1997N69句(前日までの二句を含む)

June 0961997

 つく息にわづかに遅れ滴れり

                           後藤夜半

ったき静寂のなか、水の滴る音だけがしている。ふと気がつくと、自分の呼吸に正確に少し遅れて滴っている。それだけのことだが、身体の弱かった作者ならではの鋭い感覚が刻みつけられていて、さすがだと思う。病者に特有な神経のありようだ。ところで、これはどのような水の滴りなのだろうか。雨漏りだろうと、私は読んでおきたい。いまでこそ雨漏りするのはナゴヤドームくらいのものだが(笑)、昔はたいていの家で一箇所くらいは雨漏りがした。漏ってくる畳の上などに洗面器や鍋を置いて水滴を受けているとき、病者ならずとも、その音は気になった。単調なリズムの繰り返しに、ときに眠気を誘われることもあった。それだけに、雨がやんだときの嬉しさは格別だった。『青き獅子』所収。(清水哲男)


June 0861997

 米の香の球磨焼酎を愛し酌む

                           上村占魚

るで「球磨焼酎」の宣伝みたいだ。私は日頃焼酎を飲まないのでわからないが、好きな人には「その通りっ」という句であり、すぐに自分でも飲みたくなる句なのだろう。無技巧が逆に鮮やかで、いかにもウマそう。こういう句は、もっとあってもよいと思う。このような各地の名産を詠んだ句のアンソロジーを、どなたか編集してくれませんかね。焼酎といえば、生まれてはじめて飛行機に乗って奄美大島へ行ったことを思い出す。「文芸」(現在の「文藝」)の編集者として、開高健さんのお伴で島尾敏雄さんを訪ねる旅だった。仕事が終わってから、西部劇に出てくるようなたたずまいの町のバーに入ったら、何も注文しないのにサッと焼酎が運ばれてきた。びっくりしながら大いに酩酊したが、若さのおかげで翌朝はケロリとしていられた。開高さんも島尾さんも、酒飲みの達人だったから、もちろんケロリ。既にお二人とも鬼籍に入られたのが、なんだか夢のようである。(清水哲男)


June 0761997

 庭土に皐月の蝿の親しさよ

                           芥川龍之介

(はえ)などという虫は、普段はただ疎ましいだけだが、陰暦・皐月(さつき)のいまごろに出始めの蠅を見かけたりすると、思いがけない親愛感がわいてきたりする。しかも、作者が機嫌よく庭に出ているとなれば、頃合いは梅雨の晴れ間か。だとすればますます、疎ましい虫に対しても親しい目つきになろうというものだ。自然の持つ素朴な輝きとしての庭土や蠅に、天才的小説家は素直な親しみを覚えている。が、一方で、この感性はかなりオジン臭い。言い換えれば、芥川は俳句表現においてもまた、若くして老成した目の持ち主であったということになる。しかし、作者が芥川だから油断はならない。あえてオジン的発想をねらった句とも考えられる。才気煥発な人の俳句は、いつも裏がありそうで、読むのがしんどい。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます