季語が万緑の句

May 1651997

 万緑の中や吾子の歯生えそむる

                           中村草田男

んな歳時記にも載っている句だ。それもそのはずで、「万緑」という季語の創始者は他ならぬ草田男その人だからである。「万緑」の項目を立てる以上、この句を逸するわけにはいかないのだ。草田男自身は、ヒントを王安石の詩「万緑叢中紅一点」から得たのだという。見渡すかぎりの緑のなかで、赤ん坊に生えてきたちっちゃな白い歯がまぶしいという構図。人生の希望に満ちた親心。この親心のほうが、読者には微笑ましくもまぶしく感じられるところだ。私は読んでいないが、この句のモデルになったお嬢さんが、最近、家庭人としての草田男像を書いた本を上梓され評判になっている。もうひとつの草田男の名句になぞらえていうならば、だんだん「昭和も遠くなり」つつあるということか。(清水哲男)


June 0261999

 万緑に黄に横に竹四つ目垣

                           上野 泰

覚的に面白い句。「黄に横に竹四つ目垣」の、それぞれの漢字をよく見てみると、ほとんどが縦横に垂直な線で構成されていて、なるほどいかにも「四つ目垣」である。さしたる発見もない句だけれど、なんとなく可笑しい。句の背後で、きっと作者もほくそ笑んでいることだろう。気取って読むと、モンドリアンの絵画にも通じる構成の妙ありとでも言いたくはなるが、ま、この読み方はいささか牽強付会に過ぎる。とりあえず、こういう俳句も「あり」ということだ。昨今はブロック塀の進出が著しく、四つ目垣も昔のようには見られなくなった。そもそも家庭の垣根という発想やオブジェが都会の産物であり、他の産物と同様に、垣根もまた都会の文法の変化とともに変わっていく。ちかごろの都会の自治体では、町に「緑を取り戻す」ために、ブロック塀から四つ目垣などに作り替える家には助成金を出すところも出てきた。しかし、こうした助成金は作り替えるときの費用の一部になるだけなのであって、その後の垣根の手入れなどについてまで面倒を見ようとはしていない。これでは、簡便なブロック塀に勝てるわけがない。「黄に横に竹四つ目垣」の景観を再現したいのならば、この他にも考えるべき点は山ほどある。『佐介』(1950)所収。(清水哲男)


May 1452008

 城址になんにもなくて風薫る

                           江國 滋

事。数年前、所用で大阪へ行った際、時間が妙な具合にあいてしまった。どうしようかとしばし思案。「そうだ」と思いついて出かけたのが大阪城だった。その思い付きが恥ずかしいような嬉しいような・・・。何十年ぶりだった。どこの城も、遠くから眺めているぶんには晴れやかだが、いざやってきてみると観光化してしまい、何かあるようで何もないのが一般的。城主に関する功績なぞも、だいたいが底上げして退屈極まりない。かつての権力の象徴の残骸など好もしいはずがない。民の苦渋と悲鳴が、石垣の一つ一つに滲みついている。城址となれば一層のこと、石垣や草木が哀れをさらしているばかり。歴史の時間などとっくにシラケきっている。観光客がもっともらしく群がっているだけである。辛うじて今時のさわやかに薫る風にホッとしている。あとはなんにもない。なんにもいらない。さて、滋(俳号:滋酔郎)がやってきたのは、「荒城の月」ゆかりの岡城址(大分県)。「東京やなぎ句会」の面々で吟行に訪れた際の収穫。その時、滋は「目によいといわれ万緑みつめおり」という句も投句して、結果二句で優勝したという。小沢昭一著『句あれば楽あり』の吟行報告によれば、城址では、ここは籾倉があった、ここは馬小屋の跡、ここが本丸でした――と「何もない所ばかりのご説明」を受けたという。いずこも似たようなものですね。しかし、眼下にはまぎれもない新緑の田園風景がひろがっていた。ご一行が「なんにもなくて」に共鳴した結果が、最高点ということだったのかもしれない。『句あれば楽あり』(1997)所載。(八木忠栄)


