           野見山朱鳥

語は「黴(かび)」で夏。決して大袈裟ではなく、掲句をパッと理解できる人は、国民の半分もいないだろう。俳句もまた、年をとる。年を重ねるにつれて、詠まれた事象や事項が古くなり、忘れられ、新しい世代の理解が得られなくなる。淋しいことではあるが、仕方のないことでもある。「交響曲運命」はベートーベンの曲だが、ここではその曲の入ったレコードのことを言っている。それも、蓄音機で聴くSP(Standard Play)盤だ。SP盤の材質にはカーボンに混ぜて貝殻虫の分泌液が使われていたので、梅雨期にはよく黴が生えたし、ダニの温床になることすらあったという。だからこうして黴を拭う必要があったわけで、たまたまそれが「運命」という曲であっただけに、作者はさながらおのが運命を念入りに拭ったような晴朗の心持ちを覚えたのだろう。いまのCDとは違って、SP盤は割れやすかったし、交響曲などの長い曲は何枚組にもなっていた。それらを一枚いちまい拭い陰干しにしたりと、実に丁寧に取り扱って聴いた。だから聴く時には、まさに傾聴というにふさわしい聴き方をしていたのである。音楽好きの私の先輩などが、例外なく交響曲のディテールに詳しいのも、このためだろう。SP盤がLP(Long Play)盤にほぼ取って代わられたのは、1960年(唱和三十五年)と言われている。とすれば、既に四十数年前のことだ。多くの人に、掲句がわからなくても無理はない。なお、この句については一度書いたことがあるが、少し感想が動いたので再掲することにした。『天満』(1954)所収。(清水哲男)


May 0852007

 親戚のような顔して黴育つ

                           鎌田次男

ニシリンを始め、味噌、醤油、チーズなど、深く感謝に値する黴(カビ)は数あれど、清潔志向の現代の生活ではアレルギー疾患を引き起こす一因などとも関係し徹底して嫌われ、愛でるために栽培している人はまずいないと思われる。掲句ではそのにっくき黴が「親戚のような顔」で育っているという。俳句で使用する「ような」や「ごとく」には、ごく個人的な感情に通じるものがあり、読者の「わかる」と「わからない」が大きく分かれるところでもあるが、座敷の片隅で発見した黴がまるで「遠縁の者です。厄介になります」とばかりに、大きな顔でもなく、かといって遠慮するわけでもなく、ひそやかにのさばっていく様子はまさしく「親戚のような顔」であろう。黴が生えるという嫌悪すべき緊急事態が、一転してあっけらかんと罪のない日常に溶け込んだ。親戚が集まる冠婚葬祭の場では、どうしても思い出せない叔父や叔母や従姉妹が、ひとりやふたりいるものだ。しかし確かにどこかで見覚えもあり、どことなく似通うこの係累の特徴も備えている。結局、最後まではっきりとした関係はわからないまま「親戚の人」として存在する人物がいたことなども懐かしく思い出している。『亀の唄』(2006)所収。(土肥あき子)


June 1462007

 黴の花イスラエルからひとがくる

                           富沢赤黄男

断すると黴の生える季節になった。黴は陰気の象徴であるとともに、「黴が生える」「黴臭い」といった言葉は転じて「古くなる」「時代遅れになる」といった意味で使われることが多い。「黴の花」というけれど、黴は胞子によって増殖するので、花は咲かない。歳時記の例句を見ると、ものの表面に黴が一面に広がった状態を「黴の花」と形容しているようだ。現在のイスラエルの建国は1948年。この句が作られた昭和10年代、「イスラエル」は現実には存在しない国名だった。ローマ帝国に滅ぼされ、長らく国を持たず千年にわたって流浪の民となったユダヤ人が夢見た「乳と蜜の流れる王国」は聖書の中にしか存在しない幻の国だった。眼前の事実からではなく、言葉やイメージから発想する方法をとっていた作者は、実際の花として存在しない「黴の花」を咲かせることで、時空をワープして古代人がぬっと現れる不思議な仮想空間を作りだそうとしたのだろうか。言葉と言葉を結び付けることで見えない世界を見ようとした赤黄男の言葉の風景は60年のち現実のものとなった。しかし幻影が事実となった今も、「イスラエル」と「黴の花」の取り合わせはこの句に謎めいた雰囲気を漂わせているようだ。『現代俳句の世界16』(1985)所収。(三宅やよい)


