1997N614句(前日までの二句を含む)

June 1461997

 形骸の旧三高を茂らしめ

                           平畑静塔

後の学制改革で、旧制高校はそれぞれ新制大学へと昇格(?)した。三高は京都大学吉田分校(教養部)となり、ひところは宇治分校で一年を過ごした二回生を受け入れる施設となっていた。私が在籍したとき(1959)にも感じたことだが、なんとも中途半端な存在で、学舎的魅力には乏しかった。ましてや静塔のように三高に学び、そこで俳句をはじめた人にとっては、自然に「形骸」という言葉が口をついて出てきても不思議ではない。作者の青春のときと同じように草木は茂っていても、形骸化してしまった三高の姿は見るにしのびないのだ。勢いよく茂るのであれば、もっともっと茂るにまかせよ。そんな心境だろうか。1954年の作品。『旅鶴』所収。(清水哲男)


June 1361997

 寫眞の中四五間奥に薔薇と乙女

                           中村草田男

い前書きがある。すなわち自句自解となっている。「佐藤春夫氏に『淡月梨花の歌』なる詩作品あり。想ふ人の幼き頃の寫眞を眺めて、『かゝる頃のかゝる姿を見し人ぞうらやまし』との意味を詠へりと記憶す。我も亦、家妻十九歳、初めての演奏會を終へしまゝの姿にて庭隅に佇ちて撮せる寫眞一葉、そを取出でゝ眺めつゝ人の世の時の經過の餘りにも早きを歎ずることあり」。敗戦後一年目の夏の句。空襲のない平和の味を噛みしめているような句だ。そして、同時期のこの句もまた微笑ましい。「童話書くセルの父をばよじのぼる」。セルは薄い和服地。オランダ語のsergeを「セル地」と読んで「セル」になったという。『来し方行方』所収。(清水哲男)


June 1261997

 雨音の紙飛行機の病気かな

                           小川双々子

院中の作者が、たわむれに手元の紙で飛行機を折って飛ばしてみた。よく飛んだかどうかは問題ではない。病気だからそんな振る舞いに出たのだし、病気だから雨の音も明瞭に聞き取れている。それだけのことを言っている。ここにたゆたっているのは、作者の諦念だ。何度も目先に希望を見い出そうとした果ての諦めの心である。いまはストレートに「病気かな」と言い放てるほどに、その心は定まっているのだし、自分の病気を引き受け、冷静に見つめようとしている。みずからを「紙飛行機」に見立てているとも読めるが、同じことだろう。決して、鬱陶しいだけの句ではない。『異韻稿』(97年6月・現代俳句協会刊)所収。(清水哲男)




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