1997N6句

June 0161997

 六月の氷菓一盞の別れかな

                           中村草田男

菓(ひょうか)にもいろいろあるが、この場合はアイスクリーム。あわただしい別れなのだろう。普通であれば酒でも飲んで別れたいところだが、その時間もない。そこで氷菓「一盞(いっさん)」の別れとなった。「盞」は「さかずき」。男同士がアイスクリームを舐めている図なんぞは滑稽だろうが、当人同士は至極真剣。「盞」に重きを置いているからであり、盛夏ではない「六月の氷菓」というところに、いささかの洒落れっ気を楽しんでいるからでもある。「いっさん」という凛とした発音もいい。男同士の別れは、かくありたいものだ。実現させたことはないけれど、一度は真似をしてみたい。そう思いながら、軽く三十年ほどが経過してしまった。(清水哲男)


June 0261997

 幼な顔残りて耳順更衣

                           本田豊子

順(じじゅん)は、六十歳の異称。「論語」による。四十歳の「不惑」はよく知られているが、どういうわけか「耳順」は人気がない。「人の話がちゃんとわかる」年令という意味だけれど、この受け身的な発想が好まれないのかもしれない。それはともかく、この句は巧みだ。人が、新しい気持ちで衣服を身につけたときの、一瞬の表情を見逃さずに作品化している。六十歳の初々しさをとらえて、見事な人間賛歌となった。実に鋭い。そして暖かい。(清水哲男)


June 0361997

 学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地

                           小沢信男

書きに「月島西仲通り」とあり、東京下町の風景であることがわかる。この句と「もんじゃ焼き」については種村季弘の『好物漫遊記』(ちくま文庫)中に「月島もんじゃ考」の項があるので御覧を乞う。小沢さんは何言おう。評者達詩人の俳句会「余白句会」の師匠である。従って弟子としては梅雨がくる度にこの句を宣伝したい。人口に膾炙する迄「もんじゃの小沢」を宣伝しまくりますぞ。この句、小沢さんによれば「学のあるひとばっかりが誉めるんだよねえ……」。それはそうでしょう。小年老イ易ク 学成リ難シ 一寸ノ光陰 軽ンズベカラズ。『東京百景』(89年・河出書房新社)所収。(井川博年)


June 0461997

 明日は又明日の日程夕蛙

                           高野素十

にもかくにも今日の仕事を消化して、作者はしばし夕蛙の鳴き声に耳を傾けている。ホッとしている。明日もまた忙しいが、明日は明日のこととして、今日はもう仕事のことは考えたくないという心境だ。このように、昔は蛙たちが一日の終りを告げたものだが、いまの都会では何者も何も告げてはくれない。もっと言えば、一日の終りなどは無くなってしまっている。だから、明日の日程のために眠ることさえできない人も増えてきた。過労死が起きるのもむべなるかな。こんな世の中を愚かにも必死につくってきたのは、しかし私たちなのである。『雪片』所収。(清水哲男)


June 0561997

 紫陽花や帰るさの目の通ひ妻

                           石田波郷

郷の句が苦手だという人は、意外に多い。いわゆる「療養俳句」の旗手だからではなく、描写が「感動を語らない」(宗左近)からである。この句もそうだ。見舞いに来た妻が、つと紫陽花に目をやったとき、その目が「帰るさ(帰り際)」の目になっていたというのだが、それだけである。妻の目が、作者にどんな感情を引き起こさせたのかは書かれていないし、読者に余計な想像も許さない。冷たいといえば、かなり冷たい感性だ。しかし、私は逆に、長年病者としてあらねばならなかった男の気概を感じる。平たく言えば、人生、泣いてばかりはいられないのだ。寂しい気分がわいたとしても、それを断ち切って生きていくしかないのだから……。(清水哲男)


June 0661997

 木いちごの落ちさうに熟れ下校どき

                           大屋達治

の旬(しゅん)は、野生や栽培物を問わず多く六月だ。農家だった私の家でも普通の苺は育てていたが、それよりも山野に自生している木苺のほうが美味だったように思う。黄金色に熟れた木苺は、酸味がなくて極上に甘かった。木の刺に用心しながら空の弁当箱いっばいに摘んで戻るのが、それこそ下校時の楽しみだった。句の「落ちさうに熟れ」が、いかにも木苺らしさを巧みに表現している。昔から木苺の句はたくさん詠まれてきてはいるが、木苺と子供の姿とをセットにした作品を他に知らない。不思議なことだ。サトウ・ハチローの『ジロリンタン物語』ではないけれど、大人の管理の外にある(なかには管理の内のものも含めて)ウマいものと子供とは、いつだって必ずひっついてきたものであるというのに……。それはともかく、どなたか、最近になって木苺を口にしたという「果報者」はおられますでしょうか。(清水哲男)


