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June 0761997

 庭土に皐月の蝿の親しさよ

                           芥川龍之介

(はえ)などという虫は、普段はただ疎ましいだけだが、陰暦・皐月(さつき)のいまごろに出始めの蠅を見かけたりすると、思いがけない親愛感がわいてきたりする。しかも、作者が機嫌よく庭に出ているとなれば、頃合いは梅雨の晴れ間か。だとすればますます、疎ましい虫に対しても親しい目つきになろうというものだ。自然の持つ素朴な輝きとしての庭土や蠅に、天才的小説家は素直な親しみを覚えている。が、一方で、この感性はかなりオジン臭い。言い換えれば、芥川は俳句表現においてもまた、若くして老成した目の持ち主であったということになる。しかし、作者が芥川だから油断はならない。あえてオジン的発想をねらった句とも考えられる。才気煥発な人の俳句は、いつも裏がありそうで、読むのがしんどい。(清水哲男)


August 0981998

 富士山頂吾が手の甲に蝿とまる

                           山口誓子

夏でも、富士山の頂上は寒い。「二度登る馬鹿」と言われて二度登ったことがあるので、とくに朝方の冷えこみ具合は忘れられない。そんなところに蝿がいるのは、確かに素朴な驚きだ。下界で想像すると、なにしろゴミ捨て場みたいな山でもあるから、蝿だっているさと思いがちだが、あの寒気のなかの蝿の存在はやはり珍しいのである。この句の前に「十里飛び来て山頂に蝿とまる」とある。自分もよく登ったものだが、蝿よ、お前もよくやったなあ。そんな感慨が自然にわいてきて、手の甲の蝿を払いもせずに見つめている図である。巨大な富士と微小な蝿との取り合わせも面白い。なんでもない句と言えば言えようが、この「なんでもなさ」のポエジーを面白がれるヒトにならなければ、この世を、死ぬまでほとんどなんでもないことの連続で通り過ぎてしまうことになる。誤解を恐れずに言えば、俳句は「なんでもない世」を面白く見つめるための強力なツールなのだと思う。ついでに余談的愚問だが、最近「富士額(ふじびたい)」の女性をとんと見かけないのは、ヘア・スタイルの変化によるものなのだろうか。『不動』所収。(清水哲男)


April 0442007

 肩越しにふりむくと/背後は桜の花に/覆われていた

                           アレン・ギンズバーグ

レン・ギンズバーグはアメリカのビート派を代表する詩人。彼には『Mostly Sitting Haiku』(1978)という句集が一冊あるが、まだ日本では訳句集として刊行されていない。掲出句は中上哲夫訳。原文は「Looking over my shoulder/my behind was covered/with cherry blossoms」。桜の花を特別なとらえ方をしているわけでも、技巧をこらして詠んでいるわけでもない。背後をふりむいて、ぎっしりといちめんに咲いている桜に圧倒された、その驚き。毎年桜を観ている私たち日本人とはちがった強いショックを、ギンズバーグは当然覚えただろう。中上によれば、英文学者R.H.ブライスに『俳句』四巻本があるとのこと。掲出句には、1955年に「バークレー市にある小屋で『俳句』を読みながら作った俳句」というギンズバーグの前書きが付いている。代表作「HOWL」を書いた翌年である。あるインタビューで「黒い表紙の俳句の本が宝物だったよ」と語っている。ケルアックやスナイダーらも、さかんに俳句を作ったことはよく知られている。ケルアックの死後に出版された『俳句の本』(2003)には八百句近くが収められているとのこと。詩・禅・俳句――それらは彼らの精神のなかで緊密に連関していた。掲出句からおよそ20年後のギンズバーグに「鼻にとまった蝿よ/わたしは仏陀ではない/そこに悟りはないよ」(中上哲夫訳)という、ユーモラスで禅的な俳句がある。蛇足ながら、1988年10月に、シルバーのネクタイをしめたギンズバーグが砂防会館のステージに登場したとき、私は興奮のあまりからだが震えた。「現代詩手帖特集版・総特集=アレン・ギンズバーグ」(1997)所載。(八木忠栄)


