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June 0261997

 幼な顔残りて耳順更衣

                           本田豊子

順(じじゅん)は、六十歳の異称。「論語」による。四十歳の「不惑」はよく知られているが、どういうわけか「耳順」は人気がない。「人の話がちゃんとわかる」年令という意味だけれど、この受け身的な発想が好まれないのかもしれない。それはともかく、この句は巧みだ。人が、新しい気持ちで衣服を身につけたときの、一瞬の表情を見逃さずに作品化している。六十歳の初々しさをとらえて、見事な人間賛歌となった。実に鋭い。そして暖かい。(清水哲男)


June 0161998

 看護婦にころがされつゝ更衣

                           小山耕一路

来が無精者だから、意識して更衣(ころもがえ)などはしたことがない。東京あたりでは、今日から子供たちの制服がかわって、そんな様子を眺めるのはとても好きだ。勝手なものである。ところで、入院患者にも衣更があるとは、この句を読むまでは知らなかった。想像の外であった。あまり身体の自由が利かない患者は、みなこのようにころがされて夏用の衣服に着がえるのだろう。笑っては申し訳ないが、つい、クスクスとなってしまった。看護婦も大変なら、患者も大変だ。やがて夏物にあらたまったときに、作者はとてもいい気持ちになっただろう。昔から衣更には佳句が多い。なかでも蕪村の「御手打の夫婦なりしを更衣」は有名だが、私は採らない。フィクションかもしれないけれど、あまりに芝居がかっていて陰惨だからである。(清水哲男)


May 0852001

 春と夏と手さへ行きかふ更衣

                           上島鬼貫

治以降、「更衣(ころもがえ)」の風習は徐々にすたれてきて、いまでは制服のそれくらいしか残っていない。江戸期では旧暦四月一日になると、寒かろうがどうであろうが、みないっせいに綿入れから袷に着替えたものだという。非合理的な話ではあるけれど、合理よりも形式を重んじる生活も捨てがたい。形式としての「更衣」は社会的な気分一新の意味を持っていたろうし、いわば初夏に正月気分を据えたようなものである。その他にも種々あった形式行事の数々は、まずは「かたち」があってはじめて中身がそなわるという考えに従っている。権力構造との相似もちらりと頭をよぎる。が、アンチ権力表現としてのこの俳句自体が「かたち」を重んじてきたことを考えると、すべからく形式は精神的インフラに欠かせない条件なのかもしれない。もう少し、時間をかけて考えてみたい。さて、江戸期の俳人・鬼貫の句。今日よりの夏の衣服に手を通しながら、こうやって「春」と「夏」とが「行きかふ」のだなと、季節の移動を「手」の所作から発想しているところが楽しい。つまり「かたち」が季節を移動させているわけだ。其角の有名な句に「越後屋に衣さく音や更衣」がある。「越後屋」は呉服屋、三越の前身。この句でも、「音」という「かたち」が夏の到来を告げている。其角句のほうが一般受けはするだろうが、私は鬼貫の小さな所作から大きな季節感を歌った発想に軍配をあげておこう。他の鬼貫句は、坪内稔典の新著『上島鬼貫』(2001・神戸新聞総合出版センター)で読むことができる。(清水哲男)


May 2652002

 少女らは小鳥のごとし更衣

                           大井戸辿

語は「更衣(ころもがえ)」で夏。この風習もかなりすたれてきたが、学校や企業等によっては、日を定めていっせいに制服を夏のものに着替える。学校の制服姿は人数も多いので目立つから、否応なく新しい季節の到来を感じさせられることになる。さて、掲句には類句累々。さしたる発見はなけれども、しかし、なんだかほほ笑ましい。そしてちょっぴり哀しいのは、あえて「少女らは小鳥のごとし」と凡庸な比喩を使った作者と「少女ら」との距離と時間の遠さによる。作者が少年であれば、決してこのように詠むことはないだろう。男として年輪を重ねてきた人でなければ、こんなバカな(失礼)比喩は使えない。若い読者には奇異に受け止められるかもしれないが、この句をじいっと見つめていると、浮かび上がってくるのは作者の老境である。句を裏返せば「小鳥らは少女のごとし」であっても、いっこうに差し支えはないのだ。それほどに他人事というか、もはや少女との交流など考えも及ばない年齢の諦観みたいな心境がじわりと露出してくる。小鳥が本質的には無縁なように少女とも無縁で、もはや両者を等価にしか捉えられない哀しさよ。作者の本意はどうであれ、この平々凡々とした比喩が告げているのは、そういうことなのだと思われた。いま反射的に思い出したのは、その昔に仕事の相棒だった女性の、私には衝撃的だった少女観。「小学校高学年から中学くらいの女の子が、いちばん汚らしく見えるのよね」。となれば、掲句に賛同できる女性は少ないかもしれない。少なくとも一般的に可愛らしいとしてよい「小鳥」の比喩には、我慢がならないかもしれない。「俳句」(2002年6月号)所載。(清水哲男)


