1997N618句(前日までの二句を含む)

June 1861997

 大阪を離るる気なし鱧料理

                           下村非文

(はも)料理は、関西が本場。こんな気持ちの人がいても不思議ではない。いまでこそ東京でも鱧を出す店は増えてきたようだが、長い間、関東人は鱧をかえりみないできた。理由は知らない。そういえば小津映画に、笠智衆や中村伸郎などが、中学時代の恩師である東野英次郎(いまはしがないラーメン屋の親父という設定)を小料理屋に招待してもてなすという場面があった。そこに出てくるのが鱧料理。食べはじめた東野が突然に箸を止めて「こりゃあ、うまい。これは何だ」と問いかけるシーンが忘れられない。「センセイは、鱧も食ったことねえんだ」と、ひそひそ声のいまや功なり名とげたかつての教え子たち……。何を食べ何を食べないできたかで、その人の来歴が知れてしまう。そういうことがあることを、小津安二郎はさりげなく、しかし鋭く描いていた。(清水哲男)


June 1761997

 夕焼のうつりあまれる植田かな

                           木下夕爾

田(うえた)は、田植えを終わって間もない田のこと。殿村菟絲子に「植田は鏡遠く声湧く小学校」とあるように、天然の大鏡に見立てられる。やがて苗がのびてきた状態を「青田」という。さて、この句であるが、夕焼けをうつしてもなお余りある広大な水田風景だ。といって、句それ自体には作者の力技は感じられず、むしろ繊細な感覚が立ちこめている。このあたりが抒情詩人であった夕爾句の特長で、根っからの俳人には新鮮にうつるところだろう。舞台は、戦後間もなくの広島県深安郡御幸村(現・福山市御幸町)。『遠雷』所収。(清水哲男)


June 1661997

 梅雨寒の昼風呂ながき夫人かな

                           日野草城

かにも意味ありげで思わせぶりな句だが、フィクションだろう。十九歳で「ホトトギス」雑詠欄の巻頭を占めた草城には、女性を詠んだ作品が多い。代表的なのは、昭和九年(1934)の「をみなとはかゝるものかも春の闇」を含む「ミヤコホテル」連作だ。新婚初夜の花嫁をうたって、当時の俳壇では大変な物議をかもしたというが、これまたフィクションだった。こうした作家の姿勢は、たしかに古くさい俳句の世界に新風をもたらしたろうが、他方では思いつきだけの安易な句を量産させる結果ともなった。この句も道具だてが揃い過ぎていて、現代でいう不倫願望の匂いはあっても、底が浅い。山本健吉に言わせれば「才気にまかせて軽快な調子を愛し、物の真髄を凝視する根気に欠けていた」(新潮文庫『日野草城句集』解説)と、かなり手厳しいのである。なお「梅雨寒」は「つゆさむ」と濁らずに読む。『花氷』所収。(清水哲男)




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