1997ソスN5ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2951997

 病院に母を置きざり夕若葉

                           八木林之助

親を入院させたのか、あるいは見舞いにいったのか。病院を出てくると、若葉が夕日に映えて実に美しい。ホッとさせられる。だが、その気持ちの下から、母を「置きざり」にしてきて、なぜ俺はホッとしたりできるのかという自責の念もわいてくる。肉親の入院は、人生での大きな出来事だ。最悪の事態までを考えたりと、ストレスはたまるばかり……。だから、不確かでも一応のメドが立つと、病院を離れた瞬間に、開放的な気分になるのが人情というものだろう。この句を、センチメンタルに重く読みすぎるのは間違いだ。むしろ読者は「夕若葉」の美しさのほうをこそ、読み取るべきではあるまいか。「夕若葉」を詠んだ句は、意外に少ない。(清水哲男)


May 2851997

 真清水も病みて野をゆく初夏よ

                           沼尻巳津子

の季節のさわやか(もっとも「さわやか」は秋の季語だけれど)な「真清水」と「初夏(はつなつ)」との取り合わせ。そこに、作者は病的な照明をあてている。「も」という助詞に注目せざるをえないが、このとき、作者は病身なのだろう。常識を裏切った句というよりも、自分の感性に忠実な句。身体が弱っていると、世の溌溂としたもの全てが疎ましくなる。が、この句。発熱の悪寒から解放されたときのような清々しさも湛えている。不思議な句境だ。なお、考えてみたい。『華彌撒』所収。(清水哲男)


May 2751997

 砂糖水飲む文弱の一守衛

                           小池一覚

ういえば、最近は「文弱(ぶんじゃく)」という言葉を聞かなくなった。詩や小説を書くことなどにかまけていて、世間的には弱々しいことをいう。意味は違うが「青白きインテリ」という言葉も、ひところ流行した。聞かないというと「砂糖水」も同様である。「知ってるかい」と尋ねたら「ソレって何ですか」と、若い人に言われてしまった。ただ砂糖を冷水に溶かしただけの飲み物だ。そして「守衛」もいまや「ガードマン」なのだから、作者せっかくの韜晦も、そろそろ通じなくなってくるだろう。雑誌「すばる」(97年6月号)に、中村真一郎が書いていた。「小生の年間所得、昨年は遂に五百万円を割る。文学出版の不況が、こちらに皺寄せの結果と、小生が時代からの遊離のため」。こちらのほうが、よく通じる。(清水哲男)




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