May 2352006

 更衣して忘れものせし思ひ

                           柴田多鶴子

語は「更衣(ころもがえ)」で夏。旧暦時代には四月一日、衣服だけではなく、室内の調度や装飾の類を夏のものに更新することを言った。新暦になってからは六月一日にするところが多くなったが、昨日の「asahi.com」に、こんな記事が出ていた。「神戸市灘区の松蔭中学・高校の女子生徒たちが22日、一足早く衣替えをし、夏服で登校した。神戸市内の今朝の最低気温は平年より3度高い19.2度。半袖の白いワンピースに身を包んだ生徒たちは、朝から照りつける初夏の日差しを浴びながら、学校までの長い上り坂を元気に歩いた」。女生徒たちの写真も添えられていて、まさに「夏は来ぬ」の感じだった。福永耕二に「衣更へて肘のさびしき二三日」があるが、どうなんだろう。私などは福永の句に同感するけれど、まだ若さの真っ只中にある女生徒たちにとっては、半袖の「肘のさびしさ」よりも開放感から来る嬉しさのほうが強いのではなかろうか。ただ、いくら若くても、掲句のような気持ちにはなるだろう。昨日までの冬の制服の厚みや重さが突然軽くなるのだから、それこそ「二三日」の間は、毎朝ように何か「忘れもの」をしたような頼りない気分が、ふっと兆してきそうな気がする。学校の制服制度の是非はともかく、もはや当事者ではなくなった私などには季節の変化を知ることができ、また一つの風物詩として、毎夏新鮮な刺激として受け止めている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


June 2462007

 えり垢の春をたゝむや更衣

                           洞 池

らぽーと横浜の本屋で、平積みになった『古句を観る』を見つけました。幾度か清水さんの文章の中で紹介されていたこの文庫を、その場で読み始めました。夏のページをぱらぱらとめくっているうちに、目にとまったのがこの句です。すでに梅雨の時候ですが、わたしの心持は一気に、元禄期の更衣(ころもがえ)の季節に囲まれていました。アメリカの本屋を思わせるモダンな明るい紀伊国屋の書棚の前で、わたしは苗字もわからないこの俳人の思考過程をひそやかに辿っていました。柴田宵曲(しょうきょく)が解説しているように、この句で特徴的なのは、視線が未来にではなく、これまで過してきた過去に向かっていることです。やってきたことを丁寧に振り返る優しいまなざしが感じられます。衣服に向けられた心配りは、おそらく人にも同様に向けられていたのでしょう。折りたたまれたのはむろん「服」ですが、句は「春をたたむ」と、きれいな表現をつかっています。どんな春の日々をたたんだのかはわかりませんが、何かよい思い出があったに違いありません。忘れがたいできごとをそのままの状態でしまっておきたいという、けなげな願いが、大切に折り込まれているように感じるのです。『古句を観る』(1984・岩波書店)所載。(松下育男)


June 1562008

 御手打の夫婦なりしを更衣

                           与謝蕪村

士言葉についての話題を、しばしば聞くことがあります。本も出ているようです。別の世界のようでいて、でもまったく違ったものとも思えない。地続きではあるけれども、不思議な位置にある世界です。いつもの慣れきった日常を新鮮に見つめなおす契機になるようにと、いまさらながら光をあてられてしまった言葉なのでしょう。まさか、「おぬし」とか「せっしゃ」と日々の会話で使うわけにもいかないでしょうが、その志や行いは、江戸しぐさに限らず、日々の行動に取り入れることの出来るものもあります。句の、「御手打(おてうち)」も、今は使われることのなくなった武士社会の言葉です。本当だったら許されることのなかった夫婦、というのですから、自然に思い浮かぶのは密通の罪でしょうか。隠れて情を通じ合っていた男と女が、何らかの理由によって「御手打」を許され、夫婦となって隠れ住んでいるもののようです。それでもかまわないという思いで結ばれた二人の気持ちが、どれほどに烈しいものを含んでいようとも、季節は皆と同じようにめぐってきます。夏になれば更衣(ころもがえ)もするでしょう。句の前半に燃え上がったはげしい情が、更衣一語によって、いっきに鎮められています。『日本の四季 旬の一句』(2002・講談社)所載。(松下育男)


