1997年5月13日の句(前日までの二句を含む)

May 1351997

 そら豆はまことに青き味したり

                           細見綾子

までは、ビールのつまみ。子供の頃は、立派なおかずだった。この句からよみがえってくる味は、子供の頃のそれである。我が家の畠で収穫したそら豆は、本当に「青き味」がしたものだが、いまどきの酒場で出すものには「青き味」どころか、ほとんど味というものがない。変な話だが、東京では銀座あたりの料亭にでもいかないと、そら豆にかぎらず「青き味」などは味わえなくなってしまった。ある所にはあるということ。ところで、なぜこの豆を「そら豆」というのだろうか。「葉を空に向けるので」と、物の本で読んだことがある。(清水哲男)


May 1251997

 薔薇熟れて空は茜の濃かりけり

                           山口誓子

薇の花が開ききった夕暮れ時、折りからの空はあかね色に濃く染まってきた。どちらの色彩もが、お互いに充実しきった一瞬をとらえている。しかし、この充実の時は長くはない。中村草田男に「咲き切つて薔薇の容(かたち)を超えけるも」があるが、いずれも普通の観賞句より、一歩も二歩も踏み込んで詠んでいる。誓子句のほうがよほど抒情的だけれど、こちらのほうが大方の日本人の好みには合うだろう。蛇足ながら、薔薇の句に名句は少ない。花が西洋的で豪奢すぎるせいだろうか。(清水哲男)


May 1151997

 自転車のベル小ざかしき路地薄暑

                           永井龍男

い路地を歩いていると、不意に後ろから自転車のベルの音がする。「狭い道なんだから、降りて歩けよ」とばかりに、作者は自転車に道をゆずるようなゆずらないような足取りだ。暑さが兆してきたせいもあって、いささかムッとした気分。下町俳句とでも言うべきか。いかにも短編小説の名手らしい作品である。晩年、鎌倉のお宅に一度だけ、放送の仕事でうかがったことがある。仕事机の代わりの置炬燵の上には、マイクが置けないほどの本の山。雪崩れている本の隙間から校正刷とおぼしき紙片が見え、はしっこに「中村汀女」という活字が見えたことを覚えている。(清水哲男)




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