June 1662008

 タイガースご一行様黴の宿

                           山田弘子

っ、なんだなんだ、これは。「失敬な」と思うのは、むろんタイガース・ファンだ。いつごろの句かはわからないが、私はこの「黴(かび)の宿」を比喩と見る。つまり遠征中のタイガースが黴臭く冴えない宿に泊まっているのではなくて、弱かった頃のタイガースの成績の位置がなんだか黴の宿に宿泊しているみたいだと言うのだろう。万年最下位かビリから二番目。実際にどんな宿に泊まっても、そこもまた黴の宿みたいに思えてしまえる、そんな時期もありました。作者は関西の人ゆえ、たぶん阪神ファンだと思うが、あまりの不甲斐なさに可愛さあまって憎さが高じ、つい自嘲を込めた皮肉の一つも吐いてしまったというわけだ。今季のタイガースにとてもこんなことは言えないが、ここにきての三連敗はいただけない。こういう句を作られないように、明後日からの甲子園ではあんじょうたのんまっせ。虚子に一句あり。「此宿はのぞく日輪さへも黴び」。こんなに黴レベルの高い宿屋には、二度と泊まらないですみますように。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


September 0492009

 秋風や書かねば言葉消えやすし

                           野見山朱鳥

かれない言葉が消えやすいのは言葉が思いを正しく反映しないからだろう。もやもやした言葉になる以前の混沌をそれでも僕らは言葉にしないと表現できない。加藤楸邨には「黴の中言葉となればもう古し」がある。書かねば消えてしまう言葉だからと、書いたところでそれはもう書かれた瞬間に「もやもやした真実」とは乖離し始める。百万言を費やしたところで、僕らは思いを正確に伝えることは不可能である。不可能と知りつつ僕らは今日も言葉を発し文字を書き記す。言葉が生まれたときから自己表現とはそういうもどかしさを抱え込んでいる。『現代の俳人101』(2004)所載。(今井 聖)


May 1952013

 猫一族の音なき出入り黴の家

                           西東三鬼

和三十五年の作品です。三鬼は、昭和二十三年に大阪女子医大病院歯科部長に就任し、同三十一年辞職、神奈川県三浦郡葉山に転居し、同三十七年、胃がんで亡くなるまで、晩年の六年間を専門俳人として生きます。掲句を作ったとき、すでに病を得て病床に伏しがちだったなら、実景写生の句でしょう。病床の視点と猫の視点はほぼ同じ高さ20 cmくらい。猫たちは、葉山の港で魚をあさり、たらふく食べて、黴くさい病人が伏している家に寝に帰る。しかし、そんな作者の背景を知らずに読むと、江戸川乱歩の幻想譚のような妖しい世界に引きずられていきます。掲句は七七五の破調です。この調べが、低い視点がソロソロ続くピアニシモをかすかに奏でているようです。「猫一族」というからには、親子、兄弟、祖父母等の大家族、少なくとも五匹以上の一族でしょう。字余りも、一族の多さを含意しています。この五匹以上の猫一族が、時折、出入りする。時には隊列を組んで、順番に入ってくる。この様子を形容する言葉がみつかりません。壮観というスケールではなく、賑やかという音もなし。猫は、静かなる生き物です。猫の歴史は、ヒトが農耕を始めた歴史と重なります。穀類を狙うネズミの天敵として飼われ始め、げんざいは、家族の一員として愛されています。ペット化された猫でも、いまだ、その野生味は失われていません。気ままに外出し、体の三倍以上のジャンプを見せます。人に飼われていようとも、そのマイペースな生態は、人の暮らしの中に完全には従属しない、種の矜持があります。身長20cmの視点を連ねて、ソロソロソロソロ出たり入ったりする猫の館。掲句は、地上20cmの幻想譚として読むこともできます。加えて、「黴の家」のにおいがつたわってくるところに、人の世界とは別のもう一つの世界が実在することを示してくれています。『西東三鬼集』(1984・朝日文庫)所収。(小笠原高志)


January 0512016

 子の声が転がつて来る雪の上

                           山崎祐子

中学校の冬休みは地域によってまちまち。それでも今日はまだどこも冬休みである。三ヶ日やお年始というおとなしくしていなければならない大人の行事への付き合いも終わり、普段通りに思いっきり遊べる日がやってきた。子どもというのは遊べる日というだけで心は躍る。おまけに雪が積もっているとなれば、大喜びで飛び出していくことだろう。掲句の遊びはソリなのか、雪合戦なのか。どちらにしても、いつもよりスピードを感じさせ、通り過ぎてゆく声である。子どもの声の高さや笑い声を「転がつて来る」としたところで、雪玉がだんだんふくらんでいくような楽しさにつながった。〈形見とは黴に好かれてしまふもの〉〈風鈴を百年同じ釘に吊る〉『葉脈図』(2015)所収。(土肥あき子)




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