August 0682007

 子の墓へうちの桔梗を、少し買いそえて持つ

                           松尾あつゆき

日広島忌。松尾あつゆき(荻原井泉水門)は三日後の長崎で被爆し、三人の子供と妻を失った。「すべなし地に置けば子にむらがる蝿」「なにもかもなくした手に四枚の爆死証明」。掲句は被爆後二十二年の夏に詠まれた。作者の置かれた状況を知らなくても、「少し買いそえて」の措辞から、死んだ子に対する優しくも哀切な心情がよく伝わってくる。この無残なる逆縁句を前にして、なお「しょうがない」などと言える人間がいるであろうか。「老いを迎えることのできなかった人びとの墓前に佇む時、老年期を持てることは一つの『特権』なのだ、という思いに強くとらわれる」(「俳句界」2007年8月号)と、私と同年の天野正子は書く。老いが「自明の過程」のように語られる現在、この言葉の意味は重い。「子の墓、吾子に似た子が蝉とっている」。掲句と同時期に詠まれた句だ。生きていれば三人ともに二十代の大人になっているはずだが、死者はいつまでも幼くあるのであり、そのことが作者はもとより読者の胸を深くゆさぶってくる。今朝は黙祷をしてから、いつもより少し遅いバスに乗って出かける。『原爆句抄』(1975)所収。(清水哲男)


May 3152008

 叩きたる蠅の前世思ひけり

                           小松月尚

といえば、むしむしし始めた台所にどこからともなく現れて、そこにたかるんじゃない、というところにちゃっかり止まるので、子供の頃は、できた料理にたかりそうになる蠅を追い払うのもお手伝いのひとつだった。強い西日をうけてさらにぎとぎと光る蠅取り紙も、蚊取り線香の匂いや、色よく漬かった茄子のおしんこのつまみ食いなどとともに、夏の夕暮れ時の台所の思い出である。そんな蠅だが、最近はめっきり見かけなくなった。先日玄関先で久しぶりに遭遇、あらお久しぶりという気分だったが、昔は、とにかくバイ菌のかたまりだ、とばかり思いきり叩いた。同じように叩いてしまってから、ふとその前世を思っている作者である、真宗大谷派の僧であったと知ればうなずけるのだけれど。蠅の前世、という表現は少し滑稽味を帯びながら、作者の愛情深い視線と、飄々とした人柄を感じさせる。句集の虚子の前書きの中には「総てを抛(な)げ出してしまつて阿彌陀さまと二人でゐる此のお坊さんが好きであります。」という一文があり、その人となりを思う。『涅槃』(1951)所収。(今井肖子)


June 2862009

 蠅とんでくるや箪笥の角よけて

                           京極杞陽

語は「蝿」、夏です。そう言えば昔は、蝿と共に生きていたなあと思い出します。飴色の蝿取紙は、いつも部屋の電気のスイッチの紐に結ばれていて、吹く風に優雅に揺れていました。新しいものと取り替えるときに、要領が悪くて服にべたりとついてしまうこともありました。そんな経験、もうすることはないのだなと思えば、妙な寂しささえ感じます。テレビでたまに、顔に何匹もの蝿をたからせて平然と遊んでいるよその国の子供を見るにつけ、あんなふうに自分もあったのだと、あらためて思い出しもするわけです。句は、そんな蝿の飛んでいるところを目で追っています。勢いよく飛んできた蝿が、箪笥の角にぶつかる寸前に身をよけて、別方向へ飛んでゆきます。蝿にも立派な目があるのだから、当たり前といえばあたりまえではありますが、「よけて」の一語が、ひそやかに身を斜めに傾ける人の姿と、重なってきます。蝿というもの、どんな意識を持って、どこまでこの世をわかって飛んでいるのかと、つい余計なことを考えてしまいます。『日本名句集成』(1991・學燈社)所載。(松下育男)


May 0252012

 自由への道出口なし嘔吐蠅

                           榎本バソン了壱

れが俳句?――といぶかしく思われる御仁は多いだろうけれど、れっきとした俳句である。(俳人はこういう句は間違っても作らないだろう。)畏れ多くも、サルトルの著書のタイトルを列挙しただけだが、ちゃんと五・七・五の定形であり、夏の季語も入っている。句意も妙に辻褄が合っているし、下五「嘔吐蠅」は「オートバイ」の駄洒落。「ガリマール版人文書院フランス装実存主義への憧憬」と添え書きがあるが、私などの学生時代には、あの「人文書院フランス装」が大抵の書店には必ず並んでいた。「実存主義」に遅れはとらじと買いこんで貪り読んだ、青い日々が懐かしい。「私が影響を受けたフランスの文学、美術、映画、街区、生活、極めて個人的なさまざまな記憶を掘りおこして、俳句にしてみようと考えた」と後書にある。なるほど、ランボオ、ヴェルレーヌに始まって、ゴダールあり、オペラ座やエスカルゴを経て、クスクスまでと幅広い。48句は「AKB48への対抗である」と鼻息も荒い。ちなみにランボオを詠んだ句は「少年は地獄の季節駆け抜けり」。各句とも例によってユニークな筆文字で書き添えられていて楽しめるし、さらにひるたえみ嬢による仏訳もそれぞれに付されている。『佛句』(2012)所収。(八木忠栄)


