1997N615句(前日までの二句を含む)

June 1561997

 父の日をベンチに眠る漢かな

                           中村苑子

月の第三日曜日は父の日。「漢」には「をとこ」と振り仮名がある。ホームレスの男だろうか。あるいは、酔っ払いだろうか。父の日だというのに、ベンチで眠りこけている。家族はないのだろうか。あるとしても、子供らは父のこのような姿は知らないだろう。しかし、作者は「お可哀そうに」と思っているわけではない。あえて「男」と書かずに「好漢」「悪漢」の「漢」を用いているのが、その証拠だ。むしろ、世間のヤワな風習などとは没交渉に生きている姿勢に、男らしさ、男くささを感じている。好感をすら抱いている。(清水哲男)


June 1461997

 形骸の旧三高を茂らしめ

                           平畑静塔

後の学制改革で、旧制高校はそれぞれ新制大学へと昇格(?)した。三高は京都大学吉田分校(教養部)となり、ひところは宇治分校で一年を過ごした二回生を受け入れる施設となっていた。私が在籍したとき(1959)にも感じたことだが、なんとも中途半端な存在で、学舎的魅力には乏しかった。ましてや静塔のように三高に学び、そこで俳句をはじめた人にとっては、自然に「形骸」という言葉が口をついて出てきても不思議ではない。作者の青春のときと同じように草木は茂っていても、形骸化してしまった三高の姿は見るにしのびないのだ。勢いよく茂るのであれば、もっともっと茂るにまかせよ。そんな心境だろうか。1954年の作品。『旅鶴』所収。(清水哲男)


June 1361997

 寫眞の中四五間奥に薔薇と乙女

                           中村草田男

い前書きがある。すなわち自句自解となっている。「佐藤春夫氏に『淡月梨花の歌』なる詩作品あり。想ふ人の幼き頃の寫眞を眺めて、『かゝる頃のかゝる姿を見し人ぞうらやまし』との意味を詠へりと記憶す。我も亦、家妻十九歳、初めての演奏會を終へしまゝの姿にて庭隅に佇ちて撮せる寫眞一葉、そを取出でゝ眺めつゝ人の世の時の經過の餘りにも早きを歎ずることあり」。敗戦後一年目の夏の句。空襲のない平和の味を噛みしめているような句だ。そして、同時期のこの句もまた微笑ましい。「童話書くセルの父をばよじのぼる」。セルは薄い和服地。オランダ語のsergeを「セル地」と読んで「セル」になったという。『来し方行方』所収。(清水哲男)




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