May 2352009

 万緑のひとつの幹へ近づきぬ

                           櫻井博道

京の緑を見て万緑を詠んじゃいけないよ、と言われたことがある。万の緑、見渡す限りの緑であるから、まあ確かにそうなのかもしれない。それでも、時々訪れる目黒の自然教育園など夏場は、これが都心かと思うほどの茂りである。どこかの島の、圧倒的な緑の森に迷い込んだような錯覚に陥りながら歩いていると、星野立子の〈恐ろしき緑の中に入りて染まらん〉の句を思い出す。「万緑」は、それだけで強い力を感じる言葉なので確かに、万緑や、などと言ってしまうと後が続かなくてただぼーっとしてしまって、なかなか一句になりにくい。そんな万緑も、大地に根を張った確かな一本一本の木からできている。森を来た作者の視線の先には今、一本の大樹の太い幹があるばかりだが、読者には、作者が分け入ってきた、それこそ万の緑がありありと見えてくる。ひとつの、の措辞が、万に負けない力を感じさせる。『図説俳句大歳時記 夏』(1964・角川書店)所載。(今井肖子)


April 2042011

 万緑も人の情も身に染みて

                           江國 滋

道癌の告知を受け、闘病生活をおくった滋が遺した句集『癌め』はよく知られている。掲句は全部で五四五句収められたうちの一句。この一冊には、おのれの癌と向き合うさまざまに屈折した句が収められている。「死神にあかんべえして四月馬鹿」「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」などの諧謔的な句にくらべると、掲句は神妙なひびきをたたえている。そこにじつは滋の資質の一端をのぞき見ることができるように思われる。中七以下には、俳句としての特筆すべき要素はないと言っていいけれど、「万緑」とのとり合わせや、その「身」のことを思えば、おのずと深い味わいがにじみ出てくる。詞書に「払暁目が覚め、眠れぬまま、退院後の快気祝ひに添へる句をぼんやり考へる」とあり、「4月19日」の日付がある。当人は「快気祝ひ」を「考へ」(ようとし)ていたということ、また果敢に秋の酒を「酌みかはさう」とも考えていたということ。そのようにおのれを鼓舞するがごとく詠んだ作者の心には、ずっしりと重たい覚悟のようなものがあったと思われる。滋(俳号:酔滋郎)は「おい癌め…」を詠んだ二日後の8月10日についに力尽きた。万緑の句と言えば、草田男の他に上田五千石の「万緑や死は一弾を以て足る」もよく知られている秀句である。『癌め』(1997)所収。(八木忠栄)


June 1062011

 晝見たる萬緑の中一戸の燈

                           島谷征良

良さんは石川桂郎の弟子。師の桂郎は私小説的な作風と風狂の生き方で知られ、征良さんもまた日常の中に人生の味わいを感じさせる作品が多い。私事に渉るが征良さんとは学生時代からの友人。関東学生俳句連盟結成などで動いた40年ほど前からのお付き合いである。当時既に桂郎門下だった彼を、僕は妙に老成した男として見ていたのだった。この度の句集の『舊雨今雨』(しょうこんう)という題は古い友と新しい友という意味らしい。彼の歳、すなわち僕らの歳がようやく彼の句風に接近してきたような気がする。昼の鬱蒼たる万緑の中の一燈も実に渋い境地と言えよう。『舊雨今雨』(2011)所収。(今井 聖)