June 0761997

 庭土に皐月の蝿の親しさよ

                           芥川龍之介

(はえ)などという虫は、普段はただ疎ましいだけだが、陰暦・皐月(さつき)のいまごろに出始めの蠅を見かけたりすると、思いがけない親愛感がわいてきたりする。しかも、作者が機嫌よく庭に出ているとなれば、頃合いは梅雨の晴れ間か。だとすればますます、疎ましい虫に対しても親しい目つきになろうというものだ。自然の持つ素朴な輝きとしての庭土や蠅に、天才的小説家は素直な親しみを覚えている。が、一方で、この感性はかなりオジン臭い。言い換えれば、芥川は俳句表現においてもまた、若くして老成した目の持ち主であったということになる。しかし、作者が芥川だから油断はならない。あえてオジン的発想をねらった句とも考えられる。才気煥発な人の俳句は、いつも裏がありそうで、読むのがしんどい。(清水哲男)


June 0861997

 米の香の球磨焼酎を愛し酌む

                           上村占魚

るで「球磨焼酎」の宣伝みたいだ。私は日頃焼酎を飲まないのでわからないが、好きな人には「その通りっ」という句であり、すぐに自分でも飲みたくなる句なのだろう。無技巧が逆に鮮やかで、いかにもウマそう。こういう句は、もっとあってもよいと思う。このような各地の名産を詠んだ句のアンソロジーを、どなたか編集してくれませんかね。焼酎といえば、生まれてはじめて飛行機に乗って奄美大島へ行ったことを思い出す。「文芸」(現在の「文藝」)の編集者として、開高健さんのお伴で島尾敏雄さんを訪ねる旅だった。仕事が終わってから、西部劇に出てくるようなたたずまいの町のバーに入ったら、何も注文しないのにサッと焼酎が運ばれてきた。びっくりしながら大いに酩酊したが、若さのおかげで翌朝はケロリとしていられた。開高さんも島尾さんも、酒飲みの達人だったから、もちろんケロリ。既にお二人とも鬼籍に入られたのが、なんだか夢のようである。(清水哲男)


June 0961997

 つく息にわづかに遅れ滴れり

                           後藤夜半

ったき静寂のなか、水の滴る音だけがしている。ふと気がつくと、自分の呼吸に正確に少し遅れて滴っている。それだけのことだが、身体の弱かった作者ならではの鋭い感覚が刻みつけられていて、さすがだと思う。病者に特有な神経のありようだ。ところで、これはどのような水の滴りなのだろうか。雨漏りだろうと、私は読んでおきたい。いまでこそ雨漏りするのはナゴヤドームくらいのものだが(笑)、昔はたいていの家で一箇所くらいは雨漏りがした。漏ってくる畳の上などに洗面器や鍋を置いて水滴を受けているとき、病者ならずとも、その音は気になった。単調なリズムの繰り返しに、ときに眠気を誘われることもあった。それだけに、雨がやんだときの嬉しさは格別だった。『青き獅子』所収。(清水哲男)


June 1061997

 起し絵やきりゝと張りし雨の糸

                           高橋淡路女

し絵(おこしえ)は立版古(たてはんこ)ともいい、切り抜き細工絵の一種。芝居の場面や風景の絵を切り抜き、遠近をつけ組み立ててから燈火で見る。要するに、飛び出す絵本の原形だ。雨を表現するために、白い糸が前面に何本もぴんと張られた起し絵を、作者は見ている。「なるほどねえ」と、その技巧に感心している。浮世絵のような雨。今では味わえない祭りの夜の楽しみ。ところで、最近の「MACLIFE」(97年6月号)を見ていたら、デジカメを使った起し絵(デジタル・フォトモ)づくりが紹介されていた。街の看板や人物や家並みを適当に撮影してきてプリントアウトし、それらを切り抜いて遠近をつけて立体化し、飛び出す絵本にするという遊びだ。さらに、それをもう一度デジカメで撮影する(「お湯をかけて戻す」というそうだ)と、なかなか面白い空間が見えてくる。新時代の起し絵だが、やはり雨は白い糸で表現するしかないかもしれない。(清水哲男)


June 1161997

 箸先に雨気孕みけり鮎の宿

                           岸田稚魚

料理を出す宿とも読めるが、あまり面白くない。「孕(はら)みけり」のダイナミズムを採って、私は鮎釣りが解禁になる前夜の宿での句と読む。明日は、まだ暗いうちから起きだして、みんな川へと急ぐ。夕餉の膳を前に仲間達と鮎談義に花が咲くなかで、箸先にはかすかににじむように雨の気配が来ている。経験に照らして、こういうときにはよく釣れる。そう思うと、明日の釣りへの期待と興奮が静かにわいてこようというものだ。箸先を竿の先に擬する微妙な照合に注目。ところで、作者の成果はどうだったろうか。まったくの坊主(「釣れない」という意味の符牒)となると、もういけない。「激流を鮎の竿にて撫でてをり」(阿波野青畝)ということにもなってしまう。(清水哲男)


June 1261997

 雨音の紙飛行機の病気かな

                           小川双々子

院中の作者が、たわむれに手元の紙で飛行機を折って飛ばしてみた。よく飛んだかどうかは問題ではない。病気だからそんな振る舞いに出たのだし、病気だから雨の音も明瞭に聞き取れている。それだけのことを言っている。ここにたゆたっているのは、作者の諦念だ。何度も目先に希望を見い出そうとした果ての諦めの心である。いまはストレートに「病気かな」と言い放てるほどに、その心は定まっているのだし、自分の病気を引き受け、冷静に見つめようとしている。みずからを「紙飛行機」に見立てているとも読めるが、同じことだろう。決して、鬱陶しいだけの句ではない。『異韻稿』(97年6月・現代俳句協会刊)所収。(清水哲男)


June 1361997

 寫眞の中四五間奥に薔薇と乙女

                           中村草田男

い前書きがある。すなわち自句自解となっている。「佐藤春夫氏に『淡月梨花の歌』なる詩作品あり。想ふ人の幼き頃の寫眞を眺めて、『かゝる頃のかゝる姿を見し人ぞうらやまし』との意味を詠へりと記憶す。我も亦、家妻十九歳、初めての演奏會を終へしまゝの姿にて庭隅に佇ちて撮せる寫眞一葉、そを取出でゝ眺めつゝ人の世の時の經過の餘りにも早きを歎ずることあり」。敗戦後一年目の夏の句。空襲のない平和の味を噛みしめているような句だ。そして、同時期のこの句もまた微笑ましい。「童話書くセルの父をばよじのぼる」。セルは薄い和服地。オランダ語のsergeを「セル地」と読んで「セル」になったという。『来し方行方』所収。(清水哲男)


June 1461997

 形骸の旧三高を茂らしめ

                           平畑静塔

後の学制改革で、旧制高校はそれぞれ新制大学へと昇格(?)した。三高は京都大学吉田分校(教養部)となり、ひところは宇治分校で一年を過ごした二回生を受け入れる施設となっていた。私が在籍したとき(1959)にも感じたことだが、なんとも中途半端な存在で、学舎的魅力には乏しかった。ましてや静塔のように三高に学び、そこで俳句をはじめた人にとっては、自然に「形骸」という言葉が口をついて出てきても不思議ではない。作者の青春のときと同じように草木は茂っていても、形骸化してしまった三高の姿は見るにしのびないのだ。勢いよく茂るのであれば、もっともっと茂るにまかせよ。そんな心境だろうか。1954年の作品。『旅鶴』所収。(清水哲男)


June 1561997

 父の日をベンチに眠る漢かな

                           中村苑子

月の第三日曜日は父の日。「漢」には「をとこ」と振り仮名がある。ホームレスの男だろうか。あるいは、酔っ払いだろうか。父の日だというのに、ベンチで眠りこけている。家族はないのだろうか。あるとしても、子供らは父のこのような姿は知らないだろう。しかし、作者は「お可哀そうに」と思っているわけではない。あえて「男」と書かずに「好漢」「悪漢」の「漢」を用いているのが、その証拠だ。むしろ、世間のヤワな風習などとは没交渉に生きている姿勢に、男らしさ、男くささを感じている。好感をすら抱いている。(清水哲男)


June 1661997

 梅雨寒の昼風呂ながき夫人かな

                           日野草城

かにも意味ありげで思わせぶりな句だが、フィクションだろう。十九歳で「ホトトギス」雑詠欄の巻頭を占めた草城には、女性を詠んだ作品が多い。代表的なのは、昭和九年(1934)の「をみなとはかゝるものかも春の闇」を含む「ミヤコホテル」連作だ。新婚初夜の花嫁をうたって、当時の俳壇では大変な物議をかもしたというが、これまたフィクションだった。こうした作家の姿勢は、たしかに古くさい俳句の世界に新風をもたらしたろうが、他方では思いつきだけの安易な句を量産させる結果ともなった。この句も道具だてが揃い過ぎていて、現代でいう不倫願望の匂いはあっても、底が浅い。山本健吉に言わせれば「才気にまかせて軽快な調子を愛し、物の真髄を凝視する根気に欠けていた」(新潮文庫『日野草城句集』解説)と、かなり手厳しいのである。なお「梅雨寒」は「つゆさむ」と濁らずに読む。『花氷』所収。(清水哲男)


June 1761997

 夕焼のうつりあまれる植田かな

                           木下夕爾

田(うえた)は、田植えを終わって間もない田のこと。殿村菟絲子に「植田は鏡遠く声湧く小学校」とあるように、天然の大鏡に見立てられる。やがて苗がのびてきた状態を「青田」という。さて、この句であるが、夕焼けをうつしてもなお余りある広大な水田風景だ。といって、句それ自体には作者の力技は感じられず、むしろ繊細な感覚が立ちこめている。このあたりが抒情詩人であった夕爾句の特長で、根っからの俳人には新鮮にうつるところだろう。舞台は、戦後間もなくの広島県深安郡御幸村(現・福山市御幸町)。『遠雷』所収。(清水哲男)


June 1861997

 大阪を離るる気なし鱧料理

                           下村非文

(はも)料理は、関西が本場。こんな気持ちの人がいても不思議ではない。いまでこそ東京でも鱧を出す店は増えてきたようだが、長い間、関東人は鱧をかえりみないできた。理由は知らない。そういえば小津映画に、笠智衆や中村伸郎などが、中学時代の恩師である東野英次郎(いまはしがないラーメン屋の親父という設定)を小料理屋に招待してもてなすという場面があった。そこに出てくるのが鱧料理。食べはじめた東野が突然に箸を止めて「こりゃあ、うまい。これは何だ」と問いかけるシーンが忘れられない。「センセイは、鱧も食ったことねえんだ」と、ひそひそ声のいまや功なり名とげたかつての教え子たち……。何を食べ何を食べないできたかで、その人の来歴が知れてしまう。そういうことがあることを、小津安二郎はさりげなく、しかし鋭く描いていた。(清水哲男)


June 1961997

 他郷にてのびし髭剃る桜桃忌

                           寺山修司

桃忌(おうとうき)は6月19日。作家太宰治の忌日。太宰は青森生まれ。昭和初期一番の人気作家となるが、昭和23年玉川上水で心中。享年39歳。墓は三鷹市下連雀の禅林寺にあり、その墓前で毎年盛大な桜桃忌がとり行なわれる。死ぬ前に伊藤左千夫の「池水は濁りに濁り藤なみの影もうつらず雨ふりしきる」の歌を残した話は名高い。今は梅雨の最中。この句は同じ青森出身の鬼才寺山修司が太宰を詠んでいることで興味を引く。おそらくは十代の句であろう。昭和後期に八面六臂の活躍をした寺山修司は、昭和58年5月4日、杉並阿佐谷の川北病院で死去。享年47歳。墓は八王子高尾霊園にある。桜桃忌はともかく、今度、寺山さんの墓参りにでも行くか。(井川博年)

[編者註]「桜桃忌」の命名は、太宰と同郷で入水当時三鷹に住んでいた直木賞作家・今官一(こん・かんいち)による。
没後出版された『想い出す人々』(津軽書房・1983)に、こうある。

 太宰の一周忌を終えて、伊馬春部と出て来ると、禅林寺の山門へ、パラパラとさくらの実が落ちてきた。
  伊馬君とぼくは、その実をひろった。マッチ棒ほどの茎のついた、緑色の小さな実だった。
「これだ」とぼくは呟き「桜桃忌」といった。
「いいねえ」と伊馬君が答えた。
「桜桃忌」の由来である。
 太宰の三回目の命日から、「桜桃忌」といわれるようになった。(中略)ぼくにしては、あれやこれや、桜桃忌のために骨を折ったつもりだが、なにひとつ報いられていない。近頃では、ぼくのほうが門外漢の感じになってしまった。……


