1997N610句(前日までの二句を含む)

June 1061997

 起し絵やきりゝと張りし雨の糸

                           高橋淡路女

し絵(おこしえ)は立版古(たてはんこ)ともいい、切り抜き細工絵の一種。芝居の場面や風景の絵を切り抜き、遠近をつけ組み立ててから燈火で見る。要するに、飛び出す絵本の原形だ。雨を表現するために、白い糸が前面に何本もぴんと張られた起し絵を、作者は見ている。「なるほどねえ」と、その技巧に感心している。浮世絵のような雨。今では味わえない祭りの夜の楽しみ。ところで、最近の「MACLIFE」(97年6月号)を見ていたら、デジカメを使った起し絵(デジタル・フォトモ)づくりが紹介されていた。街の看板や人物や家並みを適当に撮影してきてプリントアウトし、それらを切り抜いて遠近をつけて立体化し、飛び出す絵本にするという遊びだ。さらに、それをもう一度デジカメで撮影する(「お湯をかけて戻す」というそうだ)と、なかなか面白い空間が見えてくる。新時代の起し絵だが、やはり雨は白い糸で表現するしかないかもしれない。(清水哲男)


June 0961997

 つく息にわづかに遅れ滴れり

                           後藤夜半

ったき静寂のなか、水の滴る音だけがしている。ふと気がつくと、自分の呼吸に正確に少し遅れて滴っている。それだけのことだが、身体の弱かった作者ならではの鋭い感覚が刻みつけられていて、さすがだと思う。病者に特有な神経のありようだ。ところで、これはどのような水の滴りなのだろうか。雨漏りだろうと、私は読んでおきたい。いまでこそ雨漏りするのはナゴヤドームくらいのものだが(笑)、昔はたいていの家で一箇所くらいは雨漏りがした。漏ってくる畳の上などに洗面器や鍋を置いて水滴を受けているとき、病者ならずとも、その音は気になった。単調なリズムの繰り返しに、ときに眠気を誘われることもあった。それだけに、雨がやんだときの嬉しさは格別だった。『青き獅子』所収。(清水哲男)


June 0861997

 米の香の球磨焼酎を愛し酌む

                           上村占魚

るで「球磨焼酎」の宣伝みたいだ。私は日頃焼酎を飲まないのでわからないが、好きな人には「その通りっ」という句であり、すぐに自分でも飲みたくなる句なのだろう。無技巧が逆に鮮やかで、いかにもウマそう。こういう句は、もっとあってもよいと思う。このような各地の名産を詠んだ句のアンソロジーを、どなたか編集してくれませんかね。焼酎といえば、生まれてはじめて飛行機に乗って奄美大島へ行ったことを思い出す。「文芸」(現在の「文藝」)の編集者として、開高健さんのお伴で島尾敏雄さんを訪ねる旅だった。仕事が終わってから、西部劇に出てくるようなたたずまいの町のバーに入ったら、何も注文しないのにサッと焼酎が運ばれてきた。びっくりしながら大いに酩酊したが、若さのおかげで翌朝はケロリとしていられた。開高さんも島尾さんも、酒飲みの達人だったから、もちろんケロリ。既にお二人とも鬼籍に入られたのが、なんだか夢のようである。(清水哲男)




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