August 2482012

 蠅の舌強くしてわが牛乳を舐む

                           山口誓子

あ、やっぱり誓子だなあ。誓子作品についてよく言われる即物非情の非情とは、これまで「もの」が負ってきたロマンを一度元に戻すことだ。蝶は美しい。蛾は汚い。黒揚羽は不吉。ぼうふらは汚い。蠅は汚い。みんな一度リセットできるか。それが写生ということだと誓子は言っている。子規が言い出して茂吉もそう実践している。生きとし生けるものすべてに優しさをとかそんなことじゃない。「もの」をまだ名付けられる前の姿に戻してまっさらな目でみられるか。この「強くして」がいいなあ。「生」そのものだ。『戦後俳句論争史』(1968)所載。(今井 聖)


April 1442013

 寝ころんで蝶泊らせる外湯哉

                           小林一茶

防備で、無邪気。天真爛漫、春爛漫。生まれたまんまの姿で、春の空を眺めながら湯にひたり、我が身を蝶の宿にする。粋で自由。一度でいいから、こんなシチュエーションに身を置きたいものです。掲句は前書に「道後温泉の辺りにて」とあり、注釈に、寛政七年(1795)春の即興吟とあります。一茶三十二歳。ご存知のように、一茶は十五歳で故郷北信濃の柏原を出てから五十一歳で帰郷するまで、江戸、西国などを転々として流寓生活を送りました。その半生の中で培われた感覚は、例えば「夕立や樹下石上の小役人」といった人間界の権威に対する皮肉に表れ、一方で、「やれ打つな蝿が手をすり足をする」があります。この句について、昨年『荒凡夫一茶』を上梓された金子兜太氏は、「これは学校の先生が教える慈悲の句ではなく、本当の意味でリアルな、写生の句である」と述べています。「おそらくは、蠅よ、お前は脚を磨いておるなあ、まあ、ゆっくりやってくれやい、と見たままを詠んだ句です。」金子氏は、一茶の句に「生きもの感覚」をみいだしていますが、掲句も同様に、人間界よりも広くおおらかなくくりの自然界に身をひたし、空と湯と蝶と我が身を一体にする一茶の無邪気を読みます。『日本古典文学大系58・一茶集』(岩波書店)所収。(小笠原高志)


May 2952014

 風に落つ蠅取リボン猫につく

                           ねじめ正也

取リボンとは懐かしい。私が小さい頃は魚屋の店先にぶら下がっていた。同句集には「あきなひや蠅取リボン蠅を待つ」という句も並んでいる。あの頃、生ごみは裏庭に掘った穴に放り込んでいた。昼間でも暗い台所には蠅が多かった気がする。頭のまわりをうるさく飛び回っていたあの蠅達はどこへ消えたのだろう。それにしても「蠅取リボン」という名前自体が俳諧的である。真っ黒になるぐらいハエのついた汚いものをリボンと呼ぶのだから。風に翻ったハエ取りリボンが落ちて昼寝をしていた猫の背中につく。身をくねらせてリボンをとろうとするがペタペタペタペタリボンは猫の身体にまとわりつき猫踊りが始まる。追い立てられてリボンを巻きつけたまま外へ飛び出してゆく猫。そんな路地の1コマが想像される句である。『蠅取リボン』(1991)所収。(三宅やよい)


April 1342015

 百歳の日もバスとまり蠅がたつか

                           竹中 宏

文的な意味での句意は明瞭だ。百歳になった日にも、バスはいまと同じように動き、蠅はたっているであろうか、と。それ以上の解釈はできない。だが、この句の面白さは、百歳になる日を作者は決して待ち望んだりしていないところにある。それがどこでわかるのかと言えば、いまと変わらぬ日常を指し示すものとして、「バス」と「蠅」を持ってきたところにあるだろう。「バス」と「蠅」はお互いに何の関連もないし、特別に作者の執着するものでもない。そのようなどうでもよろしい日常性を提示することで、作者にとっての「百歳」もまた、どうでもよろしい年齢となるわけだ。この二つの事項を、たとえば作者の愛着するものなどに置き換えてみると、そこで「百歳」は別の趣に生まれ変わり、そこまでは何とか生きたいという思いや、生きられそうもないことへの悲痛を訴える句に転化してしまう。そうしたことから振り返れば、句の「バス」も「蠅」もが、実は作者の周到な気配りのなかから選ばれた二項であることがわかるのだ。「バス」も「蠅」も、決して恣意的な選択ではないのであった。俳誌「翔臨」(第82号・2015年2月)所載。(清水哲男)




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