1997年5月11日の句(前日までの二句を含む)

May 1151997

 自転車のベル小ざかしき路地薄暑

                           永井龍男

い路地を歩いていると、不意に後ろから自転車のベルの音がする。「狭い道なんだから、降りて歩けよ」とばかりに、作者は自転車に道をゆずるようなゆずらないような足取りだ。暑さが兆してきたせいもあって、いささかムッとした気分。下町俳句とでも言うべきか。いかにも短編小説の名手らしい作品である。晩年、鎌倉のお宅に一度だけ、放送の仕事でうかがったことがある。仕事机の代わりの置炬燵の上には、マイクが置けないほどの本の山。雪崩れている本の隙間から校正刷とおぼしき紙片が見え、はしっこに「中村汀女」という活字が見えたことを覚えている。(清水哲男)


May 1051997

 葱坊主どこをふり向きても故郷

                           寺山修司

坊主(葱の花)を見て、ロック歌手の白井貴子が「わあ、かわいい」と、昼のNHKテレビで言っていた。途端に私は「ああ、そう言われてみればかわいいな」と、はじめて思った。中学生のころの私には、なんだかとても寂しげな姿に見えていた。それこそ同じ坊主頭だったから、どこかで親近感を覚えていたのかもしれない。どうひいき目に見ても、ちっとも立派じゃないその姿が、このまま田舎で朽ち果てる自分の運命を暗示しているようにも見えたのである。とにかく、わけもわからずに大都会に出ることだけを夢見ていた少年の句だ。こう言っても、あの世の寺山修司は苦笑してうなずいてくれるだろう。『われに五月を』所収。(清水哲男)


May 0951997

 たはむれにハンカチ振つて別れけり

                           星野立子

目っけを上手に発揮できる女性は、意外に少ない。男性に「モテる」条件の一つだけれど……。この場合は女性同士の挨拶で、何かとても楽しいことのあった後での別れにちがいない。お互い、少しハイな気分になっている。考えてみれば、ハンカチを振る別れなどは、映画の一シーンくらいでしか見たことはない。たいていの人が、実際に体験することは一生ないだろう。それにふと気がついて、早速実行してしまったというわけだ。「たはむれ」とはいいながらも、胸に残ったのは生きていることの充足感である。『立子句集』所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます