1997N612句(前日までの二句を含む)

June 1261997

 雨音の紙飛行機の病気かな

                           小川双々子

院中の作者が、たわむれに手元の紙で飛行機を折って飛ばしてみた。よく飛んだかどうかは問題ではない。病気だからそんな振る舞いに出たのだし、病気だから雨の音も明瞭に聞き取れている。それだけのことを言っている。ここにたゆたっているのは、作者の諦念だ。何度も目先に希望を見い出そうとした果ての諦めの心である。いまはストレートに「病気かな」と言い放てるほどに、その心は定まっているのだし、自分の病気を引き受け、冷静に見つめようとしている。みずからを「紙飛行機」に見立てているとも読めるが、同じことだろう。決して、鬱陶しいだけの句ではない。『異韻稿』(97年6月・現代俳句協会刊)所収。(清水哲男)


June 1161997

 箸先に雨気孕みけり鮎の宿

                           岸田稚魚

料理を出す宿とも読めるが、あまり面白くない。「孕(はら)みけり」のダイナミズムを採って、私は鮎釣りが解禁になる前夜の宿での句と読む。明日は、まだ暗いうちから起きだして、みんな川へと急ぐ。夕餉の膳を前に仲間達と鮎談義に花が咲くなかで、箸先にはかすかににじむように雨の気配が来ている。経験に照らして、こういうときにはよく釣れる。そう思うと、明日の釣りへの期待と興奮が静かにわいてこようというものだ。箸先を竿の先に擬する微妙な照合に注目。ところで、作者の成果はどうだったろうか。まったくの坊主(「釣れない」という意味の符牒)となると、もういけない。「激流を鮎の竿にて撫でてをり」(阿波野青畝)ということにもなってしまう。(清水哲男)


June 1061997

 起し絵やきりゝと張りし雨の糸

                           高橋淡路女

し絵(おこしえ)は立版古(たてはんこ)ともいい、切り抜き細工絵の一種。芝居の場面や風景の絵を切り抜き、遠近をつけ組み立ててから燈火で見る。要するに、飛び出す絵本の原形だ。雨を表現するために、白い糸が前面に何本もぴんと張られた起し絵を、作者は見ている。「なるほどねえ」と、その技巧に感心している。浮世絵のような雨。今では味わえない祭りの夜の楽しみ。ところで、最近の「MACLIFE」(97年6月号)を見ていたら、デジカメを使った起し絵(デジタル・フォトモ)づくりが紹介されていた。街の看板や人物や家並みを適当に撮影してきてプリントアウトし、それらを切り抜いて遠近をつけて立体化し、飛び出す絵本にするという遊びだ。さらに、それをもう一度デジカメで撮影する(「お湯をかけて戻す」というそうだ)と、なかなか面白い空間が見えてくる。新時代の起し絵だが、やはり雨は白い糸で表現するしかないかもしれない。(清水哲男)




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