April 0642010

 荒使ふ修正液や桜の夜

                           吉田明子

正液は短期間にずいぶん進化したもののひとつだろう。現在の主流は、つるつるっと貼るテープ状のものと、カチカチっと振って使うペンタッチタイプのようだ。どちらもすぐに文字が書けるところがポイントで、以前の液体タイプは乾くまでしばらく待たなければならなかった。昭和52年の発売当初はマニキュアボトルのような刷毛型で、しばらく使うと刷毛がガチガチに固まり、それはもう厄介であったと聞く。修正液の上に慌てて文字を書こうとすれば、よれてしまったり、にじんでしまったり、またぞろ上から修正することにもなる。そうこうするうちに、その部分だけやけに立体的になってしまう。間違ってしまったという気持ちの萎えと、一刻も早く正しく訂正しようという焦りが失敗を生み続け、今日の修正液の改善へとつながっているのだろう。掲句にある「荒使ふ」は、荒っぽくじゃんじゃん使うという意だが、下五の「桜の夜」の効果によって、単なる文字の書き間違いというより、心の逡巡を感じさせる。ところどころに桜の花が散ったような書面を思うと、修正前の言葉を憶測して透かしてみたりしてしまうだろう。修正跡には揺れ動く作者の一瞬前の時間が封印されている。〈校庭に白線あまた春をはる〉〈ペコちゃんもポコちゃんもけふ更衣〉『羽音』(2010)所収。(土肥あき子)


May 2852011

 すゞかけもそらもすがしき更衣

                           石田波郷

前目にした時は、空、だった気がするが、平仮名の方がいいなあ、と。いずれにしても調べも音も色彩も気持ちのよい句だ。一昔前は、学校も六月一日に一斉に更衣をしていたので、教室に入ると、制服が紺から白へ一気に明るくなり更衣の実感があった。最近は五月から移行期間をもうけて、暑い人は夏服可、とするので以前ほどの感動はない、合理的ではあるが。この時期、個人的には衣服の入れ替えとは別に、初めて半袖一枚で外出する日、更衣に近い感慨があるように思う。そんな日は、夏が来たなあと実感しつつ、この作者のように、何もかもすがすがしく感じるのだ。『最新俳句歳時記 夏』(1972・文藝春秋)所載。(今井肖子)


May 3152011

 水飲んで鈴となりけり更衣

                           岡本 眸

いコーヒーやお茶よりも、冷たい水をおいしいと思う陽気になった。ことに猫舌でもあるので、熱いものを喉へと流すおっかなびっくり感から解放され、躊躇なくごくごく飲めるというだけでも大いなる快感である。掲句の鈴は、まさに水が喉から胃の腑に届くあたりの感触を指しているのだと思う。ころんころんと水が収まっていく。身体の真ん中からすっと涼しくなるような心地よさが、薄着となった四肢にも響いてくるようだ。制服のある学校の多くは、明日から夏服へと一新する。街に白さが際立つようになり、女の子たちの鈴を転がすような笑い声がもっとも似合う季節でもある。『流速』(1999)所収。(土肥あき子)


June 0162011

 子の背伸び出してはしまう更衣

                           内田春菊

どもの成長は早い。タケノコのようにグングン背が伸びる。去年着ていた衣服が、今年はもう着られなくなってしまうなんてことはもちろんだが、去年は大きすぎた衣服が今年は小さすぎる、などということはざらにある。母親はあれこれと出してみるけれど、子どもの背はどんどん先へ先へと伸びている。夏の衣服を出したりしまったりして「あら、まあ」などと戸惑いながらも、わが子の成長ぶりに眼を細めているのだろう。春菊は父親が全部ちがう四人の子どもの母親だった。さぞ大変な時期があったものと思われるが、けろりとして(?)このような句を詠んだ。現在の替衣は六月一日と十月一日。しかし、そうした季節感は私たちの日常からは薄れてきてしまっている。今夏は節電の影響もあって、クールビズなるものがまたはやっているようだ。それでも和服のほうでは現在でも、前年十月〜五月:袷、六月:単衣、七〜八月:薄物、九月:単衣、とされているらしい。基角に「越後屋に衣さく音や替衣」の名句がある。『命の一句』(2008)所載。(八木忠栄)