June 2061997

 交響楽運命の黴拭きにけり

                           野見山朱鳥

鳥はいつも病気がちで、人生の三分の一くらいを寝て暮らした。したがって、自分の人生や運命に対しては過敏なほどに気を配り反応して、多くの優れた句を残している。虚子は「異常な才能」と言っているが、その通りだろう。そんななかで、この句は一瞬のやすらぎを読者に与える。戦後間もなくの作品だから、ベートーベンの「運命」のレコードはSP盤だ(何枚組だったろうか)。ひさしぶりに聴こうとしたら、長い間針を落とさないでいたので、黴(かび)が生えてしまっていた。それをていねいに拭き落しながら、いつしか作者はみずからの運命の黴を拭いているような思いにとらわれたということである。私は深刻には受け取らず、このときに朱鳥が思わずも苦笑した様子を思い描いた。あえて言うのだけれど、俳諧ならではの滑稽味がにじんでいる作品だと思いたい。『天馬』所収。(清水哲男)


June 2161997

 ぶつぶつ言う馬居て青葉郵便局

                           加川憲一

者は北海道の人。北海道は競馬馬の産地だが、この場合は脚の太い農耕馬だ。都会の郵便局と違って、田舎のそれはちょっとした社交場でもあり情報集積所でもある。貯金を引き出しに行って、ついつい局員と話しこんでしまったりする。そんなご主人を待ちかねて、馬がぶつぶつ文句を言っている図。周囲には濡れるような青葉。そして昔ながらの赤い郵便ポスト。詠まれてはいないがこのポストの赤は重要で、馬の濃褐色と青葉の緑にポストの赤が加わることで、絵に描いたような牧歌的風景が完成する。微笑して作者は、もう一度馬を見やり郵便局の戸口に目を向けたところだ。それにつけても、梅雨のない北海道は羨ましい。この句は、金子兜太が主宰する俳誌「海程」の掲載句を論じた『現代俳句観賞』(飯塚書店・1993)に載っている。(清水哲男)


June 2261997

 ほうたるや闇が手首を掴みたり

                           藤田直子

句があるような気がする。あっても一向に構わないが、そんなふうに私が感じたのは、この闇の中の感性が女性特有のものであり、共通する感性が生んだ句をいくつも読んで啓蒙されてきたからだろう。幻想か、現実か。それはどちらでもよいのだし、どちらでもないのかもしれない。いずれにしても、闇が女を確実に女にすることがあるということだ。それにひきかえ、男の蛍見物などは、まことにもって無邪気なものである。男はむしろ、闇の中で幼児化してしまう。『極楽鳥花』所収。(清水哲男)


June 2361997

 短夜や壁にペイネの恋かけて

                           上田日差子

春俳句の傑作。「恋かけて」という言い回しが、とても新鮮だ。短夜(みじかよ)を恨みたくなるほどに、青春の時は過ぎやすい。比べて、レイモン・ペイネの描いた恋人たちの永遠性はどうだろう。見れば見るほど、羨望の念がつのってくる。と同時に、みずからの恋する心が満たされる日のことも画像に重なってくるのだから、またしても壁のペイネを見やってしまうのである。いいですね、この乙女心は。技巧を感じさせない句の素直さで、なおさらに。(清水哲男)


June 2461997

 尺蠖の時を惜しまず戻りけり

                           なかのげんご

蠖(しゃくとり)は尺取虫。なるほど、こいつはいつも悠々と尺を取って歩いている。時間の観念を感じさせない。子供の頃はこちらも暇だったから、いつまでも飽きずに眺めていたっけ。まさか大人になってから、分秒単位の仕事に就くなどとは、夢にも思わなかった。ラジオの仕事をはじめる前に、情報番組のパーソナリティとしては草分けの片山竜二(故人)さんのお宅にうかがう機会があった。身体を悪くして引退された時期のことで、見ると、お宅の掛け時計の文字盤には数字がなかった。もちろん、秒針もない。「分だ秒だなんて、もうイヤだからね」と話されたが、しかし口調はどこか寂しげだった。分秒の毒がまわると、ちょっとやそっとでは尺蠖の境地には至れないのである。『問名集』所収。(清水哲男)