May 2152014

 萬緑やあの日の父を尾行せむ

                           間村俊一

の花にうつつをぬかし、初夏の花にオヤオヤと見とれているうちに、いつの間にか日々ふくらむ新緑が私たちの目を細めさせる。そして萬緑がまなこになだれこむ季節の到来である。掲句の中七〜下五の中味は穏やかではない。そのくせどこかしら「フフフフ」とわいてくるモノがある可笑しさ。「あの日の父」に何があったのかは誰にもわからない。しかし、たしかに何かしらあったのだ。オトナにはオモテがあればウラがある。「その日」すぐにでなくとも、のちのちずっと「父を尾行せむ」という気持ちが消えることはない。ナゾが残れば残るほど、尾行したい気持ちはつのるいっぽうであろう。「いやいや、尾行なんかしたくない」という気持ちもいっぽうにはあろう。何かしらあったにせよ、なかったにせよ、父を探ってみたい気持ちが息子にあるのは何ら不思議なことではない。しかも萬緑がむせるような季節である。ひそかに尾行されている父よ、父を尾行している息子よ、両人とも十分お気をつけくださいまし。生まれる二ヶ月前に父を亡くした私などには、加齢とともにそれとなく、日々まぼろしの父を尾行しているような気持ちがしている。俊一には、他に父を詠んだ「はゝこ草父の知らざる母の嘘」がある。『抜辨天』(2014)所収。(八木忠栄)


June 0562015

 万緑やいのちは水の匂いして

                           東金夢明

渡すかぎり緑の世界が広がっている。思えば地球は水の世界。たっぷりと水を吸って豊かに緑が育まれている。この水の中にわれらが「いのち」は生まれ、緑なす大地の風を呼吸している。時は今、新緑萌え盛り鳥は鳴き花は咲き誇っている。風の中に漂う水の匂いを感じつつ、様々な命が満々たる緑に包まれている。この地球に緑に命にそして水の匂いに乾杯!<振り向けば振り向いている雪女><喉ぼとけ持たぬ仏や秋の風><木枯の着いたところが地下酒場>など。『月下樹』(2013)所収。(藤嶋 務)


June 1762015

 万緑に入れば万緑の面構え

                           原満三寿

緑の季語は、草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」の句に代表されるが、草田男は王安石の「万緑叢中紅一点」によっている。「万緑」は初夏に活発に繁茂する緑を表わしていて、掲出句でも力強い表現となっていて、下五の「面構え」が万緑のパワーを受けとめているようだ。いかにも男性的な響きを生み出している。万緑に入り、万緑と真正面から正々堂々と対峙している。すっかり万緑に浸り染まったたくましい「面構え」が、頼もしいものに感じられる。どんな事情あるいは用があって、万緑に分け入ったのかは、この際どうでもいいことである。「万緑の面構え」とはどのようなものか、わかるようでわからないけれど、勝手に想像をめぐらしてみるのも一興。万緑の句と言えば、私は「万緑や死は一弾を以て足る」という上田五千石の句が好きだ。満三寿(まさじ)はもともと詩人で詩集が多いけれど、俳論『いまどきの俳句』、句集『日本塵』などがある。春の句に「春の橋やたらのけ反りはずかしき」がある。『流体めぐり』(2015)所収。(八木忠栄)


June 2762015

 茄子漬の色移りたる卵焼

                           藤井あかり

供の頃から茄子の漬物が好きだった。糠漬けの茄子は、祖父母、父母、妹との六人家族時代、祖母と二人だけの好物で、よく台所の片隅でこそこそ食べた。その頃紫陽花の花を見て、茄子の漬物みたいな色だよね、と母に言って、あなたは俳句には向いていないわね、と言われたことも思い出す。あの美しい茄子色も、卵焼きに移ってしまうとやや残念ではあるが、黄色い卵焼きを染めてしまった茄子漬の紫がどれだけ鮮やかか、ということがよくわかる。そして、お弁当箱を開いた時の、あ、というこんな瞬間も俳句にしてしまう作者は今まさに、眼中のもの皆俳句、なのだろう。〈足元の草暮れてゆく端居かな〉〈万緑やきらりと窓の閉まりたる〉〈遥かなるところに我や蝉時雨〉。『封緘』(2015)所収。(今井肖子)




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