July 0472012

 老鶯の声捨ててゆく谷深し

                           新井豊美

は「春告鳥」とも「歌詠鳥」とも呼ばれ、言うまでもなく春の鳥である。しかし、春の頃はまだ啼きはじめだから、声はいまだしの感があってたどたどしい。季節がくだるにしたがって啼きなれて、夏にはその声も鍛えられて美しくなってくる。そうした鶯は「老鶯(おいうぐひす)」とも「残鶯」とも呼ばれて、夏の季語である。谷渡りする鶯だろうか、声を「捨ててゆく」ととらえたところが何ともみごとではないか。美しい声を惜しげもなく緑深い谷あいに「捨てて」、と見立てたところが、さすがに詩人の鋭い感性ならでは。鶯の声は谷あいに涼しげに谺して、いっそう谷を深いものにしている。数年前に鎌倉の谷あいでしきりに聴いた老鶯の声を思い出した。うっとりと身をほぐすようにして、しばし耳傾けていたっけ。(豊美さんの声も品良くきれいだったことを思い出した。)二〇〇九年七月のある句会で特選をとった句だという。同じ時の句「この道をどこまでゆこう合歓の花」も特選をさらった。「鶺鴒通信」夏号(2012)所載。(八木忠栄)


July 1172012

 紙コップとぶ涼しさや舟遊び

                           吉屋信子

火、お祭り、ナイター、夜釣り……納涼のための楽しみや遊びはいろいろある。なかでも、川であれ、海であれ、舟を出しての舟遊びは格別である。しばし世間のしがらみとは断ち切られた、一種独特の愉楽を伴っている。気の合う連中でワイワイと酒肴を楽しみながら、時間がたつのも忘れてしまう。ビールや冷酒をついだ紙コップが、客のあいだをせわしなく飛びかっている。しかし、時代とともに「舟遊び」などという結構な心のゆとりは、次第に失われつつあるようだ。掲句の軽快さは舟遊びの軽快さでもあろう。その昔のお大尽たちは昼頃から舟を出し、歌舞音曲入りで暁にまで及んだものだという。もう十数年前、浅草の吾妻橋のたもとから乗合いの屋形舟で隅田川をくだり、幇間の悠玄亭玉介のエッチなお座敷芸を楽しみながら、お台場あたりまで往復するひとときを満喫したことがあって、忘れられない。屋形舟で友人の詩集出版記念会を企画実施したこともあった。春は桜、夏は納涼、秋は月、冬は雪、と四季の贅沢が楽しめる。護岸と野暮なビル群のせいで、もはや風情はないけれど。信子は「灰皿も硝子にかへて衣更へ」など多くの俳句を残した。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 22102013

 稲雀ざんぶと稲にもぐりけり

                           大島雄作

道で迷っても雀を見つけることができれば人里が近いのだと安心するという話しの通り、雀は昔から人間と生活をともにしてきた。実った稲を食べるための害鳥でありながら、害虫を捕食する益鳥でもあり、長らく共生関係を築いてきた。歌や民話にたびたび登場するのは身近な鳥であるとともに、その可愛らしい容姿によるところも大きい。実際の雀は人間に対して臆病で、用心深いというが、雀同士は相当のおしゃべりで遊び上手だ。欣喜雀躍という言葉がある通り、ちゅんちゅんと鳴きながら、飛び跳ねる姿はなんとも無邪気で楽しそうだ。掲句は一面の波打つ稲田に雀たちが賑やかに出入りしている。きっと稲穂を波頭に見立てた波乗りごっこが開催され、母雀に「遊びながら食べてはだめ」などと叱られているに違いないのだ。〈鷹柱いっぽん予約しておかむ〉〈ここからの山が正面更衣〉『春風』(2103)所収。(土肥あき子)




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