June 2561997

 麦笛や四十の恋の合図吹く

                           高浜虚子

品に言えば、秘めた恋。いまふうに言えば、不倫。手紙や電話で相手を呼び出すわけにはいかないので、一計を案じた句。いい年をした大人が麦笛など吹くわけはないから、その常識を逆手に取ったのである。虚子センセイも、なかなか隅に置けなかったのだなとは思うけれど、どことなく嘘っぽい。句が出来過ぎているからだろう。ところで、いまだったらこんな場合にどうするだろうか。ほとんどの男は、ポケベルを使うのでしょうな。(清水哲男)


June 2661997

 さみだるる大僧正の猥談と

                           鈴木六林男

誌「俳壇」(95年5月号)。筑紫磐井編「平成の新傾向・都市生活句100」より。妙におかしい句である。すべてがつながっているような、いないような。大僧正の猥談はだらだらととめどもない。「猥談」の使い方が絶妙。鈴木六林男、大正八年大阪生まれ。西東三鬼に師事。出征し中国、フィリピンを転戦し、コレヒドール戦で負傷、帰還する。戦後「天狼」創刊に参加。無季派の巨匠であるが「季語とは仲良くしたい」といい、有季句も作る。「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」は無季句の傑作。(井川博年)


June 2761997

 青梅をかむ時牙を感じけり

                           松根東洋城

われてみると、なるほどと思うことはよくある。歯に関する知識はないが、青梅のような固いものを噛むときには、なるほど口腔に牙のような歯があることを感じさせられる。昔の人が俗に言った「糸切り歯」あたりの歯のことだろうか。ところで、私が子供だったころには、たいていの子供は青梅を食べることを親から禁じられていた。「お腹が痛くなる」という理由からだった。戦後の飢えがあったけれども、親に隠れて僕らはよく食べたものだ。仮名草紙『竹斎』に「御悪阻(つわり)の癖としてあをうめをぞ好かれけり」とあるそうで(『大歳時記』集英社)、言われてみると妊婦には、牙をむき出して青梅など酸っぱいものに立ち向かう勢いがあり、それが実に頼母しいのである。(清水哲男)


June 2861997

 貨車の扉の隙に飯喰う梅雨の顔

                           飴山 實

後十一年(1956)、国鉄労働者という存在が組織的には輝いていた時代の句。つらい労働の合間にふと垣間見せた一個人としての表情を、作者は見逃さなかった。無心ではあるが、暗い影のある表情。もとより、それはある日ある時の自分のそれでもあるはずなのだが……。飯のために働き、働くために飯を喰う。そんな単純で素朴な社会における人物スケッチだ。最近ではトラック輸送に追いやられて、長い貨車の列など見たことがない。子供らが競って、車体に表示された記号から、何を運ぶための貨車なのかを覚えた時代だった。『おりいぶ』所収。(清水哲男)


June 2961997

 田の母よぼくはじゃがいもを煮ています

                           清水哲男

は少年に留守を任せて田に出ていった。少年は母の帰宅を待ちながら、母に命じられたじゃがいもを煮ている。時刻は家の外の青田に日ざしが溢れる昼時と思われる。たとえば句とは立場が逆の「田草とり終へてかへればうれしもよ魚を焼きて母は待ちをり」(結城哀草果)とは作品の空気の色が違う。暮らしは貧しくとも農業が信じられて、少年は少年なりに仕事を分担した時代の回想だろうか。作者は詩人、俳号赤帆。(草野比佐男)

[編者註]「日本農業新聞」(6月17日付)より転載。


June 3061997

 夫に不満ジョッキに水中花咲かせ

                           岡本 眸

会では、男が面白がって点を入れたくなる作品だ。だが、作者にしてみれば「面白がられる」のは不本意だろう。これは、とても寂しい怒りの句なのだから。男には、こうした女の不満の表現が理解できないので、他人事でもあることだし、面白がってしまうしかないのである。句の収められた本の「解説」で、富安風生が書いている。「僕はあくまでも女には争われない女の匂いが出ているいい句を望むというだけ……」。ただ残念ながら、この句は彼の眼鏡にはかなわなかったらしく、別の「いい句」があげられている。「夫愛すはうれん草の紅愛す」。『朝』所収。(清水哲男)




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